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なぜ友達なのかわからない(5)

Sの話は続きます。

サイコパスママDも相当悪ですが、

現在、なんだかよくわからないオバサン活動をしているようで、

ただの残念なオバサンということがわかったのと、

元ママ友Pが、信じていただけに、裏切られようが酷かったので、

Dの陰も薄くなってきました。

Pも実は裸の王様ということがわかりました。

Pの一件と同時進行で、三十年来の付き合いがあったSと縁を切ることになったのですが、

パンデミックで人間関係の断捨離をした人も多いのではないかと思います。

PとSは育ちは違えど、人間の中身、考え方の根本が同じということに気付きました。

育ちは正反対かもしれませんが、本質で言うと同じ穴の狢でした。

よこしてきたメールも同じような文章。

受け取った時は哀しかったですが、

今となっては清々しています。


嫌な人が勝手に去って行ってくれたんだから

ラッキーよと、占い師さんも良い友人達もそう励ましてくれました。

そう、私には良い友人がいるんだから。


それでもnoteに書くことで、心の整理がつくので、

書いていきます。

吐き出していきます。


Sとの初めての海外旅行では、本当に仲間割れしました。

でも若かった。若かったから、それほど深刻ではなかったのかもしれません。

それでもその後の卒業旅行では、SとWは先に決めていました。

「私達はやっぱり添乗員付パッケージツアーにするわ。」

と、即決でした。

グループの中では、3組に分かれ、

他にSとWと一緒に行く人はいませんでした。

別の二人はちょっと大人びていたので、二人で気ままに行きたいということで、

残った美人さんと他の二人がとても気が合うメンバーだったので

4人で行くことにしました。

万々歳でした!

だってこの4人で行きたかったんですもの!


Sは、添乗員のツアーが無難と言ったのは、あの旅行が散々だったからと

はっきり言っていました。

添乗員さんい連れて行ってもらったほうが楽しめると。


こんなこと、企画した私に言ってきたのは、

やっぱり最初から私のことが気に食わなかったのかしら?


卒業旅行の写真を皆で見せ合いっこしました。

4人の旅行がもう楽しくて、写真の枚数がすごかったです。

デジカメが出始めた頃、まだ400万画素のエクシリムが最新でしたので、

まだデジカメに信用がなかった私達は、もちろん写ルンですも持って行きました。


そしてSは、やっぱり添乗員さん付が一番と言っていました。

負けず嫌いだったんですね。

学生時代は、おとなしいほうでしたが、

今思えば、一度仲良くなると、毒舌にスイッチが入っていました。

負けず嫌いの決定打となったのは、

私の出身校を自分より格下と言ったこと。

正直どんぐりのせいくらべみたいなものでしたが、

そもそも当時は、隣の学区だったSの出身校が早くも定員割れてしていたこともあり、

負け惜しみでしょうか、みんなの前で、私の母校を悪く言ったのです。

でも、みんな他県なのもあり、なんのことかさっぱりわからない。

この私の母校をディスる発言は、昨年までされていました。

もう高校卒業して、三十年以上過ぎたにもかかわらずです。

もう何度も聞き飽きました。

でも共通の友人にとうとう言われてしまいました。

「もうどこの高校出たとか言う話題なんか出ないよ。」

と。

もう子供達も成人している同級生もいます。

彼女は見事に論破されてしまい、

私は代弁してもらえてラッキーでした。

彼女は言い返しませんでした。


自分の子供は○○高校に受からせたいと言っていました。

彼女のコンプレックスを、子供で解消しようとしているようにも思えます。




子供の幼稚園時代の3年間(卒園後も継続中)、心的外傷だけでなく、家計のために始めたパート代、高校受験でいうと6校分の入学金くらいになる金額を、あるママ友に搾取されました。ママ友、同僚からのいじめ、ねずみ講ビジネス勧誘に悩まされている方のお役に立てられれば幸いです。