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あるがままの自分と付き合えば良い

家事や仕事でクソ忙しい時に、世界平和についてどうすべきかなんて考える事は出来ない。

仕事でミスをして怒られた帰り道に、幸せを独り占めしているみたいな出来立てホヤホヤカップルを温かく見守ってあげることなんて出来ない。


それは心が狭いとか、そういう問題じゃないんだと私は思う。

他者を思えない自分が悪いわけでも、心が狭いわけでも、ましてそんな自分に嫌気がさす必要もありはしない。


そんな状態の時は、自己嫌悪になんて陥らず、ただ単純に、

「あぁ、エネルギーがなくなってるんだな」

と思えば良いのだと思う。


他者を思いやれない心は、自分でいっぱいいっぱいになってしまっているシグナルの1つだ。

人は一定時間の睡眠量を必ず必要とするように、疲れれば眠たくなるし、自分がぎりぎりの時は自分の事だけしか考えられなくなるように出来ている。

別に自分が嫌なヤツになったわけでも、心の狭い人間になってしまったわけでもない。



私は自分がそういう状態に陥っていると感じた時は、とことん甘やかすようにしている。

ひたすら美味しいものを食べて、自分が好きだと思う事をして、沢山寝る。

面倒な事ややりたくない事は、出来る最大限で翌日に繰り越していく。

そういうものは、元気な自分がやれば良い事。

エネルギーが枯渇した時は、とにかくひたすらに自分を甘やかすのだ。

大丈夫、少し位休んでも、世界は勝手に回っていく。


そうしていると、1日か2日でエネルギーが湧き出てくることもあるし、1週間かかる事もある。

でも、何日かかったとしても、必ず浮上する。

低迷している時の私は、ただそれをじっと待っているだけで良い。



以前はそんな怠惰な自分が不甲斐なくて情けなくて、どうにかエネルギーを持たせようと躍起になっていた。

やらなくてはならない事が山積みになっていく事実が耐えられなかったし、自分自身をうまくコントロール出来ない自分にも腹立たしさを覚えた。


けれど、自分を自分で否定すること程辛いものはない。

心はもっともっとダメになっていくし、そんなダメな自分が益々情けなく感じるしで悪循環。

結局どんなに叱咤激励してみても、自分自身を鼓舞してみても、自分を追い込むだけで良い結果に転じた事はなかった。


そうやって七転八倒して、ようやく気付いたのだ。

何をしても、結果は同じなんだ、と。


自分を否定すればエネルギーが湧き出るかと言えばそういうわけでもないし、自己否定を繰り返して自己嫌悪に陥れば自分が奮起してエネルギーが早く湧き出ると言う事もない。

結局、自分をなじってもなじらなくても、浮上には同じだけ時間を費やす。

それなら無理に自分を傷つける必要もないし、ただのんびりとその時間が来るまでやり過ごしていればいいじゃないか。


そう気付いてから、私はどんな状態の自分も受け入れるようになった。


私は、自分が浮上する事を知っている。

自分に余裕がなくて、満員電車の中で寄りかかってくるオバサンについ意地悪をしたくなる時もあるけど、また違う時は道行くみんなに挨拶をしたい位気分が軽かったり、不必要な雑用を笑顔で引き受けてあげたくなってしまう時だってある。


簡単に言えば、そういう事なのだ。

どちらも自分で、どちらかの自分とだけ付き合う必要なんてない。

人間は多面的な生き物なんだから、良いものと悪いもの、清濁併せ持っている方が魅力的になるだろう。


開き直りと言ってしまえばそれまでかもしれないが、私はそう思うようになって、生きるのが随分楽になった。


あるがままでいい。

良いも悪いもどちらも持っていても良い。



ただそれだけの事なのだけれど、生きる事に息苦しさを感じている人がどこかにいたら、少しは楽に生きられるヒントになるのではないかと思い、今日はこの事を書く事にした次第である。

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