考えることがたくさんの音楽。

自分はオペラを勉強しています。音楽が好きだったから。次に歌うことが楽しかった。そして、「正しい」歌いかたを学び始めた。「いい声」を目指すようになった。人前に出ると緊張するようになった。学校では楽譜通りに歌えと怒られた。音程は正確でなければいけないし、歌詞を間違えてはいけない。演出家や指揮者の要求に応えられるようにと育てられた。体調管理に気をつける、「責任」のために。色々考えることが増えた。ちっとも上手くなった気にならない、なんて思う時もある。外国へ行った。少し上手くなったけど、考えることはもっと増えた。音楽、発声、演技、発音、それぞれいろんな人に習ったし、自分でも勉強した。練習時間が足りない、いつも準備ができていないような気持ちになる。毎日、気が抜けない。体力が追いつかないから筋トレも始めた。また時間がなくなった。イライラする時もある。やめてしまいたい時もある。みんな明るい顔でやっているのに。素晴らしい歌手になりたいから、良い人になりなさい。見た目もよくしなきゃ。健康管理で食べ物も気をつけて、エトセトラエトセトラ。

思い当たる人はいますか?クラシックの演奏家で、音大を出てたら同じように感じると思います。一口にオペラ歌手って言っても色んなことが必要だし、やればやるほど考え事が増える。アスリートと同じなんていう人もいる。でもジャンルが変われば、酒飲んでタバコ吸って薬やって歌ってる人もいっぱいいる。なんかクラシック音楽だけ肩こりすぎ。

正直これ、心身二元論的な考えの影響だよね。全部分けて勉強するし分けて評価する。心と体を分けて考えるから、上手くいかない。心と体が一致しない状態って例えば、運転始めたばかりとか、慣れたら考えなくても、電話してても運転できる。時計の針の音が気になり出すのとかもこれ、無意識にあったものが意識に上がってくるとそこに体が反応してしまう。

某先生がイギリスでの某コンサートの話をしてくれた。楽屋がお能の人と声楽家で同じだったとかで、声楽家の方々がワーワー発声する中で、一声も発しない彼ら。「発声はしないのですか?」と尋ねれば、「そんなはしたないこと」と一笑。心身の一致がパフォーマンスでできてる人はいつもベストコンディション。

具体的な改善点と改善法を探し続けたら、一生満足できないし一生初心者ドライバー。っていうんで、東洋の身体論をいま勉強する意味があるんです。心身一如、体と心が一致して主体がなくなった状態を目指して修行、もしくは稽古をする。修行は身体的な鍛錬を通して心を育てること。瞑想の運動形態。技術を習得するための練習もいらないし、心を育てるためのセラピーもいらなくて。いま必要なのは「魂」を育てるための鍛錬。はて、オペラでそれが実践できるかな?

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