ふたりでいっこ

「西瓜をまるごと一個食べるのが、子どもの頃の夢だったの」
 香苗はキッチンで西瓜をすとんすとんすとんと切ると、部屋のドア越しに皿を伸ばしてよこした。

「まるごと?まるかじり?」
 僕が皿を受け取りながら言うと、香苗はくくくと笑って、
「皮が剥ける訳じゃなし、まるかじりできる訳ないじゃないの」
 そして、
「塩いる?」
と、味塩のビンをひらひらと振って見せた。

 僕はフライングで一切れの先っぽを折り取り、口に入れてみた。よく冷えたしゃりしゃりの果肉は、なぜか甘味を薄く感じさせる。ちょっと甘味を強めたかったので、僕がうん、と言うと、香苗はキッチンから部屋に戻ってきてローテーブルの前にすとんと座り、
「わたしは塩なし派なの」
と言って、僕に味塩を渡した。

「さあ、食べましょう」
 香苗は西瓜に手を伸ばしかけて、先っぽの欠けた一切れを見つけて、ん?という顔になり、僕を見た。
「んー、なんか多分、西瓜細胞のオートファジー作用……」
 香苗はぷっと吹き出し、一切れ取り上げると、勢いよくかぶりついた。僕もその、オートファジーの西瓜を手に取った。

 香苗の西瓜の切り方は上手い。包丁を入れる角度を変えて頂点が鋭角になるように切り、食べても頬が汚れないようになっている。

「西瓜まるごとの話だけどね、」
 香苗は見事な速さで一切れ目を食べ終わると言った。

「うちって大家族だったでしょう――おじいちゃんとおばあちゃんと、おとうさんとおかあさんと、おねえちゃんと弟で、わたし――七人もいるとね、西瓜一個を半分に切って半分は食べずにしまうでしょ、残りの半分を半分に切って、六切れに切るとして全部で十二切れ、一人一切れか二切れしか食べられないの。なんか食べ足りなくて。大人になったら絶対、一人で丸ごと一個食べるんだ、って思ってた」

 ふうん、と僕はまだ一切れが食べ終わらない。
「僕はひとりっこの核家族だったから、そういうの無縁だったな」

「ひとりっこって、どんな感じ?」
 香苗の声には、興味と少しばかりの羨ましさが混じっている。

「そうだなあ。――例えばさ、タイヤキの尻尾だけ食べても叱られない」

 どういうこと。香苗は大きく口を開けてもう笑う準備をしながら、軽く眉根を寄せて、目で僕の次の言葉を待ち構える。

「ほら、子どもって小豆あん嫌いだからさ。そういう我が儘な食べ方をしても叱られない。あんこの入ってる方は、母さんが食べてくれる。それとか、すき焼きして肉ばっかり食べても、叱られない。むしろ、すすんで取り分けてくれる。そんな感じ」

 えー、なによそれ。すごい扱い。プリンスかよ!香苗は屈託なく大笑いして僕を揶揄した後、
「ひとりっこって、小さな頃から大人みたいなものなのね」
と感想を述べた。

「どういうこと?」

「だって、大人って、どんなすき勝手しても叱られないでしょ。それこそ、タイヤキの尻尾だけ食べて体を捨てても、叱られないし、お肉だけ食べてたって、叱られないし。その代わり、自己責任、ってことなんだろうけど」

 そんなもんかな。呟くと、香苗はそうよ、と言って、二切れ目に手を伸ばした。

「西瓜まるごと一個、っていう夢は、叶ったの」
 自己責任、という言葉を頭の中で回転させながら、僕は訊いてみた。香苗はしゃくしゃくと西瓜を咀嚼しながら、上目遣いに僕を見て、目で笑った。
「去年やったわ」

 おう。僕の彼女はなかなか勇気のいることをする。一人暮らしで西瓜まるごと一個購入って、おいそれとできないぞ。

「満足した?」
「うん。でもね、半分腐らせた」

 香苗は悔しそうに目を細めた。
「やられた!って思ったわ。すごいの。冷蔵庫に入らないからね、半分に切って冷蔵庫に入れて、もう半分はガス台の上に置いておいたの。半分食べ終わって、ようしあと半分!って思ったら、なんかもう甘くて粘る汁が溜まっててさ」

 香苗は二切れ目を食べ終わって、三切れ目に手を伸ばす。そんな健啖ぶりを見ていると、そうだな、そりゃあさぞかし残念だったろう。僕は思わず笑った。

「でもそうね、それが大人の自己責任なのね」
 香苗はその腐ってしまった西瓜の半分を思い浮かべるように目線を上にやり、咀嚼し続けながら三切れ目の食感を味わう。

「あのさ、香苗」
 ん、なに?香苗はそんな目を僕に向けた。

「ひとりっこってさ、そんなに大人みたいなものじゃないよ。自己責任取れないし。大体さ、西瓜も一切れくらいしか食べ切れなくて、残りは腐る前に、父さんとか母さんとかが食べてくれたりするんだ。だから」

 香苗は唇をきゅうっと前に寄せて、炭酸がしゅうぅぅっと寄り集まって壜の口から吹きこぼれるように、笑いこぼれた。

「ほら!ひとりっこ!まだ一切れ目が終わってないぞ!」

 そしててきぱきと三切れ目を片付けてしまうと、そのちょっとべたべたする手で、僕の肩をたたいた。
「大丈夫よ。真人が一切れくらいしか食べられなくても、わたしが残りを食べてあげるから」

 香苗は僕の目を覗き込んで笑う。
「だからさ。今年も、また来年も、今度はふたりで、まるごと一個の西瓜を買おう」

 僕もきゅうっと唇を前に寄せて、じんわり笑った。
 しゃくしゃくと、薄甘い、ひんやりとした、西瓜を前に。

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2009年発行「爛漫乙女 selection -sweet-」より抜粋
「夏が終わる前に、西瓜を食べよう」<一部改変>

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