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20年間聴こえに悩んで難聴判定された話

はじめに

いつもの自問自答ファッションとは全く関係ない、超個人的な話です。長い(5000字超え)ので気が向いた方だけ読んでくだされば嬉しいです。

10才頃から耳の聞こえずらさに気付いたものの、健康診断でも地元耳鼻科の聴力検査でも「異常無し」判定だった私が、31歳目前にして他県の耳鼻科で「軽度の難聴です」と言われ困惑したという話です。


すべての元凶の小学生時代


聞こえに関する1番古い記憶は10才頃。友達と遊んでる時に、「私、耳聞こえにくかも。」ということを話した。そうしたら「それは聞く気が無いからじゃないの?」と一刀両断されてしまった。確かにその友達のことはかなり苦手で、その年齢で既に胡散臭さを感じる話をする子なので疲弊していた。だから否定はできなかった。けれど、ショックだった。相手がこの子以外であっても、聞こえなくて何回も聞き返すということが増えていたからだ。

ただでさえ不器用で頭悪くて要領も悪い私。周囲の大人からは面倒くさがられていた。ここにさらに「聞こえの悪さ」が加わった。聞こえなくて何回も聞き返す私に苛ついた態度を取る人もまぁまぁいた。金切り声で「聞っきょん!?」と叫ばれた時は委縮した。1度や2度ではない。これは今でもトラウマになったままだ。標準語で「聞いてるの!?」と言われる方が幾分マシな気がする。

この「聞っきょん!?」が怖くて、相手が何と言ったのか憶測で返すようになった。「とにかく早く答えなければいけない」という強迫観念に囚われ、無意識のうちに、「話の内容を考えること」より「早く答えること」を優先するようになっていた。もっと考えて言うべきだったという後悔が増えた。相手への配慮が欠けている。けれどそれ以上に、何回も聞き返して怒られたり苛つかれる恐怖感の方が勝った。

ぼんやりしている子供ではあったが、「聞いていない」わけではなく「聞き取れない」のだから困っていた。小学校5年生か6年生の健康診断で1度だけ、耳鼻科で再検査してもらうよう言われた。しかし、耳鼻科でも異常なしと判定されてしまった。後になって思えば、この時ここで引き下がらずに他の病院もあたればよかった。母に訴えれば連れてってくれただろうに。


会話しない楽さに気付いた中学高校時代

地元の中学は、とても生徒数が多かった。1学年が、小学校の全校生徒の2倍以上の人数で圧倒された。常に周りがガヤガヤ騒がしく、より一層聞き取るのが困難になっていた。多分この頃くらいから「耳悪い?」と言われ始めた気がする。とはいえ、「私もそう思うけど、病院行っても異状ないって言われる。」としか返せなかった。聞こえなくて何回も聞き返すことと、会話のテンポを狂わせることへの罪悪感が増え始めていた。元々、仲良しグループのように四六時中誰かと一緒だと疲れるタチの私は、ほとんどの時間を1人で過ごした。高校生になってもそれは変わらなかった。

接客の仕事と電話

2度の転職を経て、偶に電話も受ける接客の仕事に就いた。幸いにも在籍していたほとんどの期間がコロナ禍だった。なので皆マスクをしているし、レジにはアクリル板があったので、お客さんに何回も聞き返してしまっても「マスクもコレ(アクリル板)もあるもんね~。」と言ってもらえた。

だが電話となればそうもいかない。一部壁で仕切られているとはいえ、ガヤガヤとする店内。電話の音量を最大にしても全然聞こえない。それはもう恐ろしいことに何故か最初から最後までずっと聞こえない。合間合間のわずかな単語を拾うので精一杯だった。聞き取ろうと必死に受話器を耳にぎゅうぎゅう押し付けた。力む手で受話器はメキメキと音を立てていた。いつお客さんに怒られるか冷や冷やした。怖かった。


障害の存在と転機

この職場では年に2回、面談がある。主に「来年度も契約更新してウチで働いてくれますか?」という確認だ。そこで職場のトップに切り出された。勤めて3年経った頃だった。

「もしかして朱鷺さん、耳悪い?」

うわぁついにきたか。普段しょうもない雑談とかいっぱいするこの人が、敢えてここでそれを言うのはそういう意味なんだろうな。幸いにも、心優しく尊敬してやまない上司(上から2番目くらいの立場)も同席していたので腹を括ることにした。

「小学生の頃から、ずっと耳が悪いとは思ってたんです。けど、いくら検査しても異状無しって言われて…。だから耳じゃなくて頭が原因なのかと…。例えば後ろにいる人に声かけられても、声は聞こえるんです。けど、言葉が全然聞き取れない。音としては認識できても言葉が分からないというか…。すみません。」

薄々思っていた。耳に異常がないなら原因は頭じゃないかと。昔見たテレビで、視力に異常は無いのに目の前にある物を認識できない人がいた。それは脳の病気か障害だったか肝心な所は忘れたけど。私の場合は目ではなくそれが耳なんじゃないかと思っていた。怖くて調べはせずに諦めていたけど。

聞き終えた上司は「そっか…。何か出来ることがあったら言ってね。あ、もしかして私の言うことも聞き取りずらい?」と言った。実際めちゃくちゃ早口な上、主語を言わない人だったので反応に困った。もう一人の上司は何も言わなかった。


それから数週間後。面談のことなどすっかり忘れていた時、面談で何も言わなかった方の上司に呼び止められた。

上司「朱鷺さん、この間 面談で耳のこと教えてくれたでしょ。あれから色々調べたんだけど、こういう人たちがいるみたいだよ。」

え!?本人すらもうとっくに諦めてたことを調べてくれたの!?と驚愕しながら、渡されたA4のコピー用紙を受け取る。

私「APD?」

上司「うん。朱鷺さんが言ってた症状みたいに、『聞こえるけど(言葉として)聞き取れない』のは、もしかしたら脳の障害かもしれない。同じように悩んでる人もたくさんいるみたいだよ。こういう本もあるみたいだから、読んでみるのもいいかもしれない。」

そう言って、「APD聴覚情報処理障害」の説明が書かれた紙と、その類の書籍販売ページが印刷された紙をくれた。

障害か…。自分の困った症状に同じように悩む人がいて安堵した一方で、病気ではなく、身体の一部が悪いのでもなく、「障害」という言葉が重くのしかかった。

それから教えてもらった本や色んなサイトを見て、私はAPDという障害なんだと確信した。症状すべてに該当した。とはいえ明確な解決策はないそうだ。

きちんと診断してくれる先生がいる他県の大学病院ではっきりと宣告して欲しかった。その為には「聴力には異常が無い」という証明をしなくてはならないので、地元の初めて行く耳鼻科で聴力検査をしてもらった。案の定、異状は無かった。APDかもしれないから大学病院への紹介状を書いてほしいと先生に頼んだ。すると、

「診断書書くのはいいけど、結局APDだったとしても完全に治すことは出来ない。聞き取りの訓練をするしかない。ラジオの台詞を書き起こすような。だから、もう1度ここに来てください。一緒に考えていきましょう。」

良心的な先生だったと思う。けど、私は「聞こえが良くなること」と同じくらいに、はっきりと「あなたは障害です」か、「あなたの耳は悪いです」のように医者に断言して欲しかった。

そうすれば、これまでのように「あなた耳悪いんじゃない!?」と半ギレされても、「そうだよ悪いよ!!」と言えるのに。(※絶対言うなよ)

半ギレの相手に、「でもいくら調べても異常ないって言われるんです。」と答えてうんざりされるのにも疲れていた。

結局、はっきりと診断してくれないのならと、その耳鼻科には行かなかった。聞き取りの訓練とやらはものすごくストレスになりそうなので、しなかった。毎日の仕事や、慣れない結婚生活で手一杯だった。

それから2年後。

夫の転勤で、仕事を辞めることになった。コロナはすっかりマシになった。アクリル板はなくなり、マスクをしないお客さんも増えてきた頃だった。「聞き取れないことへの言い訳」になってくれていた物がなくなり、焦り始めた頃だった。この思いもよらぬ展開に正直私は安堵した。嫌な奴だなぁ。


20年越しの事実

新しい土地に引っ越した。4ヵ月間は失業手当が入るので、仕事をしなくてもいい生活が始まった。高校を卒業して以来、初めての無職期間だった。

最後の失業手当を受けとった後、1ヵ月以内には新しい仕事に就きたい。次の職場は、最初から聞き取りの悪さのことを知っておいてもらいたいなと思った。となればAPDの判定をもらいたい。大きな大学病院への紹介状をもらう名目で、聴力検査を受けるべく比較的近場の耳鼻科に行った。

聴力検査は2種類あった。普通の聴力検査の他に、語音聴力検査というのがあった。音と音の間が均等ではなかったので、聞こえなかった音があったのは分かった。語音聴力検査の方は、「ち」と「し」や、「へ」と「え」のような同じ段(?)の音の区別がつきにくいなと感じた。が、

先生「軽度の難聴ですね。」
私「え」

障害じゃなかった。え、難聴なんてこれまで一度も言われたことがないんだけど。というか直近の健康診断(約1年前)でも異常無し判定だったんだけど。

先生「普通の健康診断では、軽度の難聴だと見逃されることが多いようですね。」

だったら健康診断の意味なんて(以下略

私「ずっと異状無しって診断されてきたから、APDっていう障害かと確信してたんですけど…。」

この障害を知らない耳鼻科の先生もいるようなので、念のため、あらかじめ問診票に「APD(聴覚情報処理障害)かもしれないと考えています。その場合は、他県の大学病院に紹介状を書いていただきたいです。」と書いていた。

先生「APDという障害は、難聴の人は含まれないのが大前提なんです。」

元々その障害の存在を知ってたか否かは分からないが、言い切られてしまった…。しかしその通りなんだろう。

障害と判定されたとしたらそれはそれでショックだが、これまで何回も健康診断を受け、耳鼻科に行っても何も言われなかったのに今更 難聴だなんて言われたことの方がショックだった。え?だったら丸20年以上見逃されてきてたの?

友達とお茶する時、聞き取ることにめちゃくちゃ神経使って帰宅後はいつもぐったりしてたり、

職場で上司に聞き返すのが怖くて憶測で行動して失敗したり、

本当に聞く気あるの?という顔でうんざりされたりしてきたのも、

色んな嫌な経験、全部しなくて済んだんじゃない?もっと早く診断してくれれば人間関係も人生も変わってたんじゃない?

先生「難聴の解決策としては、補聴器をつけるしかないんです。ただ、朱鷺さんのように軽度の場合は、つけなくてもいいです。こちらから提案できるのはそれくらいです。補聴器は高価なものですし、購入は簡単ではないかもしれないので、一定期間無料で貸し出しもしています。」

すぐに仕事を始めないから日常生活ではほぼ支障ないし、夫にどう伝えるかも考えなくてはならない。補聴器のことは保留にして、帰路についた。てっきりすぐに大学病院に紹介状書いてもらって終わりかと思ったのに、予想外のことで動揺した。聴力検査の結果や軽度の難聴だという診断書をもらうのを忘れた。それからしばらくして補聴器のレンタルの予約電話をした。

夫にカミングアウト

補聴器のレンタルの時 1人では不安なので、夫に付き添ってもらいたかった。そもそも1人でレンタルしてきたとして、夫にバレないのは無理だから時間の問題なのだ。予約日は平日。夫に仕事を休んでもらわなければならない。腹を括った。

病院に付き添ってほしいから、できればでいいんだけどこの日(1ヵ月後)休み取ってくれたらありがたい、という内容で切り出す。そしてこれまでの内容の核心だけ話す。色々思い出したらなんか涙目になってきた。夫は面倒くさがらずに聞いてくれた。

夫「そっかー…。全然そんな風に思わなかったけどな…。」

私「こいつ耳悪いやろって思ってなかった?」

夫「全然思わなかった。あっ、ただ、カーステレオの音量を上げたがるなぁ~とは思ってた。俺はいつも8にしてるけど、朱鷺は必ず10にするから。あ、全然煩くないから いいんだよ!?」

え、いつも了承得て音量上げさせてはもらってたけど、数値なんて全く気にしてなかった。けど夫は覚えてたのか…。

というわけでドキドキしながら打ち明かした。予想はしていたけど、すんなり受け入れてくれて良かった。私は面倒くさがられるというのが一番怖いのだ。

しかし翌日、夫に仕事の休みが取れなかったことを告げられる。すごく申し訳なさそうな顔をさせてしまったこちらの方が申し訳ない。腹を括ってひとりで行ってきます。まぁ、まだ購入するわけじゃないからそんなに気負わなくていいか。


おわりに


気付いたら5000字超えになってしまった。最後まで読んで下さり、ありがとうございました!




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