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私の湯河原温泉の楽しみ方 【元湯旅館 光陽館】

 初めて湯河原を訪ねたのは恐らく15年ほど前のこと。恐らくというのも、学生時分に旧友と向かった先が熱海か湯河原だったか、、露天風呂からの景色はうっすら覚えていますが、往路の特急での痛飲ですっかり酔漢と成り下がり、宿を覚えていません。

 湯の記憶に至っては絶無。当時は循環消毒の有無や、剰え銭湯と温泉の区別すらつかないと言っても大過ないほど温泉に関しては蒙昧でした。温泉旅行の目的は遊興にあったのです。

 それから約5年後、街は既視感がありましたのでこれが2度目の訪問。温泉への興趣が萌芽した頃です。週末ともなると良質な源泉を求め東奔西走。一日に7~8か所、時には血尿を流しながら湯巡りするという蛮勇でした。

 肌と鼻の感覚を成分表の数値と突合させDBを構築していきます。この頃は数値やデータによって温泉を解析できると信じていました。温泉の資格も取り、幾許か知識を武装しての再訪です。

 箱根の仙石原「福島館」を根城に共同浴場を中心に連湯。湯河原熱海まで足を延ばし2日で15か所を回ります。その中で鶏群一鶴の輝きを放っていたのが湯河原の「光陽館」の湯でした。無論、温泉の好みに定量的な評価などできませんので、私の感想に過ぎません。

 それから数年間足が遠のいたのは、山奥に僻在する温泉ほど良質という眼鏡のためで、アクセスが良い湯河原はなおざりにしていたのです。
 状況が変わったのは、持病の悪化により一時運転もままならなくなった数年前。自宅から在来線とバスを乗り継ぎ2時間強で行けるこの地に、病症を鎮めるために通うようになりました。


 湯河原駅からバスに乗り換え10分で温泉街へ。万葉公園を過ぎると閑雅な純和風旅館が左右に建ち並びます。瞠目すべきは宿の敷地内に鉄柱の櫓が佇立している点です。各旅館で自家源泉を保有しており、街自体の湯量が豊富且つ、鮮度の良い湯が注がれている証左です。

 駅近の温泉街というと、その利便性の良さにかまけて湯遣いが蔑ろにされることも珍しくありません。大型旅館が列居し、集中タンクから消毒剤が散布された湯が使い回されるケースです。塩素臭とピリピリとする肌触りは温泉ファンを沈淪させます。

 その症例に当てはまると侮るなかれ、湯河原には100本を超える源泉があり毎分6,500Lもの湯量を誇ります。私が入った湯は宿と日帰り施設合わせて10か所、まだ見ぬ良湯があっても不思議ではありません。

 縦長の温泉街の中腹、一際目を引くのが「元湯旅館 光陽館」です。低層の木造旅館群の中、緩やかに弧を描く箱型の鉄筋宿は異彩を放ちます。昭和の東京オリンピックの年に竣工、外壁も変色し館内もバブルの栄耀と若干のペーソスが漂います。館内は清潔で、少し値が上がりましたが一泊6,600円は許容範囲です。

 この手の大型旅館が廃墟化した例を散々見てきましたが、今なお営業できているのは湯の良さに他ならないと思慮。横恋慕の魔が差し、高級と言われる部類の文化財の旅館や、予約困難な人気宿にも泊まりましたが、結局ここに戻ることになります。


 さてさて激動昭和の生字引。大型旅館を統率した館主は左団扇の益荒男か、女将は闊達な女傑か。いえそんな邪推は見事に外れ、皇族の如き鷹揚な二人のお人柄に恐懼の至り。背筋がすっと伸びたご主人、とても傘寿を迎えているようには見えません。

 「もう辞めようかと思うんですがね、お客さんが辞めさせてくれないんですよ」「私も以前大病をして、この湯で療養したんです。その時に、何故わざわざ遠くから毎週うちに来る人がいるのか分かりました」

 数年前ゴルフ中に狭窄症で倒れ入院となり、車椅子での帰宅となったと言います。多くの旅館関係者と話をしてきましたが、宿屋の経営者ほど忙しさ故ゆっくりと温泉に浸かれないと聞きます。

 度々利用している板室温泉「勝風館」での話を思い出しました。こちらの館主も数年前に脳梗塞に伏し、半身の麻痺が残りました。施設での治療を早めに切り上げ、自らの宿での温泉療養を選択されたそうです。

 以前連泊した際に毎日同浴となり、やはり「病気をしてから自分の宿の湯を見直した」と仰せ。一時4キロまで落ちた握力も現在は20キロまで回復されたようで、今日も帳場に立たれています。


 昨春、光陽館がよもや廃業の可能性もあると聞いたときは肝を冷やしました。源泉の配管が劣化しその交換に莫大な費用が掛かると言います。もし予算が取れなければ・・・秋口になると旅行サイトからプランが消えており、最悪の場合も杞憂しました。

 定期的にサイトを見張っていると、数か月後に予約枠が復活していることを確認。館主に聞くとポンプの交換に成功し、向こう10年は持つと聞き溜飲を下げました。

 宿に引かれる「尾畑源泉」は数件の宿で分湯していますが、濾過循環消毒をせずに使用しているのは光陽館だけのようです。湯河原で似たような湯を探しましたが、眉根に抜ける高雅な香りと体の内側に残る温かさは出色。捜索は難航しました。

 湯が80度以上と高温のため加水があります。以前の私がそうでしたが、成分が薄まることに一家言ある賢人も多いかと思います。ですがこれまで数年間湯治をしてきた私の定見としては、成分の濃淡によって療養の適否が決まるわけではありません。

 何度も通った下部も五十沢いかざわも磐梯熱海も単純温泉(要は薄い温泉)。板室の勝風館、出湯でゆの珍生館も数年前まで単純温泉の表記でした(近年の検体により規定値を僅かに超え泉質名が変化)。沓掛くつかけの叶屋旅館も単純温泉と単純硫黄泉の混合です。


 温泉ソムリエの端くれではありますが、読めば読むほど難解になるのが温泉の分析書です。琥珀色に鼻をつんざく油臭の三穂田温泉、貝汁色に金気臭のマウント磐梯(どちらも福島)が単純温泉であった時は頭を抱えました。

 少し本線と逸れますが、以前こんなこともありました。あれは6~7年前のこと、福島県会津西山温泉での出来事です。格式のある宿に立ち寄りで訪れました。脱衣所に掛かってある分析書には塩化物泉との表記があり、それを確認した上で入浴し、浴感と数値を突合させます。
 
 湯浴みを終え脱衣所に戻ると分析書をもう一枚発見。そちらには含硫黄-ナトリウム-塩化物泉とありました。新旧二つの分析書が掲示されていたのです。最初に見たものは平成6年、入浴後に見たものは平成28年に検体されたものでした(源泉名は同じ、湧出地は異なるので恐らく再採掘したか)。

 私が入っていたのは間違いなく後者の含硫黄泉。細かい数値を確認すると遊離硫化水素(要は硫黄成分)が前者は0.0mg/kg、後者は1.6mg/kgとあります。散々湯巡りをして知識を貯積してきたつもりが、所詮は硫黄泉か否かも鑑別できない生兵法であると自ら証明してしまったのです。

 爾来分析書は参考程度に、データと浴感の突合も撮影も辞めてしまいました。湯の良し悪しは入ってみて各人の判断という場当たり的な思考に帰結しています。


 閑話休題。光陽館は素泊り専用宿なので夕食は外へ。栄華を誇った温泉街ですから、寿司屋に焼肉屋に洋食屋と種々ありますが、私が入るのは仄暗い裏通りにある中華屋「可崧かしょう」。こちらは近くの宿の女将が「地元の方が行く店」と教えてくれた店です。

 テーブルに座敷にカウンター、割と大型の店舗でいつも客がいます。テレビを見ながらビールを呑み麺をすすり、赤ら顔で辞去する様はなるほど観光客には見えません。温泉らしさは皆無の夕餉ですが、ギョーザとネギカラ(ネギを香味で和えたもの)、何故かオムライスががあまりにも旨いです。

 ハイボール数杯で微醺を帯び夜の街へ。宿へは徒歩で15分、緩やかな坂を山風に当たりながら登ります。「伊藤屋」「藤田屋」「富士屋」と、数多の文人墨客が旅装を解いた佳宿をスラローム。湯本通にかかる橋梁の欄干にもたれ嘆息を漏らせば、いつもより時がたおやかに流れるようです。

館主 「おかえりなさい。今日はどちらへ」
私  「可崧さんへ」
館主 「あそこは美味しいですからね」

 宿に戻り3度目の入浴。芳香が身体を纏い、温まった体から熱が抜けるとトロトロと眠気が誘います。長年ベンゾの厄介になった私もここでは自然と深い眠りに堕ちます。

 暁闇に目が覚め風呂に浸かり、さて朝食はどうするか。川下に朝営業をやる店がありますが、どうも瀟洒な造りが肌に合わず店の前まで行きますが入りません(現在は閉業したようです)。

 結局ローソンのおにぎりと野菜ジュースというお粗末な温泉の朝。食後にまた湯に入り、チェックアウトギリギリまで滞在し女将さんに見送られ宿を発ちます。


 旅に求めるものは何でしょうか。
私は湯さえ良ければ、あとは枝葉末節。いつもより少し旨い食事と酒が飲めれば御の字。奇勝も娯楽も色気もなく、町中華にコンビニ飯に昭和の箱型宿。日常と非日常の間を浮遊する此の旅諸賢は首肯せらるるや否や。終

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