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できない文系院生の悲惨な末路(21)

毎回,大失敗のゼミでの報告,指導教授の学会の手伝い(アカデミックではなく雑用)で博士課程1年をMくんは終えた。同期のKくんは全国大会での学会報告,さらには指導教授と共著という形ではあるが国際会議での報告も終え,着々と実績を積み重ねていった。その実績も功をそうしたのか、日本学術振興会の研究員にも採択された.これは実はものすごいことであるのだ.博士課程の進学試験の際、ちょっとしたミスで院試最下位となってしまったKくんではあったが,この日本学術振興会研究員の採択でそんなミスはすっかり帳消しとなった。

後輩はもちろん,同じ研究室の先輩院生からも「すごいね!」,「よかったね」と祝福された。しかし,ただ1人このKくんの快挙を面白く思わない人文つがいた.そう,Mくんである.自分ができないのを棚にあげ,Kくんは指導教授から贔屓されているとか,自分は外部からの進学なので不当な扱いを受けていると影で不満を言いまわっていた。この頃になると,ほぼすべての院生がMくんので能力のなさ,人望のなさを知っていたので半ばシラケた目をしてMくんの愚痴を聞いていた.もはや,Mくんを信用している院生が皆無の状態になっていた.

すでに内部の院生には自分の学力不足(当時の修士課程の院生よりも劣る)が露呈してしまったため,自分がマウントをとることができる院生がいなくなってしまった.そこでMくんは自分がマウントをとることができる人を探し出した。Mくんが在籍していた大学院では所属している指導教授とは関係なしに研究室が割り振られていた。そこに他大学からMくんの在籍する大学院の博士課程に編入してきた子がMくんの研究室に入ることになった.

早速,先輩面してこの新入りの子を迎えるMくん.どこから来たのかと聞いたところ,地方の私大の修士課程から来たとのこと.この私大はMくんが卒業した学部の大学よりも1ランク下の大学であったため,これまで自分の出身学部にコンプレックスを持っていたMくんの浮かれようと言ったらなかった.上から目線で新入りの子に,「ここに自販機があるよ」,「ここが生協だよ」などと学内の案内を始めたのだ.自分よりランクの低い大学の出身者が入ってきた.大学だけではなく高校まで周りの院生より下のランクだったMくんにとってそれは夢のような状況であった.あれこれ学内ツアーをし,近くのファミレスでごちそうするなど,大学院に入って初めて上から目線の行動がとれそれはそれは夢のようであった.しかし,その行為が後にその新入りの子だけでなく他の院生も顔を覆いたくなるような恥ずかしい行為だったのである.

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