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出雲とヤマト6 出雲の二つの王家

前回の続き

https://note.com/tohokami_life/n/n4c4cd22581ec

出雲は二王制を採用していた。


初代の王 大名持 八耳王と稲田姫には

古事記では大己貴命 稲田姫は櫛稲田姫

2人の王子がいた。

その2人の王子を東西王家として、管轄地をわけた。


東王家は富家(東出雲)

西王家は郷戸家(西出雲)

そして、主王は大名持副王は少名彦という

役職名で呼ばれた。

両家の当主のうち、年長者が大名持、若い方が少名彦になった。

古事記では少名彦は、小人であるが

実際には、小さい人間でなく若い殿という意味で、彦は王子を意味した。

東西王家の特徴

西王家は斐伊川からの砂鉄を採集する仕事

東王家は花仙山からメノウ「碧玉」の原石を採集する仕事を担当。


東王家のメノウから勾玉が作られて

玉造湯神社には、櫛明玉「玉祖命」が祀られた。

この神様の、子孫はやがて、富家の分家から出て忌部氏となる。

出雲王国時代は、富家の后や姫が、姫巫女として王家祭りを主催し

その祭りを助けるのが忌部氏で、玉石の採集と玉作りを担当した。

出雲王国時代は玉の首飾りを付けるのが豪族の証であった。



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