傷だらけの、文学 3.  貧乏自慢と挫折自慢、それに病気自慢。  オレなんかもっとすごいぞ。


ひと頃むかし、
我らの日本文化の伝統で
貧乏自慢、挫折自慢というのがあった
なぜか文学人のなかでもてはやされていた
いまの地位を得る前にはこんな苦労した
その結果、こんなに大きくなった
苦労しなければ何も得られない
こうなる前はどんなに苦労したことか
ひとつのマクラコトバだった
それになぜか以前の作家は病弱で、コホンコホンと咳き込むのだった

貧乏したおかげで
挫折したおかげで
いまのオレがいるーんだぞ

しばらくの後には芸能タレントの間でもてはやされ
そしていまでは誰もいわなくなった

いうとダサくなっているようだった
いまでは作家でもタレントでも
作品とか芸をみがいて自分を売り込むというより
作品内容より
どうやってセールスするかマーケティングするか
芸より
どうやって高感度を上げて視聴率をあげるか

もうむかしの貧乏自慢、挫折自慢を盾にじぶんを売り込む必要がなくなっていた
わざとらしい仕草も必要でなくなっていたようだった
そんなこといわなくてもすぐその前に得られるものがあった
社会的知名度が、なによりお金がちらつくのだった

あたかも共産主義国で人民のためにイデオロギーのためにというより
じぶんの欲望のために政治パワーのなかを泳ぎまわっているのに似て
こちら資本主義の国でも同じように
ただお金を得るためのような感じで
本を売るために心地よいジャズーな音楽と美しい言葉が流れ
テレビのなかでは視聴率を上げるための高感度のいい笑顔が見られるばかりだった


もう有名になってからの自慢だった
下積み時代の貧乏とか挫折は忘れたかのようで、必要もないようだった

さらにいえば
あちらの共産国革命の第一世代、第2世代も遠くなって
苦労した経験もなければ、
革命イデオロギーが発生する源も忘れ、
革命世代の孫たちの第一身分が闊歩している
そんなふうにも似て
こちらでも資本主義の国らしく
品よく口に出さなくても
ひたすらに目の前のお金を得るような、
物質的幸福になるための狂奔が続くのだった



ただ
老人施設とか老人の多い病院をのぞいてみれば、
なぜか、なつかしい言葉が聞こえてくるのだった

「むかしは誰も貧乏だったさ、えらくなったら美味しいものを食べたいと思った。
 いまの若いモンはお金があっても腹すいたことがないから、ファーストフードしか思いつかないんだよ。別に、それで満足なんだよ」

「無理してむずかしい教養小説を読むより、人生に苦味を知らない、常習性のある甘い脂の浮いたようなコーヒー飲んで、寝転がって娯楽本ばかり好むようにね」

「まったくなっとらん、学生闘争のときは警官と闘ってムショにも行ったたものさ。
 むかし受けたからだと心の傷が、いまも思いだしたようにうずいてしようがない。それにヤマイで病院に連れていかれたときは1リットルもの血を流して」

「オレなんかオレなんか、もっとすごいぞ」































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