「暇な女子大生 @bored_jd」は清々しい。

 たまたま2連続で「暇な女子大生」についての記事を読んだので、興味を惹かれて、実際のツイートを読んでみた。全部。わたしも暇ですね。

 どんな感想が自分の中に生まれるだろう、と思っていたのだが、最終的に残っていたのは「面白い!」だった。表現の仕方と彼女の持つスタンスが、圧倒的に面白い。あと、読む前に若干危惧していた不快感は、読んでみたらまったく生じなかった。爽やかだった。

 彼女のツイートには一見、というか一聴(読まないで小耳に挟んだだけだと)、人々のこころをざわつかせる要素が、散りばめられていると思う。「女性が不特定多数の男性とセックスする」「男性の判断基準は学歴のみ」「本人も高学歴女子」、それを支持する人たちにとっても、非難する人たちにとっても。それは、いろいろな人たちの価値観に抵触するから。

 でも、読み終わったわたしの気持ちは、すかっとしていた。

 その一番大きな理由は、彼女が「好きなことを好き!」と堂々と書いているからだろう。いいですよね。好きなことを臆面もなく書くの、楽しいよね。自分のことを持ち出して恐縮だが、わたしのツイッターは、99%彼氏の惚気しか書いていない。以前のツイートは内面を反映して迷走していたが、「そうだ、彼氏の惚気に使おう!」と気づいてからは、ツイートが楽しくてしょうがない。そういう観点からの、共感。

 それから、彼女のツイートには、裏がない。本当に言いたいことを裏に隠して取り繕ったことやイケてる感じのことを語っているけどその裏に隠していたことがどこからともなく漏れ出てきて悪臭漂う、みたいな気持ちの悪さがない。

 ちょっと前にある発言小町を読んだのだが、そこでは、「嫁があまり訪問してくれず、もっと話したいのに寂しい」というお姑さんからの相談のトピックスで、レスが立つにつれて結局「嫁たるもの、夫の実家を優先的に訪れるべき」「親戚に、円満な息子一家を持つ自分の姿を見せつけたい」「帰省する息子と孫の世話はわたしじゃなく嫁がやるべき」などといった隠れた意識が次々に指摘されて、えらく叩かれていた。そういう一種の「嘘」に対する気持ちの悪さ、というものは、結構皆さん共通にお持ちなんだな、と思った。

「暇な女子大生」の場合で言えば、例えば「エリート男性とのセックスが好き」という言葉の裏に、「エリートと付き合って結婚できれば、わたしは一生稼がなくても安泰」とか「エリートと付き合えるわたしはそこいらの女とは違う」とか「エリート以外はわたしと付き合う価値がない」とかいった意識が見え隠れしていたら、わたしは気持ち悪く感じたことだろう。

 ところがツイートを読む限りでは、彼女の言っていることは「エリートの男性とセックスをすることに性的な興奮を感じる」以上でも以下でもない。エリート男性を好むことは、彼女の打算でも承認欲求でも値踏みでもなくて、性的嗜好なのだ。「こんな男に濡れるからやる」、その明快さ。いいですよね。わたしも自分の濡れポイントを探したくなった。

 さらに、彼女の価値基準も明快だ。濡れる基準は「学歴」。行動原理は「若いうちにたくさんやりたい」。そして、その通りに行動する、爽快さ。「win-win のセックス」を掲げ、未成年と既婚者はお断りとする倫理観。「普通の人でいいの」と自分の基準を曖昧にしたまま漠然とした理想を相手に託し、「ただわたしを大事にしてくれれば」と願望を丸投げし、「どうしても別れられない」とずるずるする、そんな主体性のなさとは、無縁だ。

 そして読み終わって気づいたのだが、彼女はツイートの中で、「リスペクト」を表現することはあっても、「ディスリスペクト」を表現することがない。それには感嘆したし、それが後味のよさを導くのだと思う。

 彼女は、「高学歴エリート男性を尊敬する」ということは言っても、「低学歴男性は人間としてダメ」とか「高学歴男性とやらない女は格が落ちる」とかいったことは、言わない。人を貶めることは、ツイートしない。それに、「高学歴エリート男性を尊敬する」のも彼女の性的嗜好に基づいた価値観として表現しているのであって、全人類的・総人格的な意味で「高学歴エリート男性は価値が高い」とか言っている訳ではないし、「低学歴男性とセックスしない」と言ったからといって、別に彼らが劣っているからじゃない。ただ、濡れないだけ。それは多分、「うーん、年齢差上下5歳までかな」とか「年下とはどうもやれない」とかいったことと同じ性質のことだ。だから、彼女のツイートにネガティブな感情を引き起こすことは、ナンセンスなことだと思うし、もし引き起こされたとしたら、それは彼女起因のものじゃなくて自分起因のものなのじゃないかな、と思う。セックスの相手を選別することは平等の精神には反するかもしれないけど、自由意思でやるセックスに平等を持ち込まなくったって、ねえ。

 正直に、自分の価値観をはっきり示し、その通り行動し、堂々と表明する。それは現代日本女子の間で、いや、もしかしたら国に関わらず、性別にかかわらず、困難なことであるのかもしれない。取り繕った耳障りのいい常識めいたことを言っておく方が、無難に生きていけるのかもしれない。でも、「自分はこうです!」と胸を張って言えた方が、人生楽しいと思う。彼女のアカウントは匿名ではあるけれど、わたしは彼女のツイートに、そんな清々しさを感じたのだ。

 ただ、安易に彼女の真似をするのはちょっと待って!とは言いたい。彼女も、DMをくれた高1女子には「成人するまでは同級生とハメ倒す正しい使い方を」とコメントしているが、やっぱり実行するなら、自分が本当に望むことは何なのかを把握してからの方がいい。形だけ真似をしても、実は濡れる対象が違った、とか、たくさんの人と数いっぱいやるのがそれほど好きではなかった、とか後から分かると、辛い結果も招くからだ。真似するのは、彼女の、自分の価値観をしっかり掴み的確に行動に移す潔さ、自分の好きなことを好きと言って臆しない強さ、そこをお勧めしたい。

 わたしについては、彼氏と臆面もなく愛情を交わすことが大好きなので(「スキンシップと愛情表現は過剰すぎるほどにして欲しい」にも書いたけど)、そちらの方向を追求していきたいと思います。


 

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