見出し画像

カミングアウトon年末。わたしがハッピーなんだから心配しないでくれ。

 お仕事をチェンジして新しい道に走り出そうと決めたが、いきなり春から娘が職場に出かけず家に居続けるようになる訳にもいかないので、大晦日の夜の食卓で、両親にそのあたりの事情を説明した。しかしいきなり「お話がゴザイマス」などと言うと、年末に彼氏のところに行った直後だから誤解されても困るので、「ケッコンします、とかいう話じゃないよ」という言葉を枕につけたところ、お仕事の話の後に彼氏の詳細まで説明する羽目になり、新年を目の前にして家中が暗い雰囲気になってしまった。こっちは「ケッコンしますバナシじゃねぇよ」と笑わせて掴みはオッケー、と予定していたのに、親はにこりともせず殺伐とした感じになってしまったので、ライブの冒頭で滑ったひとみたいな立場になり、死ぬかと思った。

 新年早々家出したい気持ちになったが、親のテンションダウンに気づかないふりをして陽気に過ごしていたので、1月2日となった今日は、随分親も立ち直ってきたみたいだ。とりあえず、娘が突然高価な壺でも買い出すようなテンションで持ち出した話ではないと、徐々に受け止めたのだろう。わたしも過去には、メンタルが限界に達し仕事を辞めて地元に戻ってきたり、嫁に行ったと思ったら警察に引き取りにくる羽目にあわせたりといろいろやったので、親の心配が分からない訳ではない。

 やはり親の「危ないことはしないでくれ」「安定した落ち着いた道を進んでくれ」「あんまり頻繁に変化しないでくれ」という願望は大きいみたいで、できることなら勤め人として淡々と給料を受け取り続けて欲しかったらしいし、確かめてはいないが、今度は平凡な想定内の男とくっついて欲しかったのだろうと思う。わたしも彼氏のアウトラインを話しながら(こんな男では、ネガティブ条件のオンパレードなのでは)と思わずにはいられなかったし、逆説的な話だが、彼氏の娘さんがこんなボーイフレンドを連れてきたら、彼氏でさえ「ちょっと……ドーシテ日本人の子どものいない男の人を連れてこないノ?」くらい言いそうな気がする。つまり、自分事だとちょっとくらい羽目を外した人生を送る男でも、こと自分の子どものこととなると、相当保守的なことを言い出すということだ。わたしには子どもがいないので、その辺の心理は子ども側の立場でしか分からない。

 しかしながら、どんなに外から見たら幸せそうな外形を保っていたとしても、当の自分がハッピーであるとは限らないのだ。父が言うには、わたしが大学を卒業する時にちょっとした有力者である母の叔父がわたしを県職員にしようと目論んだらしいのだが(そしてわたしもあの頃の就職氷河期っぷりが凄かったので、つい公務員試験を受けそして落ちたこともあるが)、今になってみると本当に公務員にならなくてよかったと思う。役人、もの凄く向いてない。これまでのお仕事歴は紆余曲折を経て生涯賃金も犠牲にしたが、自由裁量で動くことへの志向性とその能力も結果的には蓄積することができてラッキーだったなと思うし、どんなに彼氏が外国人でおじいちゃんで2回も結婚していて子どももいて孫までいるとしても、重要視するところはそこじゃないことが結婚と離婚を経て分かっているから、ハッピーなのだ。(なんでまたそんな人生を……)と他人様から思われたとしても、そんな人生がわたしにとってはハッピーなのだ。そしておとうさんおかあさんだって、わたしが40数年間生きてきた中で多分この数年が一番生き生きとしていて、彼氏と出会った後にめきめきと立ち直ったことはその目で見てるんだから、心配しないで分かって欲しい。

 父には「まあ、何をやってもいいが、失敗しないように」と言われたけれど、「失敗するに決まってんじゃん!」と答えた。先が完全に見通せる訳じゃないし、ゼロリスクのことに乗り出す訳じゃないんだから、失敗はするに決まっている。ただ、失敗したってリカバーするから、大丈夫なのだ。「失敗しない人生」を目指したら、もう振り返ってみただけでわたしの人生は大失敗だ。めぼしいところを拾ってみただけで、7回はでかい失敗をしている。しかし、「失敗しても大丈夫な人生」方向にレールの分岐器を敷いたので、たとえ失敗したとしても、わたしの人生は失敗じゃないのだ。

 少し誤解を招くかもしれないが、「途中で失敗しても最後に成功するから、トータルで見たら、成功!」という話ではない。わたしは多分、「成功というゴール」を目指して走っている訳ではないのだ。走りながらある時失敗にぶつかってもある時成功にぶつかっても、その過程がハッピーであること、走りながらハッピーを感じられること、多分わたしは、それが欲しいのだ。

 この先だって、貧乏なままかもしれない。格好いい賞なんか手に入らないかもしれない。彼氏とは結婚しないかもしれないし、別れちゃうかもしれない。というか、彼氏と人生全うしても、彼氏は確実にわたしより20年は早く死ぬ。それに、わたしだって50年後くらいには、結局、死ぬ。だから、安定して、低リスクで、ひと様から「まあ、いいことね」と言われるような人生を、我慢して、ストレスを忍んで、破綻なく進行させてフィニッシュを迎えるより、どんなに危なっかしいように見えても、その過程に幸せを感じながら走り抜けた方がいい。だって、走ってる途中の方が長いんだから。それに、本人が幸せそうに生きてれば周囲も幸せな人扱いしてくれることは、わたしが離婚してこの町に帰ってきた時「なんだか随分変わって。言っちゃあなんだけど、明るくなって」と述懐した、町内のおばさま方の言葉で証明済みである。わたしは離婚してからこっち、「可哀想な人扱い」は一切受けていない。

 だから、親には心配しないで欲しい。心配したくなったら、わたしの様子がハッピーそうかそうでないかだけ、気にして欲しい。それに、そんなに簡単にコケないから。そのために、太い単線レールの道じゃなくて、いろいろなレールを複数敷いて準備してるんだから。そのくらいの狡さは、あるから。

 さあ、次の段階は、職場との折衝と彼氏カミングアウトだ。「お仕事、変えるの」そう伝えたら彼氏はどんな反応をするのだろうか。実はちょっと頭が痛い。だって彼氏も、結局は「ひとの親」なので、時々えらくパパ臭いことを言ったりするからだ。面倒くさい!

アマゾンギフト券を使わないので、どうぞサポートはおやめいただくか、或いは1,000円以上で応援くださいませ。我が儘恐縮です。