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ピコピコ中年「音楽夜話」~番外編:私的な卒論アーカイブ①

まずはじめに、この記事は非常に極々私的なものである。

以前山形の実家に帰省した際、昔使っていた部屋に蓄積されていた有象無象のヲタ的グッズの数々の中から、私自身の大学の卒業論文を発見した。

時は就職氷河期、1999年。

まぁ、今にして思えば笑ってしまう程幼稚で就活の「し」の字も満足に体現できていない就職活動であった。そんな就活ムーヴの結果、残すは卒業論文の提出のみとなった状況でも結局南極就職は決まらず。ノストラダムスの大予言が外れてしまったことを恨みながら、ゼミの助教授に相談。

「卒論を残す形で1年休学。新卒として再度就職活動をしながら1年を過ごし、卒論提出時期に復学をすることで、就活も続けられるし学費もおさえられるのでは」

斯様なアドバイスをいただき、渡りに船で休学。

奨学金も受給し終わったため、ほぼまるまる一年間、アルバイトで生活費を工面しながら、就職活動に勤しみながら、隙をみては卒論の執筆をしていた。思えば今よりもよっぽど精一杯で忙しく、真面目にアレやコレやを同時進行させながら必死に生きていたかもしれない。

そんな時代に脱稿した論文である。

大切な思い出として印刷した紙ベースのものを保管していたわけであるが、既にデータは失われている。クリエイティブを気取り、当時使ってたいマッキントッシュ。いつの間にかPCも、仕事につられるかのようにwindowsに乗り換えてしまった。

…これはどうにかしないといけない。どげんかせんといかん!と、東北人がマンゴー片手に南国人を気取ってしまうほど焦りまして、今、ナウ、こうして、とりあえず、著作権者であるワタクシ。noteに自身でデジタルアーカイブとして記録しておこうかと思ったわけなんです。

まぁ、自分の卒論を見つけた時にボンヤリと「noteに残しとけばいいじゃん」と思ったにも関わらず、今の今まで先延ばしにしていたわけでもありますが…。

ということで、ピコピコ中年音楽夜話。

メイン記事の番外編として(間にメイン記事を挟む可能性もあるという、フワッとした感じの展開方式)、ワタクシの卒論を何回かに分けてアーカイブ化していこうかと思います。

それでは以下より、ご案内は「23歳のワタクシ、長谷川誠」。想定では全4~5回。まずはタイトルと参考文献と序文について、スタートで御座います!

※誤字脱字や、「てにをは」がおかしい部分、冗長すぎる部分、視認性を高めるための改行等は現在のワタクシが校閲・修正していきます。

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現代ポップミュージックの変容過程
~ポップミュージックにみる日本語歌詞

長谷川誠(提出日:2000年1月11日)

<参考、および引用文献・資料>

佐藤良明、1999、「J-POP進化論」、平凡社
由比邦子、1996、「ポピュラー・リズムのすべて」、勁草書房
坂野信彦、1996、「七五調の謎をとく」、大修館書店
宮台真司・石原英樹・大塚明子、1993、「サブカルチャー神話解体」、PARCO出版
桑田佳祐、1984、「ただの歌詩じゃねえかこんなもん」、新潮文庫
佐藤信夫、1992、「レトリック感覚」、講談社学術文庫
金田一春彦、1975、「日本人の言語表現」、講談社現代新書
中村明、1994、「センスある日本語表現のために」、中公新書
川勝正幸、1996、「ポップ中毒者の手記」、大栄出版
兵庫慎司、1999、「特集:さらば90年代」、「BUZZ」rockin'on 1月増刊号、株式会社ロッキング・オン
前田昌彦、1999、「特集:さらば90年代」、「BUZZ」rockin'on 1月増刊号、株式会社ロッキング・オン
中村一義、1998、インタビュー、「BAFOUT」10月号、株式会社ティー・シー・アール・シー
1999、「BUZZ」rockin'on 11月増刊号、株式会社ロッキング・オン
1999、「ROCKIN’ ON JAPAN」12月号、株式会社ロッキング・オン
1997、「Quick Japan」vol.15、株式会社太田出版
1997、「Quick Japan」vol.17、株式会社太田出版

<序文>

現代ポップミュージックの変容過程という大きなテーマを扱うにあたって、その焦点を日本語歌詞というものにあてて考察してみたいと思う。ここ最近のオリコンなどに代表されるヒット・チャートに登場する曲は、70~80年代のいわゆる「歌謡曲」と呼ばれているものよりも歌詞が聞き取りにくくなった、という声を音楽雑誌等で目にすることがある。

確かに、最近ヒットしている宇多田ヒカルの曲、あるいは日本語ラップというものを思い出せばわかるように、TVの音楽カウントダウン番組などを見てみると、画面に歌詞の表示がない場合、その言葉が6~7割ほどしか聞き取れないものが存在する。

ポップミュージックの歌詞は私たちが日常頻繁に耳にし、口ずさみ、時にはカラオケで歌うという身近なものである。しかし、それにも関わらず日本語の歌詞が前述のような事態に至った過程。もしくは至った原因といったものを踏まえながら「日本語歌詞」の現状を考察するような研究は、それほど精力的になされていないように思われる。

なぜフォークソングの歌詞は、はっきりと聞こえるのか。どうして桑田佳祐の独特な歌詞はあのような歌われ方をするのか。日本語ラップの言葉はなぜ耳に残るのか。

同じ日本語であるにも関わらず、少し考えただけでも疑問に思うことは次々と出てくる。

この論文では、日本におけるポップミュージックの流れを踏まえた上で、なぜ日本語歌詞は聞き取りにくくなったのか、日本語歌詞はどのような流れをたどり、そこに至ったのか。そこにフォーカスし考察してみたい。そうすることで、そこから現代社会における私たちの日本語に対するスタンスといったものも見えてくれば、と考えている。

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①了

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