男二人で奈良へ旅に出たらカップルに間違えられた話

大学生の時分は暇と金があれば本を読むか酒を飲むか、旅をしていた。
余裕があるときなんかは、それを全て堪能するという全部乗せをしていた。
どういうことかというとつまり、青春18切符を用いて鈍行列車に揺られ、酒を少々嗜みつつ、目的地に着くまで本を読むというような旅に出ることだ。
結婚し子どもが生まれこのような旅をすることもなくなったのだが、自分にとってこれに勝る娯楽を今でもなかなか見つけられないでいる。

10年以上前、2月のある日のことだ。
大学は春休みに入っており時間は十分にある状況で、臨時収入(競馬で得たあぶく銭)を入手したため、僕は迷わず旅に出ることに決めた。
一人旅も嫌いではなかったのだが、その時は無性に旅は道連れ世は情け的気分になっていたため、自分と同様に暇を持て余している友人を捕まえ二人旅をすることにした。

当初は蘇民祭という裸祭りを見学しあわよくば参加するために岩手県まで行く計画を立てていた。
その頃JR東日本が蘇民祭の宣伝ポスターが女性客に対するセクハラになりかねないとして掲載を拒否するといった騒動があった。興味がある方は「蘇民祭 ポスター」で検索して頂ければすぐに該当のポスターをご覧頂けるはずだ。僕が画像を貼ってもいいのだが、それだと問題の二の舞になりかねないのでここでは遠慮させていただきたい。
そのポスターは胸毛を露わにした髭面の中年が咆哮する姿が前面に配置され、後方ではふんどし姿の男達が逞しい尻をさらしているという中々強烈なものだ。眉をひそめる方がいるというのも無理はないかもしれないといった感じではある。
しかし、僕自身の胸毛もポスターの男性並みに濃く、当時は髭を生やしていたため内心複雑な感情を抱いてはいた。公然猥褻物みたいな扱いを受けるほど胸毛は見苦しいのかと悩み、ピンセットで一本ずつ胸毛を抜く。そんな夜もあった。
特段その問題について自分が何かをしようとは微塵も考えてはいなかったのだが、実際の祭りをちゃんと見て、あの騒動になっている胸毛の祭りはなかなか凄いものだったぞとせめて周囲には触れ回りたいと思ったのだ。

まあ、最終的には二人の懐事情を鑑みて近場の奈良県で神社巡りをすることに変更したのではあるが。
僕は口角泡を飛ばして蘇民祭に行く必要性を問き友人もそれに賛同していたのだが、東北までのフェリー代や電車代などを知った僕らは顔を見合わせて、すぐさま撤回し近場に行くことに決めたのである。
生半可な志など金の前では無価値である。

臨時収入があったとは言え、極限まで労働しないことを旨として生きていた当時の僕は常時金欠であった。よくよく考えなくても東北に旅行できる余裕は全然なかったのだ。
友人は謎の収入源を有し、バイトに勤しむ素振りなど全くなかったのに僕のバイト代の数倍の金銭をどこからともなく手にしていたのだが、宵越しの銭を持たない江戸っ子的人種だったので、いつも余剰の金を水タバコなどの謎アイテムの購入に使い金欠に陥っていた。

そんな経緯があって、奈良行きになったがそれに対する不満はなかった。
行きたい場所があったのだ。
奈良県桜井市にある穴師坐兵主神社である。
京極夏彦先生の小説「塗仏の宴 宴の支度」でふれられていた神社である。
当時、僕は京極夏彦先生の妖怪小説にドハマりしていた。正しく言うなら妖怪をテーマにしたミステリー小説である。鈍器のような分厚さの本としても有名だ。妖怪に興味がある方は御一読願いたい。
まあ、読んだことがない方にはさっぱりだと思うので、この話はここら辺てしておく。

他にも大神神社や一言主神社などに訪れ、僕はおおむね満足して奈良の観光を終えた。友人は僕の妖怪の話にかたよった胡乱な観光案内を聞きながらついてきてくれた。友人が楽しんでいたかは不明だが、お互いアルコールを入れていたので陽気な旅ではあった。

宿はユースホステルで二人部屋をとった。
寝る時ぐらいは気心が知れた者だけの方が良いということで僕と友人の意見が一致したため大部屋は選ばなかった。
とはいえ、別に他人と一切話したくないという訳ではない。そもそもユースホステルの魅力の一つに他の旅行者との触れ合いやすいということがある。他の旅行者との交流は旅の醍醐味の一つである。
そのため寝るまでは共用スペースに居て他の旅行者と親交を温めようということになったのである。

そこで出会ったのが、千葉のとある村で村長をしているという50絡みの男性である。木炭作り以外の産業がほとんどない貧しい村であるとのことで、何とか捻出した資金でユースホステルなどの安宿に泊まりつつ旅をし、他の市町村の運営を見学し、自分の村に持ち帰り新しい産業を興そうとしているという自己紹介をしてもらった。
気さくな上に話術も上手いオジサンであり、ただの大学生であった自分達にも偉ぶることなく話してくれた。
酒を交えつつ2時間は三人で歓談していたと思う。オジサンの村運営苦労譚などで場は相当盛り上がっていたのだが、オジサンが次の日の早朝に出立しなければいけないため風呂に入って寝たいとのことでお開きになった。

友人は旅疲れですでに眠く、酒も回ってきたとのことで部屋付きの風呂に入りささっと寝ることにすると早々と部屋に戻っていった。
僕は普通に元気だったので、オジサンと共用風呂に行くことにした。

お互い身体を洗い終わり、ゆっくり湯舟に使っている時にオジサンが探り探りといった感じで遠慮がちに聞いてきた。
「君の方が彼氏役なの?」
意識の埒外から飛んできた質問に困惑し、どういう意図なのかを掴み取れずに答えあぐねているうちに、オジサンは自己解決したらしく、踏み込んだことを聞いて申し訳ないとか言い始めている。
前述の通り僕は当時の僕は髭面であり、風呂場においては更に胸毛と腹毛の濃さを如何なく発揮しており、低身長であるものの男臭さを全身で発していた。
かたや友人はジャニーズ系のイケメンである。彼が遊びで撮った女装写真を見たことがあったが、最初見たときは女性にしか見えなかった。そういうところから先の発言がきたのだろう。
僕がようやく状況を把握し否定しようとした時には、オジサンは世間の偏見に負けず頑張るんだよなどと言いながら若干涙ぐんでいて、とても今更勘違いですよなどと言える感じではなくなってしまっていた。

その日は2月14日のバレンタインデーであった。
当時の僕は異性に全く縁がなく、その日がバレンタインデーであるという認識すらなかった。オジサンに言われて気付いたくらいである。
話をよくよく聞いてみると、オジサンの認識内でバレンタインデーとはいい年をした若者はすべからくカップルで過ごす日であり、そんな日に仲良く二人部屋を取った僕と友人はカップルであると一目瞭然であるとわかったのだと言う。
ドヤ顔しているけど勘違いですよなどとは、否定のタイミングを逃してしまった僕にはとても指摘できなかった。
モテる者とモテざる者との考え方の違いに、友人とカップルだと思われることより深いショックを受けていると、オジサンはのぼせそうだからそろそろ風呂から上がって部屋に帰ると言いだした。

一期一会の出会いであり、ここで別れればおそらく二度と会うことはないだろう。誤解されたままで別れるのは如何なものか。
一つ一つの出会いを大切にしたい。
だから誤解を早く解かねばと焦っている僕に、照れくさそうにはにかみながら告げたオジサンの顔を今でも忘れられないでいる。

「彼女を大切にしろよ」
彼女ではない。
そもそもそういう関係の場合、彼女彼氏と呼称するのかとか枝葉の部分が気になっているうちに誤解を解くチャンスも気力もなくなっていた。
もういいや、二度と会わないし。
どっと疲れた僕は諦めることにした。

オジサンと別れ、部屋に戻り友人にカップル扱いされた話をしてひとしきり盛り上がった後、二人とも倒れ伏すように寝た。いい加減疲れていたのだ。


翌朝僕らが起床したところ、どうやらオジサンはすでに出立した後だった。
色々あったとはいえ、別れの寂しさのようなものを噛みしめていると、ユースホステルの従業員の方からオジサンから僕たちへ宛てた手紙を預かっていると声をかけられた。
残念ながら、僕はその後四度に渡る引っ越しをしたため手紙の現物は失くしてしまった。そのため内容についてははあやふやな記憶をもとにしか書くことはできない。
久しぶりに若者と話して楽しかったこと。
世間の目は厳しいが強く生きて欲しいこと。
二人の行く道に幸せがあることを祈るということ。
そんなことが1枚の便せんにしたためられていいた。

高々2、3時間話しただけの相手をここまで気遣って手紙まで残していくとは、大したオジサンである。
もっとも内容が完全に勘違いを元に書かれているため、感動したらいいのか笑えばいいのか微妙なところではあったが。
知らない間に勝手に僕とカップルにされ、激励の手紙を貰うはめになった友人は改めて爆笑していた。
素敵かどうかは分からないが、愉快な旅の1ページになったのは確かだ。今でもこうやって思い出すわけだし。

オジサン!
オジサンの想定したのとはだいぶ違うだろうけど、僕はそこそこ幸せだし、色々あったけど強く生きてるよ!

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