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“『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』観た。”


#シン・エヴァンゲリオン劇場版 #ネタバレ

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』観ました。


今年2本目の映画。
ネタバレがこわかったので公開初週には観に行ってました。


なによりちゃんと『Q』の続きなんだ って思った。

村に着いてからは、トウジが生きてたこととヒカリとくっついていて所帯持っていたことが普通に感動した。嬉しかった。

ケンスケも大人な仕事をしていて、2人と比べるとシンジくんがより幼く見えた。

意外に村に溶け込む『そっくりさん』。


ここらへん見てる時点で、ほんとに庵野さんちゃんと終わらせるつもりなんだな… って思った。


しかし『大人』ってなんでしょうね。
閉じてるシンジと比較してのトウジとケンスケは大人に見えたけど。
いつまでも拗ねてるシンジに対して「メンタル弱すぎ」ってアスカは責めてたけど、
や… あんたも旧劇で見てた流れからは大概やで… 思った。
ま、自分(アスカ)のイヤな部分をシンジに見てるがゆえにイライラしてたんでしょうけどね。

『大人』とは みたいのは後半でも関連して思うところ。


核心はなによりシンジとゲンドウの対峙。そしてゲンドウの内面の吐露。

シンジくんが初号機を使ってネルフ本部を足蹴にしてたときに児戯だと一掃したけど、そもそもプロジェクト諸々がゲンドウのワガママ。
ゲンドウが1人回想して吐露し続けている、「人が嫌い」みたいな、関わりを拒絶するところは「わかる」としか思えないし、そんな中でユイと出合ったからこその喪失感に襲われての妄執というのも わかるっちゃあわかるけど、
そのワガママに振り回され続けたという。

ホームで幼いシンジくんを置き去りにした目線のあと、抱きしめたところはグッときました。

『大人』ってなんでしょうね。
親のイヤな部分ほど子供は似るというか、親自身にとってのイヤな部分を子供に見てしまいやすい というか。

『弱さ』に向き合う という作品だったのかな と一貫して思いましたよ。
それはシンジもアスカも。
上にも書いたけど、シンジは弱いところに刺さったときに『閉じる』傾向で、アスカは反発したりイキったりするタイプで。攻撃することで身を守るような。

大人として、保護者としての自分をちゃんと認めて受け留めたのはミサトさんだったのかな と。終盤のくだりでね。
旧劇のときの お姉さん 的な保護者目線より、上の目線で見守る感じになってた印象。

誰もが過去の色々に囚われて、その『弱さ』を突き付けられて、自分の弱さに向き合って、さぁどうする? と、後半、シンジくんだけでなく、みんなが問われていたんだろうな と。

委員長が言っていた、「つらいことと楽しいことの繰り返し」、そこで小さなあいさつの『おまじない』を重ねて「毎日が今日と同じでいいの」なんでしょうね。

で、
見ながらマリの『軽さ』がとてもいい按配だなー とは思っていましたがラスト…。
マリなの?? って。アスカじゃないんだ?? って思っちゃいましたです。

マリという新劇場版シリーズの新鮮な異分子だからこそ、この結末に導かれたのかな。


まぁ、でもね、わかんないですよ。
ある意味、わけわかんない世界なのが『エヴァ』なので。このわけわかんなさが これだ! と出されたら、そうなんだ! わからん! ってそのまま受け止めて勝手に解釈したり他人の解釈を見るのがエヴァなので。

私はこの『新劇場版』シリーズは、“今回はこの未来” というイチ選択肢の一つにしか過ぎないと思っていて。
出合う人や出合い方、関係の深さが異なれば(新劇場版ではアスカが加持さんに憧れる描写は無いし、リツコがゲンドウに利用されてもいないし)、進む未来は異なると思うので、
庵野さんがつくる新しいエヴァが今回で本当に完結なのかどうかはわからないな って思ってます。

ただ、今回はこれ で、今はこれでいい って思いました。


また円盤出たら見直したいですね。


蛇足、

アスカ、ワンダースワンまたやってる… しかもグンペイやってたよね。

途中、ケンスケが撮影してたとき(山のほうを向けてたあとアスカにカメラを向けて照れられたあたり)に右上に出てた時間が1時間22分、21分ってのは、あれは本編の残り時間だったんですかね??

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