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細田守の映画のつくりかた

細田守とは?

皆さんは「細田守」を知っていますか?
代表作は「サマーウォーズ」や「時をかける少女」。
現在公開されている、「竜とそばかすの姫」も話題の、今をときめくアニメ映画監督です。
金曜ロードショーなどで放映されることも多く、作品を観たことがなくても、名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
そんな細田守監督について、匿名性の観点から世界観を語っていこうと思います。

*「タイトルにて細田守さんの映画の作り方と書いていますが、あくまで予測になります」

リアリティ×ファンタジー

まず、細田守監督の作品はリアリティとファンタジーを掛け合わせた作品です。
サマーウォーズ」「時をかける少女」「バケモノの子」「おおかみこどもの雨と雪」といった作品には、学生が登場します。
いわゆる、日本の学生。
つまり私たちが想像しやすく、自分が経験してきた学生時代と重ね合わせることができる人物が、必ず登場します。
そもそも学生時代というのは、皆経験したことがある時間で、その時々の思い出などを皆持っています。
青春」と呼ばれる時間を過ごしたことがあるすべての人にとって、学生が葛藤する姿は、自分を重ねて観ることができる分かりやすい人物です。
なぜなら、ほとんどのアニメーションが成長物語であり、心が揺れ動くさまを丁寧に描くものである限り、青春時代の葛藤や子どもから大人への成長過程による複雑な心境、そして選択することで過去と決別したり、未来を進める努力をする姿に、私たちは自分を重ねられるからです。
もちろん「バケモノの子」では異世界で育てられる主人公であったり、「時をかける少女」であればタイムリープ能力を手に入れる主人公であったりなど、私たちと全く同じ、普通の主人公というわけではありません。
もしかしたら、こんな世界があるのかも?と私たちが想像することができるぎりぎりの線を攻めるために、等身大の主人公とファンタジーをうまく掛け合わせ、リアルな世界観を作っているのです。
「バケモノの子」であれば、「人外のものたちと育ち、人間世界とは違う生活をしてみたい」。
「時をかける少女」であれば、「タイムリープ機能を手に入れてみたい」。
「竜とそばかすの姫」であれば、「違う世界で有名になってみたい」。
こんな風に、私たちが普段妄想するようなファンタジーの理想を、等身大の人物たちに当てはめていくのです。
私たちの妄想を現実のものとし、等身大の主人公をファンタジーの世界に置くことで、みんなの「あったらいいな」を形にしているといえます。

2種類のファンタジーと匿名性

次に、細田守監督作品のファンタジーと匿名性の観点について語っていきます。
細田守監督作品は、ファンタジーの大前提として自分自身が感情移入できること、がキーワードになっているように感じます。
前述した、青春の物語であることによって、自分自身と重ね合わせることができるような舞台設定となっています。
ファンタジーの中では、宮崎駿作品など、そもそも主人公が私たちと同じ生活をしていない人物であったり、私たちが想像もしないような世界で暮らしている主人公であったりします。
ここから考えると、ファンタジーには2種類あると言えるのではないかと私は考えます。
一つは、私たちの生活に密接するファンタジー。
もう一つは、そもそも違う世界を描き、全く想像もしなかった主人公を描くことで、私たちを別世界に連れていってくれるファンタジーです。
前者の作品は、裏と表があるからくり屋敷の扉のように、くるっと何かのきっかけで回ることで、ファンタジーの世界に入り込むという舞台設定を使ったファンタジーの世界を描く、細田守監督作品です。
彼の作品は、現実の世界から地続きのファンタジーを描くことで、密接なリアルな生活を見せてくれます。
後者は宮崎駿監督など、雲の上の世界、つまり別世界を描くことで私たちに新しい世界を見せてくれる作品のことを言います。
どちらがよいかということではなく、地続きの作品か、雲の上の作品かで、カラーが変わってくると思っています。

この二つは、匿名性という観点からも違ってきます。
ここでいう匿名性というのは、主人公が名前を必要としないか必要とするかの話です。
細田守監督作品は、匿名の主人公を使っています。
私たちが感情移入できる人物像として、彼ら主人公に名前をつけているだけで、私たちが自分を重ね合わせるためのものとして主人公は機能しています。
彼らが何か考えるたびに私たちも考え、彼らとともに戦っていく。
別世界の住人として一方的に物語を傍観するのではなく、私たちがまるで主人公のように、ひとつひとつの選択に感情移入していくのです。
私たちは主人公であり、その物語は私たちの物語になります。
主人公の名前は例えば人物Aなどでもよく、彼らには名前があることの重要性より、彼らがどれだけ私たちと近い存在かを分かることの方が重要なのです。
彼らが匿名である限り、私たちは誰でも主人公になることができ、主人公の一挙手一投足をまるで私たちがコントロールしているかのような錯覚に陥ります。
ともに悩み、ともに泣き、ともに笑い、ともに恋に落ちる。
単に物語として楽しむのではなく、自分自身の成長を感じられる物語として、実感することができる匿名の作品なのです。

一方で、別世界のファンタジー作品は、物語が完成しきっているので、ひとつの絵巻物として私たちは傍観します。
もちろん、感情移入もするのですが、それ以上に知らない世界を観ることに夢中になり、彼らがどんな生活をしているのか、どんな選択をするのかを息を潜めて見守ります。
彼ら主人公には名前があり、ほかの誰でもありません。
その人物が主人公でなければ成立しない物語、つまり匿名性を一切はぶいた物語で構成されているのです。
私たちは、その物語を食い入るように見つめ、主人公の選択を固唾を呑んで見守ります。
私たちにはどうにもできない選択を黙って見守り、物語として楽しむ。
それがもう一つのファンタジーです。


細田守作品の特徴

こういったことを踏まえて、細田守監督作品の特徴を述べると、匿名の主人公を置くことで私たちに共感させ、リアルとファンタジーのギリギリを攻めることで、私たちに没頭させる、といった姿が見えてきます。
特に匿名の主人公を使うという点では手法が素晴らしく、私たちはなんども自分の青春を繰返し観るように、細田守作品を見返します。
私たちの生活や人生に入り込み、物語が私たちの一部になる。
そんな感覚を呼び起こしてくれるのです。
また、青春物語であることも特徴の一つで、私たちが今まで経験してきた小さな感情もひとつひとつ丁寧に拾い上げ、物語として紡いでくれます。
学生時代に青春があった人もなかった人も、必ず子どもから大人へと成長してきました。
その成長過程で無くしたものや得たもの、選択することで捨てざるを得なかった悲しみや、愛しさ、淡い初恋などを隅々まで描きます。
私たちが忘れていた感情も、心にしまっていた思い出も、大事にしてきた気持ちも、すべてを物語にして私たちには提示してくれるその姿に、私たちは感動するのです。

まとめ

こういった細田守監督作品の特徴を踏まえて、ファンタジー種類の違いなどを考えながらアニメーションを観ると、また新しい発見があるかもしれません。
特に宮崎駿作品との見比べは、物語への新しい気づきを生むと思います。
ぜひ、いまいちどご覧になってみてください。

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