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誕生日の母からの手紙

先日、誕生日に実家から大量の食糧が送られてきた。

その中に、母からの手紙が一通。

Happy birthday to ゆうちゃん

久しぶりの “ちゃん” 呼びに、きゅんとした。

最近はめっきり “あんた” とか 呼び捨てが多いのだけど、
そういえば、小さい頃は “ちゃん” 呼びされていたんだった。

それと、このスヌーピーのシール・・・ 
私が小学6年頃に近所のスーパーの文具売り場で買ったシールじゃん。

封筒も、私が中学の時に吉祥寺で買ってきたやつだし。

我が家は、物持ちが良いので、こういうレガシーを現在進行形で大切に使用していたりする。

実家の掃除機は、私が生まれた40年前から使用していたものが、いまだに現役で活躍中。
もはや、昭和の博物館に寄贈した方が良いのではないか、とすら思う商品で、レトロで可愛くて、構造がシンプルなせいか、やけに頑丈で一度も壊れずに使用し続けられている。


手紙をあける前から、懐かしいシールや封筒のおかげで、実家での思い出や過ごした時間がいっきに呼び起こされて、すでに心はふかふかで、“いつでも泣ける5秒前“な状態で母の手紙を読んだら、やっぱり涙が出た。

肉筆ってほんとうに良いものだなあ。

母とは普段LINEもするけど、それとは違うものが心に届く。

肉筆の手紙は、母そのもの。


手紙を手にとって、読む。
この行為の手前には、手紙の贈り主が、便箋を選び、文章を考え、書き、封筒を選び、シールを選んで貼る。
その一つ一つに、こうしよう、ああしよう、という想いがあり、それが実体をともなって手の上に届く。


もちろん、食糧もありがたいけれど、その一通の手紙の威力たるや。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。

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