心と身体3

 アレクサンダー・テクニックと言われるテクニックが存在する。「西洋の禅」と呼ばれるこの「テクニック」は、オーストラリアのシェイクスピア俳優フレデリック・マサイアス・アレクサンダー(Frederick Matthias Alexander, 1869年 - 1955年)によって発明され、アメリカ、イギリスへと伝えられ今日では世界中の音楽大学や演劇学校、さらにパフォーマンス以外の分野でも取り入れられてる。アレクサンダー自身は「テクニック」という用語を用いなかったようであるが、なるほどその全容を掴むことは難しいし、本日無理やり体系化されたそれは、本質からは遠のいている。それでも、アレクサンダーの直弟子、つまりアレクサンダーからその「テクニック」を実際に能や武道のように「口伝」で伝えられた(ここで口伝とは肉体的経験を主に、という意味にとって欲しい)者からその一端であれを継承した指導者もいまだ存在する。アレクサンダー「テクニック」の場合は、それを体系化し、「学校」という形態をとって継承することを試みた。筆者はここに東西の大きな違いを見つけるが、ここでは取り上げない。ともあれ、今日この「心身一如」をその一端であれ、「体型」化する鍵は、このアレクサンダー「テクニック」の数少ない継承者と、アレクサンダー自身による著書に存在すると言っても過言ではない。

 さて、心身一如に関してだが、ペドロ言葉を借りれば、肉体と精神を分けて語ったその瞬間から、「一体」の存在としての「短所」や難しさを克服することはできないと語るように、西洋において「存在」を肉体と精神に分けて考えることが前提に語られる。アレクサンダー・テクニックの著書を見れば、この「一体」について語ることへの苦闘が見受けられる。アレクサンダー・テクニックの要は、個々の育った環境や生活の中で培われた心身的な習慣を断つことでもとあるべき「動物」としての人間の動きが蘇るという者である。特に、文明の発達の中で不自然の使用を促された腰、背骨、首の状態に着目することから姿勢へのアプローチと見られがちである。ペドロの言葉を借りれば「Form」と「Fitness」の違いがここに存在する。「Fitness」は鍛えるほど重いダンベルを持ち上げさせるもの、「Form」は力のない女子供が重い水を頭の上で運ぶようなそんな力である。「Form」は身体的力の度合いによらない、この「一体」のステータスそのものを差すのである。言うなれば心身状態である。

 アレクサンダー・テクニックはこの「Form」に働きかける「テクニック」である。自己の心身状態を向上させる、または整えることで、以前より重いものが運べるということである。アレクサンダーは度重なる声枯れの原因を鏡に囲まれた部屋で自力で探し出した。それは「自分自身」の使い方そのものであった。声を発する方法のみに着目するのではなく、心はどうあったのか、体はどのように反応したのか心身状態にその鍵はあった。例えるならば、車の故障と思っていたものが、実は運転の仕方であった・・・・というのでも不十分である。車は自分自身、しかしハンドルを握るのもまた自分自身なのである。

 まとまりのない文章となったが、いずれ「Form」については詳しくより正確に、具体的に述べていく。

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