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1人の中国系日本人が日本の人種差別について考えたこと

アフリカ系のジョージフロイド氏が警察の暴力によって亡くなった事件をきっかけに人種差別に反対するデモがアメリカ全土で広がっている。中には暴徒化した抗議者も多く、大きな問題となっている。この件についてすでに多くの著名人が声をあげ、アメリカにて長年黒人が社会で不平等な地位に置かれていることが浮き彫りとなっている。
本日はこの件をきっかけに、アメリカではなく、われわれ日本社会に存在する差別について私が考えたことを話したい。

【1】日中に挟まれて

以前自分の出自についてnoteにて書いたことがあるが、私は日本国籍を保持する中国系、いわゆる華人の2世であり、日本で生まれたのちに中国で小学校の前半を過ごし、小学校の途中から日本に帰ってきて今に至るという特異な道のりを歩んできた。

小学校の途中で日本に帰国した時、日本の文化・教育・メディアの報道など多くの面で違和感を覚えた。
中国人として日本社会で生きることに難しさを覚えた私は、徐々に日本社会への同化を試みた。それはただ単に日本語を覚えることや日本文化を理解することのみならず、自分の考え方や視点を日本人のそれに転換していくことであった。こうして私は日本で中学・高校と進み、現在幸いなことに都内の大学に通いながら、日本社会で安定した市民生活を送れている。

【2】同化を経て芽生えた違和感

こうして自分の中身も日本人化して無事に日本社会に溶け込んだ私だが、ある時に自分自身に違和感を覚えるようになる。ある日居酒屋でなんとなくお酒を飲んでいると、近くの席から中国語が聞こえてきた。よくあることではあるものの、僕の中に一抹の違和感や居心地の悪さが芽生えた。そんな自分自身に気づき、ハッとさせられた。なぜ自分は違和感を感じたのか、そもそもこの違和感の正体はなんなのか。
振り返れば、私はいつの間にか中国人や日本社会に同化できずにいる中国人にある種の優越感を覚えていた。マナーが悪い中国人、日本社会にいながら違う国のアイデンティティを捨てられない人、そんな彼らに対して、内側の転換に成功した(と少なくとも自分が思っている)自分を少なからず優れていると思い込んでいた節は否めない。
そして、自分の中にあるこのような意識がどこからきたかについて考えた時、それは多岐に渡り一概にいえないものの、間違いなく日本社会に存在する視線が背景としてあった。たとえば、テレビをつけて中国に関する言説をみたとき、食文化や歴史などについての好意的な言説もみられるものの、マナーの悪さや爆買いに対する嘲笑を含んだ報道がかなり目立つ。僕自身、街中で中国語を使ったり、名前を見られた際に、なんとなく寄せられる異質な他者への違和感や居心地の悪さ(場合によっては軽蔑)を含んだ目線を感じ取っていた。僕と違い第一世代として成人してから日本社会に移り住んだ両親の話をきくと、日本人と比べてレストランの店員のサービスが悪い、周囲の人になめられていた経験など様々な苦しみを味わったようだ。

【3】隠された差別意識

アメリカの黒人差別の歴史を振り返ると、白人による黒人への露骨な差別とそれに向かって正面から立ち向かう人々の姿がみられる。それは今日もそうだ。日本はどうか。そもそも人種問題なんてあるのかと、普段そんなことに関心を払わない人からしたらそんな反応が当たり前かもしれない。でも、アメリカに比べて露骨でないだけで、日本にも必ず人種問題はある。そして、それは顕在化してない分、根が深く、たちが悪い。

もちろん日本にも露骨な差別は存在する。近年ヘイトスピーチの問題がしばしば取り上げられるが、公共の場で特定の民族・集団への嫌悪感を平気で表出する例は数多くある。また、かつては日立就職差別事件のようなものもあった。

その一方で、目に見えない形で日本社会に根ざしている差別意識、中国・韓国を中心とするアジア諸国の人々への優越感が、目に見えない形だからこそ、根が深く、非常に深刻な問題として存在する。
「そんなものは本当に存在するのか」と問われたら、確かにこれはあくまで私の経験に基づいた問題提起にすぎないと言わざるを得ない。しかし、自分には全く心当たりがない、もしくは社会にそういったものが存在しないことを確信をもっていえる人はどれだけいるだろうか。繰り返しになるが、差別意識は日本社会においては、少なくともアメリカに比べれば、露骨な形で顕在化していないがゆえに、観測しづらく、またその存在を客観的に証明することは難しい。
ここで、もう一つ私が提示したいこととして、実は露骨な形で顕在化しているケースも大いにあるものの、人々の無関心や沈黙、場合によっては強引な正当化によって隠され、注目されてこなかったという事実である。

【4】無関心と沈黙がもたらす苦しみ

露骨な形で顕在化しているのにも関わらず、注目されてこなかった差別の例として日本の在日韓国・朝鮮人の例があるだろう。

こちらはアメリカのメディアVoxが製作した日本における在日朝鮮人の問題に関する動画である。自分が生まれた国(日本)に排斥されるがゆえに、遠くにある祖国(北朝鮮)に帰属感を覚え、でも祖国に戻れず自分を排斥する国で生きるしかない在日朝鮮人の苦しみを描いている。

また近年在日朝鮮・韓国人へのヘイトスピーチが度々問題として取り上げられているが、ヘイトスピーチを行う代表的な人物である桜井誠が前回の都知事選に出馬した際の映像がこちらである。「反日民族を皆殺しにしろ」という掛け声から、特別永住者という制度への批判を遥かに超えた特定の民族・集団への異常な憎悪が露骨な形で現れている。これだけ悪質な言動にもかかわらず、メディアで大きく取り上げられることなく、桜井誠は都知事選で11万もの票数を獲得した。
もちろん、在日朝鮮・韓国人をめぐる問題はあくまで日本の人種をめぐる問題の一例にすぎず、アイヌ人や琉球民族などの少数民族、華僑・華人さらにはその他様々な国や地域に出自を持つ人々など、あらゆる人種があらゆる問題を抱えている。

社会問題への知識が少しでもある方ならこういった問題の存在を知っているであろうが、一般的な日本人の中で果たしてどれだけこの問題を知っている、もしくははっきり認識している人がいるだろうか。アメリカでは、たとえ関心の違いや知識の差はあれ、少なくとも一般人レベルでも黒人差別は知られている。ここで私はよくある「アメリカの方が優れていて日本は人権後進国」みたいな議論をしたいわけではなく、私たちと同じ社会に生まれたのに、本人がコントロールできない属性によって、ひどく苦しんでいる人がいるという事実を提起したいのである。そして、そればかりでなく、こういった問題について社会が向き合ってこなかったこと、(たとえ少数であっても)彼らの苦しみを助長するような行為をする人たちに私たちが目をつむってきたことである。もちろんすべての不正義を指摘することは私たちには到底できないことではあるが、不正義を知覚してもなおそれに沈黙することは不正義の許容と同義である。

さらに私たちが向き合わなくてはならないものは、我々の社会にある同調圧力や単一な日本人像である。「そんなに日本が嫌いなら自分の国に帰れ」というのは外国人がよく言われることである。そんな言葉であたかもすべての責任は外国人側にあるかのような正当化が行われる。しかし、往々にしてその人を嫌な気持ちにさせている日本社会の問題や我々が固着する非合理的な常識には目を向けない。違った文化やパーソナリティーを持った人物を受け入れる耐性が今の日本社会にはあまりにも欠けている。自分たちの社会に存在する問題に、たとえそれがひどく心の痛みを伴うものであっても、しっかり向き合わなくてはならないのではないか。

【5】結び:単一民族神話が終わるまで

ここまで私が指摘してきた日本社会に存在する人種差別にまつわる問題は、以下のように整理できるであろう。
①私たちの心になんとなくある外国人(特に中国人や韓国人)への差別意識や優越感
②人々の露骨な差別への無関心や沈黙(場合によっては正当化)
③上記を形成している社会にある同調圧力や単一な日本人像

こんなことをいうと、また「日本が嫌いなら中国に帰れ」とか「文句ばっかいうな」とか、そういった声が聞こえてきそうだ。もしくはそこまで行かなくともなんとなく僕にマイナスな印象を抱いてしまう人もいるかもしれない。
強調しておきたいこととして、それでも私は日本という国を心の底から愛しているし、自らをどんな場面でも「日本人」と名乗るほど日本人アイデンティティーを強く持っている。
そして、何よりこういった問題の解決には多数派の受容も肝要であることをわかっている。異質な他者に出会い、これまで自分の人生でよしとされてきた価値観や疑ってこなかった常識が崩れたときの痛みは耐えられないくらいひどく強烈である。小さい頃に劇的な環境の変化があった私はそれを、誰よりもとまでは行かなくても、心の奥底からわかっている。しかし、同時に、私たちが生きやすいと思っている環境の裏で、多くの人が苦しんでいることを見逃してはならない。そして、少しずつでいいから、対話つまり相手の立場に立ち自分の常識を疑うという痛みを伴う作業を通じて妥協点を見つけ、そういった社会を変えていけたらいいと痛切に思う。

近年、ネトウヨやヘイトスピーチなど、自国至上主義や異質な他者を排斥しようとする動きが社会のあらゆるところで見られる。痛みに耐えきれず、実像とは違う国家への帰依を通じて偽りの所属感を得ている人たちである。こうした行為は社会をよくする一助に全くならないことを強調するとともに、こうした動きに沈黙する日本社会のサイレントマジョリティーにも問題があることを述べておく。

日本には単一民族神話というものがあると長らく言われてきた。つい最近政治家の麻生太郎による「2000年にわたり、一つの国で、一つの民族、一つの王朝が続く国は日本だけ」という発言があった。しかし、実際には、アイヌ人や琉球民族などの少数民族、在日韓国・朝鮮人や華僑・華人など移民の末裔、さらにはその他様々な国や地域に出自を持つ人々によってこの社会は構成されている。単一民族という偽りの言説に優越感を覚える時代はもうそろそろ終わってもいい。
ふと思ったが、◯◯系日本人という言い方を日本ではあまり聞かない。だからこそ、私は「中国系日本人」と名乗りたい。いつしか単一民族という偽りの言説が人々に忘れ去られ、多様な出自によってこの社会が構成されていることが受け入れられることを願って。単一民族神話が終わるその日まで、私は中国系日本人と名乗り続けたい。

【※】追記:アメリカの黒人差別抗議デモに関して

アメリカでのジョージフロイド氏の事件を発端に起きている黒人差別に抗議するデモについても少し触れます。
すでに多くの方が言及されているのですが、本件に関し#BlackLivesMatter(黒人の命は大切だ)というハッシュタグが流行ったのに対し、#AllLivesMatter(すべての人の命は大切だ)というハッシュタグを使って対抗する方は多くいました。もちろん、すべての命は大切なのですが、そもそも#BlackLivesMatterというハッシュタグは他の人の命が大切ではないという意味ではなく、むしろ#AllLivesMatterをその対抗として用いることはその人種を理由に不当に迫害されてきた黒人の問題を、対象を無意味に拡大することで軽視してしまうことにつながります。
これはあらゆる人に意識してほしいことである。つまり、少数派もしくは不当に迫害されてきた人たちの問題を、多数派もしくは(無意識的にであれ)特権を享受する側にいる人たちも問題を抱えていると言い封殺することは、結果として少数派が抱える問題を矮小化してしまうのである。もちろん多数派も問題を抱えており(そもそも人間は多様な属性を抱えており、一つの側面から見たら多数派にいる人間も、別の側面から見たら少数派かもしれないが)、それも問題として重要である一方で、それは少数派の問題の重要性が低下することに全く以てつながらない。

本件については、歌手のBillie Eilishさんが非常にわかりやすい投稿をされていたので、そちらを掲載する。日本語訳としてUniversal Music Japanによるものを掲載する。

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