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 YouTubeで美術批評している山田五郎さん


 実家の近くに大きな神社があったので、よく立ち寄って散歩などしていました、やっぱりどこか静かな厳粛さがありました。
 だから小さい頃、神社があるからかなと感じていました。でも本当は、ここにパワースポットがあるから、ここに神社を建てたんですよね。考えてみれば考えてみなくても、神社を作る人間が先にいるから自然が生まれるわけもなく、自然の産物があるから人的なものが生まれた。でもわれわれは、なぜか逆に捉えがちです。

 YouTubeで美術批評している山田五郎さんが、なぜ『モナリザ』が名画であるか、理論的にとうとうと話していました。

たぶん誰もが名画というから、そうなんでしょう。
でも理論から名画は創造されない、創作する過程で理論的に創造されても、あらかじめ予定されたものに優れたものがあるわけがない。われわれ人間はロボットではない、AIではありません。

過去のデータからひねり出して、ペーパーテストの成績がいい官僚、技術職人なら誰でも芸術を創造できるわけではないのはご存知の通り。


 鑑賞するのはロボットではない、人間です。

いくら昔懐かしい三高( 高学歴、高収入、高身長 )の条件なら、有利な条件になっても、誰でもがすぐに好きになるとは限らないし、すぐまた新しく出てくる有利な条件でも、そう簡単にハイ、そうですか、なんていかない、一生涯、ともにするなら、もちろん考慮します。

容姿がよくて紳士的で、家柄がよくて頭もいい、でもどこか抜け目がなさそうで油断ができない …
政治指導者が勧めるから、名画の値段が高いから、ハイ、私も好きですなんて、君はいい人です。

( むかし与謝野晶子さんの娘さんのエピソードがあります。娘さんがたしかフィアンセになる人を連れてきました、いい会社に勤めていて頭もよく、やさしくて紳士的でいい分がなさそうでした。でも話をしていて、後で娘さんには、あの人はやめときなさいといったそうです。当然娘さんは憤がいして、お母さんは私たちをわかっていないといったものの、娘さんはしばらくして実家に戻ってきたそうです。
 彼氏が関心があったのは、与謝野晶子と与謝野鉄幹の娘であって、娘さんその人ではなかったそうです。じっさいに会ってみて、さすが晶子さん、直観的に感じとっていたんでしょう )


だから、山田五郎さんも最後に言ってました。
「誰でも『モナリザ』が理論的に完成されていて、すごいといってます、ルネサンス美術の典型です、でもなぜか好きな人はあまりいない、くれるなら貰いますけど」


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