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全国屈指の秘境駅として鉄道愛好家らに愛される坪尻駅(三好市池田町西山)

 徳島自動車道・井川池田インターチェンジから国道192号経由で三好大橋を渡り、県道5号を北へ車で約10分。徳島県と香川県の県境にある猪ノ鼻峠に近づくと、「坪尻駅」の道路看板が見えてきた。

入り口に向かう県道5号沿いにある展望台から見下ろした坪尻駅

 駅は標高272㍍、幹線道路や集落から離れた、鮎苦谷川の谷底に位置している。県道から駅に向かう道は、道路看板から30㍍ほど離れた地点にあるガードレールの間から入る。入り口のすぐ左側は崖になっていて、転落しそうでなかなか怖い。しかも道の中央に背の高い雑草が行く手を阻むように生えており、ここが正しい入り口なのかさえも怪しく思えてくる。

 そんな不安を振り払いつつ、道中は急勾配の下り坂を行く。曲がりくねった山道は幅が狭く、雑草だらけで、行く手を遮る倒木も所々にある。大きめの石が点在して足場が悪く、足を取られやすい。雨が降ると地面がぬかるんでさらに危険だ。足を滑らせたら崖下へ真っ逆さまだろう。

 この日は平日の昼間で快晴。とはいえ、聞こえてくるのは、川のせせらぎと鳥のさえずりだけ。前方は山道しか見えず、この道がどこまでも続くような感覚になる。「本当に駅はあるのか」と一抹の不安がよぎるものの、時折聞こえてくる列車の音に「間違っていない」と勇気づけられる。

 下ること約10分、廃屋が見えてきた。かつて駅の近くで営業していた雑貨商店跡だ。駅を訪れる鉄道愛好家らに知られた存在でもある。その先には線路標識も見える。ついに目的地へ到着した。

鬱蒼とした森に囲まれ、幻想的な空気感をまとった坪尻駅の駅舎

 隔絶された自然の中にポツンとたたずむ古い木造駅舎。どこか別世界から空間転移してきたかのよう。「トンネルを抜けると雪国」ならぬ、険しい山道を抜けると、そこは「駅」。眼前に広がる、その浮世離れした光景に思わず感嘆のため息が漏れる。

 駅舎へ向かうと、駅前は雑草だけが生えている広場と、「マムシに注意」の立て看板。奥に集落(木屋床地区)への行き先を示す看板もあるが、その道は今では誰も通らず獣道になっており、駅に通じる車道も当然ない。うわさ通りの秘境っぷりだ。

 この日は先客が3人。香川県や埼玉県から訪れた鉄道愛好家らだった。坪尻駅は秘境駅であることに加えて、全国でも珍しい単式ホーム1面1線、引き込み線を備えたスイッチバック構造。四国では、坪尻駅と新改駅(高知県)の2カ所しかない、鉄道愛好家にとって垂涎の存在でもある。

奥の引き込み線でいったん停車して方向転換するスイッチバック式の坪尻駅

 時々訪れているという香川県の男性は「変わりがないかの確認も込みで、景色のいい時に来ている」と言い、今回初めて訪問したという埼玉県の男性は「以前列車で通過した時に気になったので一度来てみたかった。ようやく念願がかなった」と笑顔で語った。

 それぞれに駅周辺を思い思いに散策しながら、列車が通過したり、スイッチバックしたりする瞬間をカメラで撮影するなど、坪尻駅ならではの趣ある風景を楽しんでいた。

レトロな雰囲気を味わえる駅舎内。来訪客らが思い思いにつづった寄せ書きノートもある
 

 坪尻駅は1929年4月28日、讃岐財田駅(香川県)と箸蔵駅(三好市池田町)との距離が長いことから、その間に列車の行き違いを可能にする信号場として設けられた。

 50年1月10日、地元町内会の要望によって駅に昇格。当初から秘境感があったらしく、当時の運輸省(現国土交通省)の役人が「こんなところに駅をつくって、お客さんは猿か、イノシシか」と話したとのエピソードもあるという。

 それでも開業当初は利用客が多かった。駅員も10人近くいて、池田町に野菜を販売に行く行商人、通学する学生らで1日約100人の利用客があった。しかし道路の整備や自動車の普及、そして過疎化によって70年には早くも無人化されるに至った。

1日に停車する列車も少なく、今や日常利用の乗降客は一人もいなくなった

 日本有数の秘境駅というだけでなく、スイッチバック式の駅としても、早くから全国の愛好家に注目される存在にはなっていた。今では多度津駅(香川県)―大歩危駅(三好市西祖谷山村)間を走る観光列車「四国まんなか千年ものがたり」の売りの一つにもなっている。その一方で、1日に停車する列車の本数自体は数えるほどになり、日常利用の乗降客に至ってはもはや一人もいない。

 現在、坪尻駅の管理は阿波池田駅(三好市池田町)が行っており、駅員が月に最低1回は清掃や確認のために行き来している。小川芳弘・阿波池田駅長は、できるだけ秘境の雰囲気を残しつつ保存や管理をしようと苦心しているという。「こうやって注目してもらえるのはありがたい。観光列車も定期的に走っているので、その辺も含めて皆さんが楽しめるように末永く管理していければ」と話した。

停車する列車だけが現世への唯一の接点のよう

 四方を山に囲まれた谷底にあるだけに10月下旬ともなると、午後3時過ぎには早くも太陽の光が入ってこず、少し肌寒さを感じるようになってくる。

 かりそめの仲間も一足先に帰途に就き、本当に誰もいなくなった駅構内。周囲の静けさが一段と増した気がした。自分一人だけが別の世界に取り残されたかのような錯覚に陥り、不意にセンチメンタルな気持ちに襲われる。これこそが坪尻駅を訪れる本来の醍醐味なのかもしれない。

日が暮れて暗くなってくると、孤独感や寂寥感も感じさせてくれる

 静かな余韻に浸りつつも「そろそろ去りどきかな」と、スマートフォンで時刻を確認する。「今度来る時は紅葉の時季にしよう」と盛大に独りごち、少し名残惜しさを感じつつも、再訪を期して坪尻駅を後にしたのだった。(徳島新聞メディア編集部・植田充輝)

 秘宝伝説から生まれた神社、レトロ自販機の聖地、住民よりかかしが多い天空の村…。これまで徳島県内各地の知られざる、もしくは知る人ぞ知る場所や地域を巡り、その隠されたルーツや見どころを紹介してきた「徳島ワンダーランド」シリーズ。約2年半の雌伏の時を経て、装いも新たに再スタートする。