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終わりよければ全てよし!

トピック: 買ったわけ

By あべりょう

訳のある買い物はあまり覚えていないが、どちらかと言えば、買った訳の多くは、衝動買いと今ここで気づいた。
衝動ではないが、面倒臭さと他人の都合(と言える?)で買ったのが、アパートという話。

現在住んでいるアパートは1994年、サブレット・レントを開始して住みだしたが、2001年9月11日のテロ事件発生を機に、オーナーから「売りに出すから買うか出るか」との択一を迫られた。

あのテロ事件後、マンハッタンの多くの個人的なアパート保有者は、売りに出す傾向にあった。漏れなく我がアパートの所有者も、身辺整理をするかのように、インサイダー価格にするからと、早く早くの意思決定を促してきた。

オーナーは当時40代の初めくらいで、このアパートに住みながら、ブロンクス区に2軒、川向こうのニュージャージー州に2軒所有していた。確かプエルトリコかどこか南米からの移住者二世で、言ってみればアメリカン・ドリームを手中にした人とも言える。

「明日をも知れない世の中になってきた。これからは自分が住む1軒だけを残し、あとは売って身を軽くするつもりだ」と、いかにも獲得した領地を守るかのような、体制固めの感じだった。この内向きモードがニューヨーク社会に蔓延った。

以後しばらくは、賑やかでパーティー好きなニューヨーカーも、あまり外食や外で一杯という気分にはなれなかったのか、アフターファイブにはさっさと家路について、家族や愛する人との団欒の時を過ごす風潮に代わっていった。
街は午後8時を過ぎると、人混みも減って、数年前のパンデミック時までではないにしても、何だか閑散としていたように記憶する。

最近、災難や事件後によく言われるようになった「当たり前のことが当たり前にできることが幸せ」などとは、NYではこの時から多く見聞するようになった。それでも人間は、多くを求め過ぎるのが常ではある。悩ましい煩悩だ!

当時は気のせいか、行き交う人の目は何となく猜疑心を帯びていて、かつては他人でも挨拶を交わし合う風景は普通のことだったが、積極的な他人との関わりもあまり持たなくなっていった感があった。

自分とて種々の理由から不安な面もあったし、そもそもこのままNY生活を続行するか否かも決められずにいた。アパート・オーナーからのオファーも、あまり真剣に考えられずにいたが、とにかく決定は急がなければならない。

最終的には、オーナーから押され気味の状態で、重い腰を上げて弁護士を探したり、各社のローンなどを調べた記憶がある。つまり自分にとって、それなりに大きな買い物をするにも、全く能動的ではなく、仕方なくということだった。

ローンは確か4・5、6%の率だったからそう悪くはなかった。昨年平均は5・5%、現在は7%を超えているようだ。ローンが高くなると新築の購買より賃貸に傾くわけで、マンハッタンの賃貸平均価格が昨年6月は$5000を超えた。
因みに昨年のNY市 5区の賃貸アパート平均価格は、①マンハッタン$4145、②ブルックリン$3363、③クイーンズ$2980、③ブロンクス$2375、⑤スタッテン島2166となっている。(Zillow、StreetEasy等調べ)。

もちろんどこの地もそうだが、特にNYの価格高低は大いにロケーションに左右される。しかし、ジェントリフィケーションと銘打った土地開発、それに伴う人の移動によって、明日はどのように良くも悪くも変わるか予想がつかない。

今では一等地と言ってもいいほどに衣替えしたチェルシー、ローワーイーストサイド、ブルックリンのウィリアムズバーグ、そしてクイーンズのアストリアなどは、最初は二の足を踏む場所だった。

例えば80年代から90年代の初めは、いわゆるヘルズキッチン(南北34−59丁目、東西8アヴェニューからハドソン川)と呼ばれる辺りは、個人的には昼でも安心しては歩けなかったが、今ではレストランやバー、劇場が多く出現、最も人気の場所の一つに変わった。当時から住んでいる友人は、アパートの値段も鰻登り、、と。

自分の住むエリアは、”危険だから避けよ”、のステレオタイプな日本の観光ガイド書の影響か、当時は日本人はほとんど住んでいなかったが、日系の高齢者カップルの一組と知り合えてお世話になった。今では若い日本人や特にミュージシャンやアート系の流入が目立っている。(これまで事故に遭ったことは一度もない。)

とにかく、アパートのレンタル、購買ともに高騰する一方の現在、あの時は仕事が忙しいせいもあったか、面倒で引っ越しなどする気になれず、他の場所のチェックもせずに購買を決めた。これが「結果良ければ全て良し」の言葉通り、今となればグッド・チョイスとなった。

不動産の転売で商売する気がないのであれば(あったとしても)、キリキリして探し回らずとも、ラッキーが転がり込むこともあるものだ。物事は主体的に決めれば納得もいくとは思うが、パッシブでも「人間万事塞翁が馬」、流れに任せるのも決してネガティフばかりではないなと、今では自分に言い聞かせている。💦

阿部良光: ミシシッピー州立大を経てNYに。地元邦字紙編集/記者からボディー・ワーカー。滞米44年め。汲々自適のほぼリタイアライフ。

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