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難病営業マンの温泉治療⑭【後生掛温泉 完結】

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 一時サウナと水風呂の交互浴にハマり、近くのスーパー銭湯にかなりの頻度で通っていた時期ある。だが湯巡りを始めてから、気になりだしたのは水風呂の消毒液臭。一日の間に何人もの方が繰り返し浸かるそれは、どうしても衛生面的には仕方のないことだ。

 身体を流さずに水風呂に入って行く者、平然と頭まで浸かる中年男性、見かけるだけで怒りを通り越して哀憐の情が湧く。ある時からもうサウナは足が遠退いてしまった。


 後生掛温泉の箱蒸し風呂は素晴らしいものだった。自然の蒸気と天然水の交互浴。身体がスッと軽くなり、肌が締まる感覚は未曾有のものだ。

 その他、泥湯は粘土色の湯に泥が沈殿し、手で掬い上げると粘土そのまま。こちらの浴槽は温めの設定となっており、40度弱くらいだろう。ここでは15分程浸かる。

 数日間続いた強酸性の連湯でボロボロだった肌は、みるみる内に回復し艶が出てきた。こちらも酸性泉(ph3.2、加水のため少し薄まっているか、)のはずだがほとんど刺激がないように感じた。

 日帰りでも600円で入浴可能。食堂も併設されているので立ち寄りでも十分楽しめるだろう。湯治体験ができるスーパー銭湯と言ったところか。

 食事は例によってレトルト生活が中心。炊事場も十分とは言わないが、最低限必要なものは整っている。
 
 また、後生掛では絶対にやらなくてはいけないことがある。
天然の蒸し器を使った「蒸し料理」。炊事場の中庭に高温のスチームを閉じ込めた木箱があり、専用のネットに食材を入れて放り込む。手を近付けると一瞬で火傷してしまうほどのとんでもない熱さだ。

 トウモロコシやジャガイモなどの野菜類。レトルトご飯もこれで蒸すと旨さがアップするのだという。
 ここでは毎食温泉卵を作った。家のコンロと勝手が違い、火力の調節ができないためなかなかうまくできない。その日の気温や湿度は変わってしまうため、長期滞在の方でも操るのは難しいそうだ。
 
 湯治客にアドバイスをもらいながら、最終日の前日にやっと理想的な半熟が完成した。ちょうど10回目のチャレンジだった。

 到着して以来、問題は睡眠だった。この暑さで、果たして眠れるかどうか。

 昨年11月に入院。退院するもさしたる治療法が見つからず、効かない薬を投薬する日々。1月以降、パニック障害やPTSDの症状が顕著になり、体温調節の機能がバカになってしまった。

 四肢の末端は壊死したように冷え切っているのにも関わらず、下半身(特にふくらはぎの裏)は、眠りにつくと多量の汗が流れる。敷布に足の跡が残るほどだった。
 
 その他、急にバーナーで焙られるかの様に筋肉が熱を持ったりと、元々苦しんでいた不眠症状はピークに達していた。真冬だというのに夜になると冷却枕や冷感シートで頭を冷やすなど百手尽くしてきた。さあ、この暑さはどう出るか、胸懐は不安ばかりだった。


 だが、それは杞憂に終わる。
窓を開けると冷風がドッと入る。外気は5度くらいか。部屋は次第に適温になってきた。床暖房は家庭用のそれよりも遥かに温かい。ここではマットレスや羊毛布団はなく、簡易寝具(座布団の様な素材)だけを轢き、薄い毛布をかぶる。オンドル効果を最大限に引き出すためだろう。

 背面は暖かく、顔や頭は冷えている。このコントラストが眠気を誘った。すぐに全身が温まり10分程でウトウトとし始める。不思議と発汗はなかった。
 瞼を閉じているとポコンと眠りに堕ちてしまった。子供の頃のような感覚だ。マットレスなしの薄布団だと、背中に痛みが出ることも多く、翌日にはバキバキになってしまう。だが何とも不思議、ここではそれも発症しなかった。

 ここでの眠りが本旅では最良のものだった。簡単に行ける場所ではないが、また重度の不眠に苦しんだ時はここに滞在したいと考えている。

 健康になっていることが実感できる有益な4日間だった。名残惜しいがチェックアウトの日。そろそろ南方へと向かわねばならない。

 隣室の女性に挨拶をと思ったが、浴場に行かれたのか不在だった。
またしてもお礼を言いそびれてしまった。これはこれまでも湯治場では何度も経験してきたこと。

 連泊の滞在で幾度となく風呂や炊事場でお世話になった人が、突然いなくなっている。逆もしかり、私も人見知り故タイミングを逃し、最後の挨拶が出来ずに宿を出る。
 
 言えなかった「ありがとう」。帰路に寂寥感に駆られる。

 そういえば以前に下部温泉(山梨)でお会いしたご老人。脊柱管狭窄症と睡眠障害に苦しんでいるという。お互い4日間ほどの滞在だった。すぐに意気投合し、またいつか旅をしましょうと風呂場で話したのが最後の会話。

 翌朝目が覚めドアを開けると置手紙が。自宅の住所と電話番号(家電)、「楽しい思い出をありがとうございました」と添えてあった。不眠症の私を起こしては悪いと思ったのだろう。

 いつか電話をしようと思いながら月日は経っていく。1ヶ月もすれば「俺のことなんか覚えてるかな??」と考えてしまうものだ。あれは2年前のこと。

 今度、勇気を出して電話を架けてみようかな。

 「睡眠障害によい温泉が見つかりましたよ、少し遠いですが、その名も後生掛温泉」


                           令和3年5月14日

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