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読書記録8:『煙か土か食い物』

今年に入ってお硬い本と実用的なものばかり読んで偉ぶったことばかり書いてたら、気づけば必要な本ばかり求めて必要なことばかり考えて世界そのものを楽しめなくなってしまっていることに気づきました。そんなことを同僚にボソッと言った結果、こう返ってきた。


「舞城王太郎を読め!!!」


「舞城王太郎を読め!!!!!!!!!!!」


もちろん読んだことが無い。最近は小説っても高橋源一郎とか真山仁とか山崎豊子とかとにかく社会の実相に肉薄しまくるものか、宮澤賢治とかとにかく哲学に寄るようなものしか読んでない。本屋大賞を受賞してはドラマ化映画化して5分で泣けるとか言われているものをたいてい唾棄してここまで来ていた私が、講談社BOOKのライトなノベルに見向きもするはずがなかったのでした。

その結果が冒頭のように世界不全に陥っているわけだから、ここは友人を信じてまず1冊読んでみようと思ったのでした。で、図書館に並んでたのがデビュー作だったので持ってきたのでした。

365ページを無事2日で読破。

これはアレだ、深夜に食うカップ焼きそばと同じだ。アレは効く。カップ焼きそばを食べたい時にカップ焼きそば以外のもので満足できるためしがない。アレは不健康を味わうために食べるものであって間違ってもカロリーとかヴィタミンとか言ってはいけない。別に健康になるためにだけ食事があるのではない。本当は食べたいとすら思ってもいないのに、作ってしまったし冷めても仕方ないからとにかく喉に突っ込まないといけない、そういう感覚。

ミステリーなのに全然丁寧に筋を追う必要もないしとにかく殴ってるしセックスしてるし。ああこれはとにかく貪ればいいんだ、と思ってガンガンに読み進めました。
マンガよりも1冊あたりのストーリーが分厚いんだね小説って。そんなアホな発見すらする始末。マンガは1冊読んで満足できないようになってるんだ。だからもっと次のをって求めるんだ。なにそれこんなところで消費行動論?暇と退屈の倫理学?

普段緻密に言葉を組み立てて、教会建築のような整然と必然としたものを目指していたので、突然掘っ立て小屋作って火を付けると楽しいみたいな気分を味わってなかなか爽快でした。高校生とかでうっかり読んでたら文体が感染ってしまってたかもしれない。

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