ああ、大道芸 寅さんを生んだ世界(三)

第三章 寅次郎と発します、因果な稼業をしてオリヤス!

寅さんの職業はテキヤです。この呼び名は明治時代になってからの呼称で、それまでは香具師(やし)と呼ばれていました。その香具師の歴史を真面目にたどるとなると、それは日本文化史の一部となってしまい、現実に芸能史などの名で大学で研究している先生が多数おられます。また、その著作も多いため、ここでは歴史を講義するという肩苦しい話ではなく、テキヤと啖呵売の関係に絞って、気楽な読み物としたいと思います。

香具師は先ほど述べたような露天商や行商人のことですが、テキヤという響きには何か、危うい怖そうなイメージを連想するのはなぜでしょうか。

 そのためには、「ヤクザ」と「テキヤ」の語源を知る必要があります。

まず、ヤクザは漢字で書くと「八九三」となります。この由来は、8+9+3=20となります。花札賭博では、札の合計数の下一桁で9が最高、順に8,7…で価値が下がり0は、価値が0です。

即ち、花札の合計が10、20は役立たずの札です。これが転じて「八九三」は役立たずの人間、ゴロツキを意味するものとされました。一方、国語辞典(三省堂)でヤクザを引くと「非合法な稼業を正業とする者」とあります。江戸時代から戦争直後まで非合法の代表的行為は賭博でした。このことから賭博をするもの、「博徒=ヤクザ」のイメージが定着しました。これに対し露天商はどの時代でも合法的ものと認められてきました。

 次に、テキヤの語源についても調べてみましよう。

 テキヤの語源は的屋(まとや)です。今でも温泉地などに行くと雛壇に並んだ景品に鉄砲を撃って、景品が倒れると「あたり!」というあの商売です。江戸時代は、鉄砲でなく弓で行っていました。この職業、あぶれ浪人の間で求職人気が高かったそうです。実態は、景品に当たると「あたり!」ですが、見様(みよう)に寄っては弓をレンタルし「もっと胸を張って、力一杯弓をしぼって」など弓の指南をしているとも見て取れます。

身分制度が厳しく、履物を作るものは身分が卑しく、傘をはるものは身分が尊い時代です。「弓術の指南をしている」と言えた上、日銭の入るこの職業は浪人たちにとって、武士の面目と誇りを満たしてくれる憧れの職業だったわけです。

この商売、だれでもわかるように的の絵を書いてぶら下げました。そこから的屋となり、業界固有の隠語で音読みし「テキヤ」となりました。香具師の中でも浪人がすることが多くテキヤ全体の用心棒的な役割もあり、存在感のあったこの職業は明治時代以降、香具師全体を意味する言葉となりました。

テキヤ(香具師全体、広義の意味でのテキヤ)は、江戸時代より一般社会とは異なった一種独特の閉鎖的な社会を作っていました。テキヤは一定の場所に店舗を構えず、お祭りなどに合わせ各地を漂泊し商売をします。このような社会では、あらかじめ一定の秩序や掟を定めておかないとトラブルや混乱の原因となります。

例えば「場わり」があります。お祭りでどの場所に出店するかは重大です。社の近く、目抜き通りの中央、場末の隅になるかで売上が大きくちがってきます。また、同じ商品を売る店が複数かち合っては客の奪い合いとなります。

これらの問題を采配するため、全国に「庭場」と呼ばれるシマを支配する親分達が各地にいました。親分は子分を使い庭場での祭りの興行を采配しました。また、親分子分の強いタテの関係で「一家」が形成されます。出店場所を決める権利である場わりは親分が独占しており、テキヤは親分の指示に従わなければなりません。ある一家に属するテキヤがよその庭場で商う場合は、「家」と「家」の掟に従って行動します。このように構成員を「家」という縛りによって秩序立て、移動するたびに起こるトラブルを解消する独特の仕組みがテキヤにはありました。

その一例が親分交代の相続襲名です。テキヤの神様である神農黄帝の掛け軸や塩、酒の供え物を床の間に飾り、その前で新旧親分、親戚一同、立会人、後見人、見届人が厳かに決められた上下関係の順に盃を回し、口上を述べます。

また、アイツキというものがあります。これは「付き合い」を逆にいったもので路上で初対面のテキヤ同士が出会うと、寅さんが「わたくし生まれも育ちも葛飾、柴又です」とするように、体を斜めに構え右手を出し、決まった啖呵でどこの一家に所属するかを名乗りあって自己紹介するものです。

 このような親分子分の関係、「家」と「家」の儀式、掟、しきたりの多くによって庭場の間のトラブルを解決する仕組みがテキヤの社会にはありました。親分は、祭りに際しては興行主であり、先ほどの「場わり」のほか露天営業のための水の手配(水道のない時代、商いをする上で水の確保は重要)、物資の世話、トラブル仲裁等、平常時には、子分の世話、卸問屋してネタ(商品)の仕入れ等があり、人の面倒見のよい目先の利いたものでなければなれなかったようです。

 一方、そこへ弟子入り者の中には将来、独立してのれんを掲げた店舗経営を夢見るハングリー起業家も多く、ヤクザとは異なる側面もあったと思えます。


第四章へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?