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「とと戸」とは(2023.11.4修正)

とと戸と申します。
主に読書と食のことを書いており、
人生こねくりまわすさまを垣間見れます。
ちゃんと読めば3〜5分、流し読みなら1分くらいで読めます。

継続が苦手な性分。兎に角継続することに注力を注いでいるのと、情報過多な状況が苦手なため、フォローは基本しない方針です。
マイペースに皆さまのnoteを読ませていただくという使い方をしてます。

とと戸をフォローした後に「なんかこいつ違うや」と外したり、「やっぱこいつ気になるな」ともう一度フォローしたり、皆様もその時の気分で、自由にご判断ください🤹



個体データ

  • 年齢:1994年生

  • 職業:完全在宅の派遣社員

  • 持病:深部子宮内膜症、頚椎ヘルニア、機能性ディスペプシア、慢性貧乏性

  • MBTI:INTJ(建築家)

  • 好物:野菜(特に芋栗南瓜)、カレー、かき氷

  • 嗜好品:おつとめ品、渋いおやつ

なぜ書くのか 🛌原動力は体調不良

いつぞやのカバンで暴れていた付箋。わたしの体調はこんな感じだ。

10代の頃からあらゆる体調不良に見舞われていた。頭痛、胃痛、吐き気、めまい。何科にもあてはまる、ありふれた症状ばかり。大病を恐れドクターショッピングするも、ことごとくなにもない。
中には子宮内膜症など病名がついたものもあったが、大半は「精神的なもの」として着地した。2023年で29歳になるが、日本に存在する主要の診療科はだいたい網羅したと思う。

体調不良に陥ると、常に死のイメージが付きまとい、色々なことを考える。生きる意味とか、死ぬまでにやりたいこととか。体調に気を揉まれながら、人生について、自分についてを常に問い続けてきたように思う。

まあしかしそんな状態が20年も続くと、人間はだんだんネジが外れるか緩むのだろうか。何かを超えたのか「また今日も胃がいてぇや」といった具合で面白くなってきている。一体何を超えたのだろうか。多分何も超えてはない。

この先、超元気で超健康な未来はほぼ期待できない。だったらこんな状態なりに、少しでも楽しいことをやってやろうと思う。

長時間の外出は体がきつい。仕事に熱を注ごうにも出社は厳しい。体調の波によるドタキャンを避けようと人付き合いも自然と最小限になる。
そんな私が生きられるフィールドは間違いなく自宅だ。

  • 一人で家にいても、楽しんでやれること。

  • 日々の気持ちや生きることに向き合うことと直結していること。

この二つの希望をどちらも網羅できているのが文章を書くことだった。でも真面目にやりすぎると「生きる意味とは?人生とは?」と、まもなくこねくり回し始めるので、「とと戸」という至極無意味な名前を掲げて、noteを始めることにしたのだ。

完全在宅の理由はこちら↓

何を書くのか

🍚食に支配される生活

食べることが何よりも好きという訳ではないが、「食」にはネガティブな要素が一つもない。美味しいだけで幸せな気持ちになれる上、明日以降の自分を形成する行為でもある。

人より血糖値の下がり方が急らしく、低血糖症状に陥りやすい。空腹を防ぐ必要があるため、常に食べることが頭のにある。
でも低血糖云々を抜きにしても、一日3回しかない食べる機会は貴重で、一番の楽しみでもある。この良くも悪くも「食」に支配されている生活を、noteで書いていこうと思う。

📕人間でいるために欠かせない読書

小学生の頃、頻繁に図書館や図書室に通っていた。なんとなく本が好きだったから通っていたんだけど、実際本は読んでおらず、パラパラとページをめくるという中身のない日々を過ごしていた。心と身体がバラバラの小学生だった。

20歳頃に髄膜炎で1ヶ月半入院した。この時まで一切本を読まなかったが、あまりの暇さに売店で買った林真理子の「のばら」という本がなんだか面白くて、そこから直木賞系のエンタメ小説を中心に読書をするようになった。

その頃は本のジャンルの違いなんて考えたことがなかった。ただ面白そうな本をBOOKOFFで100円で仕入れて読むだけ。でもいつの間にか、吉本ばななを筆頭に、山田詠美、島田雅彦、町田康など、純文学と呼ばれる本たちで本棚が埋まっていった。私は芥川賞系の「純文学」が好きであることに気づく。

読書は、お金がなくても成り立つ唯一の趣味だ。図書館では無料で読めるし、ブックオフでは安価に手に入る。人生の半分以上を貧しく過ごしていたので、至極相性の良い趣味だ。
今では毎日読むくらいに読書が好きで、必要と感じている。この留めておけない溢れる気持ちをnoteに書いていこうと思う。

我が本棚と、読書について↓

起きて食って働いて読んで寝る

ニンゲンってタイヘンそうだな

昔から気が小さい私は、あれやこれやとこねくり回して考えてしまいがちだった。生粋のコネクリストである。

「読んでるとき」
「書いてるとき」は、いつにも増してこねくり回しまくる。コネクリストである自分が肯定されるような、人間本来の生き方を全うできているような感覚になれる。
そして「食うてるとき」はこねくり回しが唯一停止する。

読む、書く、食うをバランスよくサイクルさせることで、私は辛うじて人間の形を成せている。

こねくり回すことは悪いことではないが、過度は毒。でも今更この性質を変えるのは至極困難、全うする他ない。不可欠な睡眠と労働を交えながら、私はこれからも社会にしがみつき、生きていこうとおもう。

月:起きて食って働いて読んで寝る
火:起きて食って働いて読んで寝る
水:起きて食って働いて読んで寝る
木:起きて食って働いて読んで寝る
金:起きて食って働いて読んでちょっと遅く寝る
土:起きて食って読んで食ってちょっと遅く寝る
日:起きて食って読んで寝る

人間って呆気なくて儚くて金曜日が最高。
書くがないじゃないか、いつ書くんだ!という声が遠くから聞こえる気がする。いつだって書くぞという気持ちを込めて、自己紹介を終えたいと思う。


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