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「花束みたいな恋をした」- これは恋愛映画では、ないのです -|Webディレクターの映画鑑賞備忘録(ネタバレなし)

この記事は、むめいWebディレクターが暇つぶしに観た映画について、忘れないように感想を残しておこう、どうせなら誰かに読まれるつもりで書いておくか、というものです。なので独断と偏見に満ちた、そしてネタバレ無しの駄文です。

第1回 チキチキ おっさんがガチ恋愛映画を観に行くという辱めに遭う大会〜!

というわけで、ワテクシ「花束みたいな恋をした」を観に行ってきました。
ええ、今をときめく有村架純と菅田将暉が恋愛するやつです。
もう絶対、劇場のスタッフにチラチラみられてるやん。おっさんなのに一人でガチ恋愛観にいくんだーチラッチラッってなるやーん。
と思って、チラッチラッと。スタッフさんほらチラッチラッ。
そこで気づいたことは、チラ見してるのは私でしたということです。

いやーなんつーかだから恋愛映画なんですよ。
日本の恋愛映画つったらね、たとえば数年前だと山崎賢人か広瀬すずかその両方が出てる映画のことなんですよ。もうおまえ、何回同じようなやつやるんだよと。
そんな広瀬賢人ときどきアリスな時期が終わると、今度はなんですか。「一週間フレンズ」「忘れないと誓ったぼくがいた」「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」「君と100回目の恋」とかね、忘れるか・時を遡るか・時を遡るから記憶に無いかという、どした?脚本家、どした?な、物忘れ激しい系映画の乱発なわけですよ。
※ちなみにここに挙げた映画は全部見て、ぜんぶ面白かった。

かといって対象年齢をハイティーンに下げればそれはそれでもう、1ミリもイケメンを隠さない腹黒ドS王子と国民的美少女が美をひた隠しにしつつも漏れまくったまま演じる「ネクラ女子」による恋愛映画しかないわけですよ。いいかげんに花より男子の劣化コピーみたいなことはやめなさいなと言いたいところ、とくにハイスクールスチューデンツは3年で総入れ替えになるという仕組み上、消えないわけでございますよ。

そもそもですよ、日本のキラキラ恋愛映画というのは「男はブサイクだったとしてもヒロインは絶対に美女しか出られない」というその制約上、観終わったあとに、あれ?いまもしかしてオスカーかスターダストによる長尺のプロモーションビデオをみたのかな?ヒロインかわいいしか記憶に無いよ?というのがデファクトスタンダードなわけですよ。
そこへくると今作「花束みたいな恋をした」はもう全くちがう。これは恋愛映画ではないです。いや、恋愛映画なんだけど(笑)でもそれは「恋愛を題材にした映画」ではあれども、これまでの系譜にある「恋愛映画」ではないのです。

もう、ほんとに、なんの起伏もない(笑)
有村架純はもちろんかわいいけど頭髪ボサボサで恋愛に無縁な無口女子でもないし、菅田将暉は仮面ライダーじゃないし。いやあいつは仮面ライダーだけど。
であるからにして突然重い病気が判明することもなければ、もちろん記憶がなくなる特殊体質でもないし時はまったく遡らない。時をかける少女または少年も、当然だが目ん玉ギョロってる白髪の博士も出てこない。
 
もうほんとに、たんたんと麦くん(菅田将暉)と絹ちゃん(有村架純)の恋愛が素直にそのまま描かれているだけです。もはや、盗撮か?いま我々は盗撮映像を観てるのではないか?というほどのリアリティ。
それのなにが面白いんだと思うでしょう?ああ思った。いったいワイというおっさんは映画館まで来て何をみせられてるのかと。だがこれが面白かったのです。
 
物語は現在(2020年)のシーンからはじまり、麦くんと絹ちゃんがまだ(ストーリー上で)名前も出ぬまますぐに6〜7年前の話に遡り、そのころ二人が出会います。つまり、二人の出会いの頃から話がはじまっていくわけですね。
そこからこれでもかと展開される現実、現実、現実。歳はおそらく22〜27歳ぐらいの話なんだけど、ああ、おい、そうだよね、うん、いや、もうやめて、うん、それ知ってる、20代の恋愛のやつ、うん、おいやめろ・・・です。出会いから付き合うまで、付き合いはじめ、そのあとの仲間への紹介、部屋に来てなんかあんまり帰らなくなってたまに帰ってこれって半同棲ってやつかな?みたいなそんなね。うん。えぐられますね。えぐられます。30代以上の脳内アルバムにある古ぼけた写真を着実適確に復元しやがります。
 
ただね、これ脚本は坂元裕二なんすよ。あの「東京ラブストーリー」の脚本家であり、「最高の離婚」「Mother」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「カルテット」など話題作を出しまくってきた脚本家さんですよ。
おいおい坂元さんよ、これどう終わらせんのよ?たんたんとシーンを描いて終わる映画も嫌いではないが、それはいわゆるB級とか単館系とか言われるやつで、こんな大規模に全国展開でプロモーションしてる映画でそれはどうなん?と、観ながら思ってました。途中まで。
 
物語は、途中から大きく様相が変わります。というのは嘘で、どこまで行ってもずーっと2人の男女の現実の話です。でも、その現実から現実への接続を繰り返す間に、少しずつ確実に変化をしていて、2人にまたべつの現実を突き付けるわけです。2人に対して、そしてそれぞれに対して訪れる変化と現実に2人がどう立ち向かい、どういう結論を出すのかは、実際に映画館で観てもらうとして。

「はじまりは、終わりのはじまりである」

映画の中で語られる言葉なんだけど、おそらくこの映画はその2人の、終わりがいつかわからないし終わらないかもしれないし、そして終わらせるも終わらせないも、それもただの現実という「戦いの記録」なんだと思いました。うん。
 
だから万人に薦める映画ではないし、正直に言って見方がちょっと難しい作品だと思います。ぼーっと観てると簡単に間違える(笑)
ネットのレビューには「たんたんと普通の恋愛みせられてるだけで退屈だった」とか、高評価でも「リアリティがあってよかった!ときめいた!」なんてあるんだけど、そうじゃない。たぶんこの映画はそういう見方をするものじゃない。
「たんたんと」も「リアリティ」も手段としてそうなっているだけで、これまでありとあらゆるラブストーリーを描いてきた坂元裕二だからこそ、描きたかったことがあるんだろうなと。そして描きたかったのはきっと、それによってみることのできる「花束みたいな恋の、花束さ」なのだろうと思いまする。なんだそれ。わからん(笑)
 
でもだから、たとえば麦くんの変化について肯定的にも否定的にも捉える人がいるんだけど、そういうことではないのです。それぞれの変化やそこにある価値観の是非ではなく、それは一旦置いておいて、とある2人が、それぞれに変化をして、それぞれにそこで戦った、というだけで。
だから、物語の多くは2人それぞれのモノローグ(自分語り)で構成されるんだけど、それも「2人の記録」を描きたいのであって、どちらか片方に感情移入させるものではないのですね(両方の想いが聞こえてしまうので片方に〜は難しいと思う)。
 
そういう意味では、ラストシーンとその手前のファミレスのシーンはこの映画のピークであり総決算であり、大変素晴らしいシーンだったと思いますお。ワイ、ちょろっと泣いた(笑)
ラスト手前、2人はファミレスで2人のいつかの再演を見る。そして現代に戻ったラストシーン、2人はお互いに・・・は、実際に映画館で観てみてください(笑)
 
映画を観るというよりとても素敵な2人の、共に戦ったその記録を観に行くつもりで、の方がしっくり来るかも。
あ、だから、重ねて申し上げますが、30代以上の人は心えぐられますよ(笑)20代前半の恋愛が見事なまでに描かれてるから。そして「20代にこんな普通と言われる恋愛してこなかった!」という人はそれはそれで打ちのめされるというやつです(笑)

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