Toki

芸大卒、イギリス留学3年目のオペラ歌手。演奏会の企画、プロデュース、制作、音楽作品のた…

Toki

芸大卒、イギリス留学3年目のオペラ歌手。演奏会の企画、プロデュース、制作、音楽作品のための詩や台本制作。自分の世界を体現するための音楽。21世紀の音楽との向き合い方。

マガジン

  • 音道

    心身一如 ー体と心を一つのものとして考える。 禅道、武道、芸道・・・日本には仏教以外にもこの心身一如の体現を目指す道がある。完成された「型」は心のあり方をも示す。「稽古」を通して魂を 育てる。 「修行」をクラシック音楽の修練において実践する方法を模索するための研究。

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心身一如を目指して

このマガジンでは基本的に、心身一如を理想としたアクティビティを参考に、その実践をクラシック音楽の鍛錬の中で試みるための議論を、ラフに書いていきます。 当面は、自分の留学先であるギルドホール音楽院の卒業エッセイで書いたものをもう少し噛み砕いて、コラムのように連載していきます。 大体流れは・・・・ 「考えることがたくさんの音楽。」ーなぜ今このアイディアが必要か。 「プレゼンスと心身一如」    ー心と体が一体化することとは。 「型、形、方、form。」     ー型をわかり

    • 不要不急。無価値な芸術。

       コロナ禍は現代社会の日常を奪った。当然のその影響は芸術にも及び、結果的に我々は芸術家は、芸術の価値や意味について議論することを強いられたわけである。お金がもらえないから、コンサートができないのだから「芸術は不要不急」とみなされたという解釈自体が、音楽家自身も芸術を資本主義構造における消費の対象と見做しているというパラドックスを明るみに出したと思う。(ここでの芸術というのは主に音楽の、特に僕のやっているクラシック音楽のことですが。)  芸術界のお金まわりは良くない。よくある

      • 心と身体3

         アレクサンダー・テクニックと言われるテクニックが存在する。「西洋の禅」と呼ばれるこの「テクニック」は、オーストラリアのシェイクスピア俳優フレデリック・マサイアス・アレクサンダー(Frederick Matthias Alexander, 1869年 - 1955年)によって発明され、アメリカ、イギリスへと伝えられ今日では世界中の音楽大学や演劇学校、さらにパフォーマンス以外の分野でも取り入れられてる。アレクサンダー自身は「テクニック」という用語を用いなかったようであるが、なる

        • 心と身体2

          能における演技者のレベルを指す言葉や表現はいくつかあるが、「身体論」のなかで湯浅は特に「安位」と「蘭位」について以下のように触れている。 「安位」は表現の技巧と内心の充実が一応相伴った境地であるが、これはさらに「達者」と「上手」に分けられる。達者は音曲・舞・所作がよくこなせる人で、どちらかと言えば技巧面に優れた人である。これに対して上手は芸の心を会得した人である。「さるほどに面白き味はひを知りて、心に手する脳は、さのみの達者になけれども、上手の名をとるなり。」いずれにせよ、

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        心身一如を目指して

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        • 音道
          5本

        記事

          心と身体 1 -行わずして為す。

          「合気道において目指すところはなんであるか?」師範である、ポールに問う。合気道には試合はない、当然勝ち負け、強弱を決めるためにするのではない。僕は、自分の演奏のパフォーマンス向上のために合気道を始めた。武道は、姿勢、呼吸、エクササイズ、瞑想、エトセトラ、もろもろパッケージになっているから。しかし、そこに集まる他の人は?ポールは自分の昔話をしてくれた。 数十年前の話、ポールはロンドンの地下鉄に乗っていた。友人と立っていると、隣の席の黒人女性に対し差別発言、暴言を投げかける男が

          心と身体 1 -行わずして為す。

          クラシックと教養。

          クラシック音楽の敷居を下げると、エンタメと芸術の違いとかってちょっと前に流行った。コロナの影響でクラシック音楽は大ダメージ、生の演奏というのはますます孤立した特殊な体験になっていくのだろうと思う。コロナ影響後の音楽産業において、その他の芸術や、音楽に比べて、クラシック音楽のあゆみは一歩遅れてしまうだろう。例の問題はその一つの原因でもあると思うし、一度言いたかったからかく。 まず、クラシックの語源はラテン語のclass、「最高の」という意味を持っている。はっきり言う。敷居は高

          クラシックと教養。

          考えることがたくさんの音楽。

          自分はオペラを勉強しています。音楽が好きだったから。次に歌うことが楽しかった。そして、「正しい」歌いかたを学び始めた。「いい声」を目指すようになった。人前に出ると緊張するようになった。学校では楽譜通りに歌えと怒られた。音程は正確でなければいけないし、歌詞を間違えてはいけない。演出家や指揮者の要求に応えられるようにと育てられた。体調管理に気をつける、「責任」のために。色々考えることが増えた。ちっとも上手くなった気にならない、なんて思う時もある。外国へ行った。少し上手くなったけど

          考えることがたくさんの音楽。

          夢を持つ理由。

          どうしてオペラを始めたのと聞かれることは多い。音楽の先生になりたかったと答える。 もちろん今は音楽家として研究を続けているが、教員免許も持っているし、数人の生徒に教えることもある。歌を教えることは難しくはない、知識も経験もそれなりにあるし、苦労もしてきたからだ。ただ難しいのは、向上心や情熱を教えること。 「私は音楽家を目指しているわけではありませんから」つまらない基礎練習の中で、こんな風にこぼす生徒さんさえいる。なるほど、それはそうだと頷く一方、音楽家を生業にしようと志す

          夢を持つ理由。