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『おつくね祭』を終えて 中嶋宏治さん vol.1

こんにちは!
東郷広報部の岩佐克彰です。

今回の記事は、今年8月に開催された『第25回 おつくね祭』で実行委員長を務めた中嶋宏治さんです。

東郷地区の象徴である『おつくね祭』が今までどのように作り上げられ、どのような人たちが、どのように企画しているのか、読んでいる皆さんに伝わればと思い記事を書きました。

思ったより内容の濃い取材になったので、記事を3回に分けて公開します。
特にvol.3はディープな内容になっております。

いざ話を聞くと、おつくね祭に来てくれる方々はもちろん、おつくね祭実行委員や自治会の人々、東郷が誇る職人級の人たち、そして代々協力してくれる人々や協賛してくださる企業の支えがあってこそ、おつくね祭は25回も続いてきたんだなと感じました。

コロナ明け、4年ぶりの本格開催にあたり、様々な苦労があったこと、一人の東郷人として、今まで東郷のまちづくりに関わってきた中嶋さんの心中をお聞きしました。

お孫さんと一緒に取材にきてくれました♪


(岩佐)
インタビューよろしくお願いします。
中嶋さんはいつから、どんな形でおつくね祭には関わってきたのですか?

(中嶋)
最初は20代の頃に神輿パフォーマンスに参加したのがきっかけでした。

正直青森のねぶたや岸和田だんじり祭とはかけ離れていて、おつくね祭なんて続かないだろうと思っていました。
そんな中、神輿の制作を町内で取り組んでいるうちに、翌年にはイベントスタッフとして参加するようになっていました。

当時のイベント部会も同世代の20代30代が多く、毎週のようにトックリ軒で集まったり、祭り以上に盛り上がった思い出が、参加してきた原動力ですね。
仲間と一緒に汗水流して創る連帯感、達成感を味わうことがおつくね祭りの魅力になっていて、いつの間にか東郷には無くてはならない祭だと思うようになってましたね。

40代になる頃には、いろんなグループや年代の方との繋がりもでき、いくつかのテントで祭りを満喫するようになってました。家族も模擬店を拠点として過ごすのが恒例になり、暦のお盆はおつくね祭が当然になってましたね。

(岩佐)
おつくね祭のイベント企画や模擬店が東郷のみんなが集まるきっかけとなったのですね。
今年のおつくね祭実行委員長は、どんな形でお願いされたのでしょうか?

(中嶋)
おつくね祭は副実行委員長が翌年の実行委員長を務める形をとっています。
私はコロナ禍前の2019年に次期実行委員長の伊藤光浩さんから副実行委員長を託されました。その伊藤さんが副実行委員長として私を支えてくれるとのことで、微力ながら2023年の実行委員長を引き受けた次第です。
伊藤実行委員長は人脈も見識も広く、コロナ禍の3年もの間、実行委員長を務められました。

第23回(2019年度)おつくね祭神輿パフォーマンス
第23回(2019年)模擬店の様子
第23回(2019年度)俵運びリレー

(岩佐)
実際、今年のおつくね祭を終えて、どのような心境でしょうか。
終わった直後の率直な感想と、今思うこととしては、いかがでしょうか?

(中嶋)
当日までは、多くみなさんが汗水流している連帯感を感じ準備を進めることができました。
祭り1日目は、会議を重ねた4年ぶりの神輿パフォーマンスに感極まり涙が溢れましたね。

今年の開会式の様子
今年のおつくね祭 神輿パフォーマンス(毘沙門、小安)
1日目 20時頃の様子

2日目は久しぶりに会ういろんな人とテントで祭を満喫できました。仲間との夜の打ち上げは、達成感と満足感から幸せいっぱいでした。
ふりかえってみると、いろんな問題を、いろんな人と乗り越えたことで、私が一番感動できたことに感謝しています。

第25回おつくね祭実行委員会メンバー
実行委員会 打ち上げの様子

(岩佐)
実際、企画準備を始めてから気づいたことはありますか?
また、今年の特に良かったと思うことと、一方で課題だなと思ったことはなにかありますでしょうか。

(中嶋)
最初の企画会の資料に、代々記載してあるテーマ
「一粒、一粒の米を住民にたとえ、おつくねのように、握り合い、結び合う、一人一役の意識づくり。東郷ならではの祭とは地区住民主体による、うららが創るうららの祭」
の言葉を目にしました。
これまで特に意識もしていなかったのですが、夏の公民館はいつもおつくね祭で人が賑わっていたことを思い出しました。

それから、まずは「手と手を握り合うこと」「うららが創るうららの祭」を謳い本格開催までできたことが、一番良かったと思っています。

課題と言うより反省ですが、十分な組織づくりが間に合わず、実行委員の負担が大きかったため、職人級のミドルクラスにもっと参加してもらい、若手をもっと応援できる体制が作れれば良かったと思ってます。

(岩佐)
今年は4年ぶりの2日間の本格開催でした。
4年も感覚が空くと『おつくね祭を知らない』という層も増えたのではないかと思いますし、一度途切れたものを再開するのは、スタッフもなかなか要領を取り戻すのが大変なのではないかと感じました。
やはり今年ならではの大変さがかなりあったのではないでしょうか。

(中嶋)
4年のブランクは、特に神輿パフォーマンスの継承が難しいと思いました。

子供たちや親御さん方の引継ぎが難しくなっていること、おつくね祭を知らない子供達が多くなったこと、そもそも子供がほとんどいない町内などから、参加する町内が激減すると思ってました。

そこで、町内選出の委員さんと会議を重ね、合同参加やパフォーマンスのみ参加での合意形成を図りました。7月に入ってからは、町内の委員さんや役員さんは準備、練習など、とても大変だったことだろう思います。

町内パフォーマンスの様子(毘沙門 上東郷)

(岩佐)
 中嶋さんはスタッフに『若手を多く起用したい』ということを準備のときから話していて、実際に今年からの新企画『ウォーターサバゲー』の準備企画をはじめ、イベント部会中心に若い人を多く起用していましたが、そういう考えになった背景、きっかけは何なのでしょうか。

(中嶋)
 4年ぶりのイベント部会(※)が集合となり、企画を始めた当初は、久しぶりに集まる若手中心のイベントと、集客力のあるキッチンカーを中心という方向で(コロナ前とは変わったスタイルで)企画を進めてましたね。

※イベント部会とは
神輿パフォーマンスや吹奏楽演奏、ウォーターサバゲーなど、広場ステージでのイベントを企画するチーム

ところが、コロナ禍が明けた東郷地区の体育祭で、いろいろな声をかけると、(思い切ってリニューアルした新しい祭スタイルというよりかは)、模擬店参加の従来通りのおつくね祭を待つ声が多く、2日間の本格開催を途中から若手に課したってところが実態ですね。

若手を多く起用したのはこのような経緯が正直なところです。

イベント部会 ウォーターサバゲーの企画準備中

(岩佐)
なるほど、参加する皆さんの声を聞いてその思いや要望を優先するべく、途中で路線変更したのですね。

若い世代というと実際、私含め中嶋さんの息子さん世代を相手にすることになったかと思います。
また世代が上の人に指示をすることもあったかと思います。

世代の違う人たちを相手にすることに何かむずかしさは感じたのでしょうか。

(中嶋)
難しいというよりも、手間がかけてしまったということになります。

これまでおつくね祭を支えてきた方々、参加してきた東郷地区のみなさんの思いと、若手のやりたいこと、やれることを調整することが大変でしたね。

(岩佐)
なるほど…こちらについては後程詳しくお聞きできればと思います。

今年は新たな試みとして、2日目午後のイベントで『ウォーターサバゲー』をやったり、youtube生配信をやったりしたと思いますが、それらの感触はいかがでしたか?

(次の記事vol.2に続く)


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