問屋

高校教員もしている。

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最近の記事

読書記録10:『贈与と交換の教育学』③

前回②は、共同体の再生産としての「学び」の場としての教育を凌駕し破壊する、「純粋贈与としての教えること」という点についてまとめていました。これが「贈与と交換の教育学」の骨頂たる視点であったわけです。 前回の整理が「教える側」に着目し、それを贈与と捉えるものであったのに対し、今回はこれを学ぶ側、つまり子ども側からとらえ返してみます。 教えることによって、教わった者は安住していた共同体から連れ出され、外の世界の「真理」を味わうという体験をする。そうして、味わった後で元の共同体に

    • 読書記録10:『贈与と交換の教育学』②

      前回は本書で指摘される「発達としての教育」が、昨今の教育改革ならびに「理想の教育」そのものの姿であること、そして「発達としての教育」で埋め尽くされた学校とは、主体的に学び有用な者になる生徒と、それを支援する教員によって構成されたものとして現れることを整理しました。 『贈与と交換の教育学』は、こうした「発達としての教育」を精緻化することに終始してきた戦後教育学から抜け落ちた「生成としての教育」に着眼し、それを捉え直すことを通じて、「限界への教育学」へと至ろうとします。その際、

      • 読書記録10:『贈与と交換の教育学』①

        このnoteのように、考えたことや読書した記録を文にまとめていきたいと考えるようになったのは、考え読んだことを「自家籠中のものとしたい」からでした。そうした気持ちが特に沸き起こったのが、2022年に、この本に出会ってしまったことがきっかけでした。 この衝撃的な一冊を、2年経って改めて読み直し、考える起点にしようと思うのです。この一冊からは、あらゆる教育論の一面性を暴露し、全く別の教育を構成しうる可能性を感じてなりません。その割に、改めて読んでも、実は主張は極めてシンプルです

        • 2024 国公立大「国語」並べ読み

           私は「大学入試(一般選抜)の国語の現代文の問題を並べて読む」というアホな趣味を持っております。これまで数回、ある年の国公立大学の国語の現代文の文章をとりあえず読み、バラバラに出されたように見える入試問題の背景に通底する「時代の問題意識」を読み解こうとしてきた過去があります。  入試問題とは、無限とも言うべき数存在する書物から恣意的に選ばれ、この春に大学生になろうとする18歳以上の人々に、「これを読め」と課されるものです。  総合型選抜の割合が増加し、学部学科独自の課題文が

        読書記録10:『贈与と交換の教育学』③

          読書記録9:「お味噌知る」

          年度末と年度初めはそりゃあもう慌ただしい時期でして、ちょっと別の世界に逃れたくなるものなのです。しばらく書くことも読むこともできていなかった。久しぶりに走ったら筋肉痛になるように、久しぶりに読んだら読書痛になるかのような気持ちになります。そのためまずは軽く読み軽く書く。 読んだのは土井善晴先生と娘さんとの共著。土井先生が日々主張する「料理をして食べるという行動がもうそれだけでええんですよ」という主旨の言葉に日々共感しています。 この前旅行に行き、その後春休みの歓送迎会シー

          読書記録9:「お味噌知る」

          木管五重奏「闇鍋」演奏会

          を、聴いてきました。普段一緒に吹奏楽やってる仲間と高校の後輩に当たる方が共演している、自分から見ても不思議な集団。 自分たちも「普段世界が違うのに意気投合した」とのことなので、パラレルワールドのアンサンブルなんだな。 とか思ってたら昨日のオオサカシオンで数年ぶりに顔を合わせた高校の後輩に当たる方と2日連続で邂逅。そんなことある? 演奏会は2部制、前半で正統派をまず2曲、後半で木管五重奏を布教しつつ裾野を広げ、そして挑戦曲。 にしてもソリストが5人存在する演奏でした。それ

          木管五重奏「闇鍋」演奏会

          Osaka Shion Wind Orchestra 第153回定期演奏会

          に、珍しく行ってきたのでした。春休みの微妙な頃合い、身体の疲れが比較的マシな時期に、ちょっと文化的生活をしようと思ったのでした。オール宮川彬良プログラム。 アキラさんの明るく親しみやすい側面を3割、大衆演劇のような情念の描写7割といったプログラムで、自然と観客が巻き込まれていったのが印象的でした。劇団ひまわりミュージカルラボラトリーへの拍手はみんなで子どもたちを見守るような印象。 いわば祭のような雰囲気を感じていました。 米良美一さんの低音の声を民謡歌手的に多用することで

          Osaka Shion Wind Orchestra 第153回定期演奏会

          教育を身体の観点から見直したらどういうことになるんだろう、という思いつきだけ出てきた。これを語るだけの言葉を持ってないのだけど、考えたらなんか大変なことになる予感がする。身体を消去する学校、それに対する過適応としての不登校と、身体消去の完成としてのオンライン学校。

          教育を身体の観点から見直したらどういうことになるんだろう、という思いつきだけ出てきた。これを語るだけの言葉を持ってないのだけど、考えたらなんか大変なことになる予感がする。身体を消去する学校、それに対する過適応としての不登校と、身体消去の完成としてのオンライン学校。

          読書記録8:『煙か土か食い物』

          今年に入ってお硬い本と実用的なものばかり読んで偉ぶったことばかり書いてたら、気づけば必要な本ばかり求めて必要なことばかり考えて世界そのものを楽しめなくなってしまっていることに気づきました。そんなことを同僚にボソッと言った結果、こう返ってきた。 「舞城王太郎を読め!!!」 「舞城王太郎を読め!!!!!!!!!!!」 もちろん読んだことが無い。最近は小説っても高橋源一郎とか真山仁とか山崎豊子とかとにかく社会の実相に肉薄しまくるものか、宮澤賢治とかとにかく哲学に寄るようなものし

          読書記録8:『煙か土か食い物』

          伝達と損失

           音楽をデータで扱う時に、「無損失」の圧縮ファイルにすることがあります。イヤホンを選ぶときにも、「無損失」がいいとかなんとか。圧縮されて音情報が消えてしまわないので、音質がいい、らしいです。今となっては古いレコードも、高音質のままで聴けるのでファンが絶えない、とかなんとか。  無損失の音源ファイルはデータ量が重い。誰かに送ったり即座に聴いたりするときには、損失ありのmp3あたりで十分満足。ちゃんとスピーカーを通したりすると、そのざらつきに初めて気づきます。  「無損失」と

          伝達と損失

          読書記録7:『<責任>の生成』②

          『<責任>の生成』続き。 前回は生徒の選択を「主体性の発揮」とみなすことに、教育の原義から照らした問題がある、という示唆を得たことを書いていました。 この本の中で、直接的に教育に関連する部分がありました。OECDの示す「キー・コンピテンシー」が扱われていたのです。 キー・コンピテンシーとは、コンピテンシーすなわち知識・技能よりも包括的で上位の能力の中でも、特に主要とされるものとして、以下の特徴で定義されたものです。 ①個人の成功と社会の発展にとって価値がある ②さまざまな

          読書記録7:『<責任>の生成』②

          読書記録7:『<責任>の生成』①

          ここ2,3年の読書の中で、國分功一郎先生の著作からは、重要な示唆をもらっています。今回の『<責任>の生成』からも、多くの刺激があります。論点も複数あるので、数回に分けます。 スピノザを専門とする哲学者國分功一郎さんと、脳性麻痺の当事者であり、東京大学先端科学技術研究センター準教授の熊谷晋一郎さんとの対談・研究を収めた本。國分功一郎が『中動態の世界』を出したあと、2017年~2018年に行われたものです。 『中動態の世界』も改めて読み直して書きたいと思っているものです。國分先

          読書記録7:『<責任>の生成』①

          アントレプレナーシップと学問への向き合い方

          とあるセミナーで、起業家の方からの話を聞く、というものを経験してきました。「アントレプレナーシップ教育」を学校で展開する、そのポイントとつながりを広げよう、みたいな会でした。 アントレプレナーシップ教育がすぐ「マインド」とか「リーダーシップ」とかの話になるのなんでなんだろ、と前から思っていたのですが、「アントレプレナー(起業家)になることはあくまで手段であり、起業家の数が増えたら教育が成功というわけではない」という話で納得。アントレプレナー「シップ」の教育なのだから、心構え

          アントレプレナーシップと学問への向き合い方

          読書記録6:『図解でよくわかる 土・肥料の基本』

          というほどに前回までと内容が違っていますが、読んだものの記録をとったらこうなったのだから仕方がありません。 諸般の事情で、職場において植物の育成に関わることにして、土と肥料について勉強を始めたのだから仕方がありません。 小さいころから好奇心がそこそこ強く、いろんなものの仕組みを知りたがってやりたがってしているので、こればかりはもう仕方がありません。 で、読んでみたら面白いのだから困ったものです。科学も何もない時代の農民たちが感覚的に捉えていたことが、科学で説明するととにかく

          読書記録6:『図解でよくわかる 土・肥料の基本』

          合理性を超えた肩入れとしての「好き」

          ・ブラタモリの京都特集を見たときに面白いと思ったのでした。京都の東部と西部の地形差と文化差の呼応、実際歩いてみたいものです。 ・youtubeで米村でんじろう先生の3分動画をよく見ます。科学実験と動画は相性いいですね。「包丁はなぜ引いて切るのか」が、そこが理由だったのか、と驚きました。 ・同僚が日常の中でラップとヒップホップを口ずさみます。勧められて以来時々聴きます。ライムとリリックでバイブスを上げていくんですよね知らんけど。 これ全部面白いなぁ、という話なのですが、「それ

          合理性を超えた肩入れとしての「好き」

          読書記録5:『社会学講義 感情論の視点』

           かつて大学院にいたころに読んだ本たちを、今になって読み込むと非常に示唆に富む知に溢れていることに気づきます。  ゼミに2名の教授がいらっしゃいました。私が所属していた方ではなかった先生の本が上記なのですが、この方の研究が、今になって日々の思考に重要な視点をもたらしてくれます。在学中、せっかく教えを請うのだから、とご著書を数冊買い貯めておいたおかげで、今あらためて読むことが出来ています。  この本が射程とするのは、「魅了される」というような感情的行為です。私財をなげうち、

          読書記録5:『社会学講義 感情論の視点』