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『ドラマ』 愉快な家族会議  一郎の場合 


* (1)と(2)をまとめて新規投稿しました。少し長くなっています。

きょう放課後、学校がひけてから
友だちとラーメンを食べに行ったんだ。

最近、
テレビでラーメン特集をやっているから、
B級グルメのチャンピオン、長崎ではチャンポン。
で、テレビに出ていたラーメン屋に行ったら、
満員。
昨日のきょうだから、しようがないか。
そとにも行列。
並んで食べるほどの気持ちはない。
しかたなく、ほかのラーメン屋へ。

ともだちも「だよな」といいながら、
とぼとぼ歩いていたんだ。
すぐ、ラーメン屋を見っけ。
大通りの横道にひっそり。
だいたい、通りの横道にあるのが
本当はおいしいというのが多い。
でものれんを覗いてみれば、人もまばら。
あれっ、人気とおいしさは比例するかも。

そんなことは抜きにして腹へっているし、
若いおいらは質より量。
腹いっぱい食べれればいい。
安くて量がいっぱいで、それでいておいしかったら文句はない。


ぼくと友だちはテーブル席にすわった。
二つしかテーブルはない。
あとはカウンター。

「だからあの野郎、ふざけてんだよ」

友だちはラーメンを注文するといった。
ぼくはあいつのいうことを
ただあいづちをうちながら聞いていた。
あいつはなんだか知らないけど、
よほど気にさわった奴がいたみたいで、
ラーメンがくるまでずうっとしゃべっていた。
でも目の前にラーメンがくると
若いぼくたちは食欲に負けたって感じ。

と、ここまでなんてことないことを
しゃべっているようだけど、
じつはラーメンを食べる前から
気づいていたことがあったんだ。
向かいにテーブルにいるオバはんが
それこそじっと、こちらを見ている。
なんだろうと思って。


食べている最中も、
食べ終わってからもじっと見ている。
すこし気持ち悪くなった。
じぶんの息子に似ていたんだろうか。
それともなにか、ぼくに気があるとか。
まあ、ぼくがハンサムだからしかたがない。

けどやっぱり、いい感じがしない。
用事があれば、
なにか声をかけてくればいいのに。
もし声かけてきたら、すこし怖いけど。
そんなことを考えていたんだ。
友だちにあとでそのこというと、
あんのじょう、おまえに見とれていたんだよといわれてしまった。



じつはそれだけでなくて、まだあるんだ。
友だちと別れてひとりで歩いていると、
別のバアさんに声かけられた。

バアさんというぐらいだから老人の女で
申しあわせたように、
一律の背たけかっこうの老人スタイル。
中肉中背のバアさん。しらが頭。
顔はいっけん、不幸そうな面持ち。
額にいくつもの皺があって
口をかたく結んでいる困惑した顔で、
ぼくを見つめている。

独逸(どいつ)町はどこかしら、
と聞いてきた。
独逸町、聞いたことないな。
あいにくこの時、携帯を
持ちあわせていなかったんだ。
この付近に地図板がないか、周囲を見た。
ない。

でもよくバアさんを見てみると、
首からゴム付きの札がついていて、
定期券みたいな札が体の前にぶらさがっている。
札には住所、氏名、電話番号まで書いてあった。


〈もしお気づきの方があれば、
次の電話番号までおかけください〉とある。
なんだ。
ちゃんと住所がわかっているじゃないか。
それはそうといえばいいのに。
でも、いまいる場所がどこだか
わからないということか。

すこしぼけているので身内の人なんかが、
このバアさんの身元がわかるようにしてある。
そんな感じかな。
まあ、電話かけてあげれば済むことだし。
ぼくもすこしばかり時間があったので、
このバアさんの住んでいる所まで
連れていってあげようと思ったんだ。



住所としては、
ここからあまり離れていない様子だった。
ここら辺はただ通りすがりで
あまり来たことがない。
だから場所感がわからない。

地名も不確かなので、
近くのたばこ屋で独逸町はどこですか、
と聞くと、

この道をずうっと行って、
駅があるから、その近くという。

じゃ、バアさん、
方向ちがって反対の道を来たというわけだ。

ぼくはすこし不幸な顔をした
目の小さいバアさんを連れて、
たばこ屋のおじさんから
いわれた駅の方向に向かって、
とことこ歩いていった。

肉親ではないので手はつながない。
肉親であっても、
おバアちゃんとはつなぎたくない。
家に母親の母親が同居した経験ないのでわからない。
たぶん、孫として手をつないで
歩いているとほほえましいだろう。
でも、どうだろうなどと、
わけのわらないことを思いつつ歩いていったんだ。
すると、バアさんがいった。

「あの、キッシンジャーって、知ってる」

キッシンジャー?

「昔、政治家での人で、日本に来て、わたし会ったことあるの。ホテルで、マッサージ頼まれて行ったことあるの。警備の人もついていて、大変だったのよ。
 その人、ベッドに横たわっていて、上半身裸になっていたわ。そうとう疲れているみたい。洗面所に行くと、ガードしている人が備えの丁字形(ていじけい)のカミソリを見て、なんだか知らないけど笑っていたわ。

 なにがおかしいのか、笑っていたの。外人の人って、陽気な人が多いみたい。だからわたしも笑っていたわ。
 初め、その人がキッシンジャーとは知らなかった。そんなえらい人だとは知らなかった。名前をいわれても、そのときは知らなかったの。あとでニュースを見て、そうなんだと思って」



ぼくは突然、、饒舌にしゃべりだしたのに驚いちゃった。
ぼけたバアさんにしては変に記憶がいいな、と思った。
聞いたこともない固有名詞をもち出したのも、
へんな感じがした。
そうとう、このことがバアさんの人生について、
もっともエポックメイキングだったのだろう。
仕事のキャリアを語るうえにも、
もっとも誇らしいことだったのだろう。

なるほど、そうなのか。
ぼくも変に感心しながら、ともに歩いていた。
このバアさんを他のバアさんからひき離す、
ちょっとしたアイデンティティ。
ぼくだったら、昔でいえば、
マリリンモンローをマッサージしたら、
やはり誇れる話のネタに尽きない
人生の思い出になったことだろう、
とはいうもののよく実感がわからない。

ぼくの年齢ではわかんない。
アイドルがマッサージしてくれ、
というわけないし。
ベッドの上でアイドルの背中をマッサージしながら、
どうでっか、というのもおかしい。
それに若いぼくが肩をほぐしているのも
意味わかんない。
画面としてはおもしろいけど、シチュエーションがはっきりしない。



などと、
ふたりの空気の違和感を感じないで、
目的地に早く着くことを願うに
いい時間の流れかな、と思った。
しかしバアさん、
顔のわりにはスムーズに弁が立つな。
あまり声をしゃべれないと思ったのに。
頭がはっきりしているのか、
ぼけているのか、あやふやだ。
体も悪そうに見えて、
いたって元気に歩いている。
本当は、
目的の住所までひとりで行けるんじゃないかと思えるほどに。

でも、
どこか肝心なところがぼけているみたい。
はっきりした記憶とあいまいな記憶。


ふと、うしろを振りむけば、
もと居た場所からだいぶん離れてしまっていた。
大通りの一直線をまっすぐに歩いてきたから、
とても遠く感じる。
あまりこの辺は来たことがないので、なおさらそう思った。



「そしたらね、キッシンジャーが突然わたしの顔を見て笑っちゃうのよ。おかしいって笑うの。
 なにがおかしいのかわかんないけど、笑っているの。アメリカ人って、みんな陽気みたい」

ねえ、お坊ちゃん、
若いからわからないけど、
このときは大変だったのよ、
とさらにつづけてバアさんはいった。

ぼくはお坊ちゃんじゃないやい。
じぶんでは多少子供だと思っている。
でも人にいわれるといやな感じ、
そんなお年ごろだ。
それから、そのバアさん、
いまじぶんがどこにいるのか、
住んでいる家もわからないような頭なのに、
ちょうど話し相手がいていい感じだと思っている。
こっちの気持ちも知らないで。


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まあ、ひまつぶしになるし、
年寄りを大切にしている感じで、
そんないやな気分でもない。
いま通りすがりに兄ちゃんが、

おや、孫と一緒でいいね、

といった格好でぼくとバアさんを見ていた。
どっちでもいいんだけど。

ここから高架鉄道が見えた。
あの辺に駅があるのかな。
しかし、まだ歩いていくには時間がかかる。
するとぼくの腕を取って、
ねえねえ、とバアさんはいっている。



「わたし、このときから目覚めたのよ。世の中に、社会のことに。
 わたしは世の中の日本人のひとり、しっかりした考えを持って生きなきゃってね。だから新聞を読みはじめたの、隅から隅まで。スポーツ新聞やゴシップ新聞じゃなくてね。政治のことが一面で、あまり写真が大きく出ていない普通のものもね。

 わたし、学校にあまり行っていないから、がんばって勉強したわ。ついでに子供の教科書なんかも見て、理科の本とか、学校に行っているときはあんなにおもしろくなかったのに、そんな無味乾燥な本がおもしろく思えてきたの。
 最初のうちはとっくに忘れてちんぷんかんぷんだった。だけどだいぶんそれなりにわかってきた。わかったといっても、いまいったようにそれなりにね。
 それから広がって、芸術や文学、それに社会。ねえ、ニュートンって知ってる」

「ええ、教科書に載っていますから」
「ニュートンが出てきてから、自我と孤独が生まれたのよ」

「うそ。ニュートンから、ジガ、コドクがポン?」
「そしてアインシュタインから。ねえ、アインシュタインって知ってる」

「ええ、たぶん教科書の人でしょう」
「そのアインシュタインから人間存在が見えてきたの」

「にんげんそんざい!」

「見方で変わる、人の考えってわけよ。
 まあ節目、節目にすごい人が出てきて、考え方、見方が変わる。パラレルに文学、芸術が影響しあっているわけ。
 それに哲学も関わっているし、構造的にね。時代の雰囲気を共有しながら関わりつくっているの。

 わかる。これが近代人、現代人の物の考え方、見方を決定するの。だからこれらを勉強して、本を読んでいって、いままでのわたしの経験を照らしあわせてみて、つくづく私は思ったのよ。  
 日本は誰のものかって。ねえ、誰のもの」

「さあ。日本人のものじゃないですか。まだ子供だから、よくわかんない」
「いいときばかりの子供ね」



すみません。
あのぉ、もうすぐ独逸町じゃないですか。
家、どこら辺ですか、
と言ったら急にぼけた感じでわかりませんって顔。
方向音痴みたいに。

しかし、どうなってんの。
ふと右を見ると、
建物の壁に地図板が貼ってあった。
バアさんと一緒に地図板を見た。
ここは芝一丁目だから、独逸町はどこ。

ああ、ここか。
まだ意外に距離があるな。
しょうがない。
もうだいぶん歩いてきたのに、
なかなかたどり着かない
カフカの城みたい。
城が見えているのに
なかなかたどり着けない主人公みたいに、
もっともあちらは歩いていなかったようだった。
どうだったのかな。


そんなこんなして、
のたりのたり歩いて目的地に行くしかなかった。
船に乗りかかったついでだ、しょうがない。
しょうがないといったらしょうがないけど、
ただ前を見て歩いていくしかない。
これじゃ、
歩いて戻って家に帰るころには時間がかかってしまう。
でもいいか、
すこしばかり老人のためにいいことをしたと思えば。
でもこのバアさん、
本当にぼくのこと、ありがたく思っているのかな。



だからすこしばかり、
家庭状況を聞いてみた。
どうもいまから帰る家は娘の嫁ぎ先みたい。
どこかのマンション。
たぶん独逸町の場所にあるマンションで
一緒に住んでいるらしい。
バアさんの旦那も亡くなって、
子供も全部、家を出ている。
その中の娘のひとりのところに
永住のすみかとしてほそぼそと、
たぶん堂々とはしない趣きでいるらしい。

あまり要領を得ないしゃべりから、
おおよそわかってきた。
わかったところで立ちいったことを知ったところで
他人のぼく、どうしようもない。
本当のあかの他人の事情。
ただ通りすがりに知りあった老人と少年。
行くつくところまで行くしかない道中の事情。
だからまた、
目的地にたどり着くまで黙々と歩いていくしかなかった。

黙って、と思っても、
やはりそうしてはくれなかった。
なぜだか、
バアさんはぼくに話したくてしょうがないふうだった。
ぼくもあきらめてつき合うことになった。



「ねえねえ、さきもいったようにニュートンやアインシュタインのことを知ると世の中がわかるの。すごいでしょう」

そうかな、ほんとに。
もっとも、二人がいっていることは知っている。
でも内容はチンプンカンプン。
万有引力と相対性理論。
その名前を知っているだけでも
ぼくはすごいと思っているのに、
内容なんてぼくにわかるはずがない。
いまのぼくじゃ無理でしょうね。

「おバアちゃんもね、昔、ガリレオがそれでも地球がまわっているといっただけで、なぜ処罰されるのかわからなかった。わかったところで、生活しているぶんには関係ないものね。地球がまわっていようがいまいが、太陽がどうしようがあれしようが、おバアちゃんたちには関係ないものね。いまの生活環境が変わるわけじゃなし。

 それなのに、えらい人たちはそんなこといって、どうして刑務所にいれられるのかわからない。なにが好きで、体まではっているのかわからなかった。でも大人になって知ったから、ああ、そうかと思ったの。さとったの。
 なぜ、時の国を仕切っている人たちが駄目だというかをね。特に、まだ精神的に国民の頭を縛っていた、押さえこんでいたローマ教皇たちが、強く駄目だといっていた。なぜだと思う」

「まあ、どちらでもいいと思います」

「静かに、地球が太陽の周りをまわっているってことを考えると、宇宙が外に広がっていく。果てもなく。その中にポツンと地球が小さくひとつ。さびしそうに漂っているわけ。
 いままでは天上の空のうえに、神さまが国民のあたしたちを見守っていてくれたと思っていたのに、本当は、地上のうえにもまわりにも誰もいfなかった。たったひとり。見守ってくれる人がいない。孤独な存在。

 小さな地球が大きな太陽のまわりに引きずられて、小さなものが大きなものにたよっている広大な宇宙の中でポツネンと、それでも神さまに頼らずに生きていかなければいけない地球のあたしたち。強く自意識をもって、じぶんを見失わないように。大きい存在や組織に頼らないで、たくみにじぶんの生活を生きていかねばならなかったのよ。
 あたかも禁断の木の実を食べて、野生のゴリラ状態から人間になったアダムとイヴのように。神さまから追放されたあたしたち、じぶんだけが頼り、でもやりがいがある生き方。神さまから与えられ定められたい生き方じゃなく、じぶんの意志と考えで生きていく。

 独裁国の少女たちの喜び組や商業主義的なアイドルたちの猿まわしみたいでなくて、あえていうなら『人形の家』のノラのように。この点を考えると、昔の神さまとか、いまの国を仕切っている人たちにとっては、エデンの園に住んでいるように思わせるのが得策なのよ。わかる」



「でも、園って楽しそう。アイドルもかわいいし、そんなに固く考えなくてもいいと思います」

「かわいいうちはいいのよ。おバアちゃんもそうだった。でもすこしでも自己主張しようものなら悲惨なもの、ガリレオガリレイみたいに。黙って、おれたちのいうことを聞いていればいいんだと、国のお偉いさんたちはいうのよ。
 戦前もそうだけど、いまもそう。黙ってさえいたら、かわいい、かわいいって。特に、タレントやスポーツ選手は政治家に利用されてばかり。まあ本人たちも意識的に無意識的にやっている、本能的に。怖いからね。これって、国家秘密保護法に違反するかしら。ああ、怖い」

「いいんじゃないんですか、これぐらい」

「これぐらいがいちばんあぶない。いつしか通ってきた道をまた通るのよ。知らず知らずのうちに、おバアちゃんのお父さんたちがそうだったようになっていくの。
 お坊ちゃんにはわからないと思うわ。よく戦前の話を聞いていたから、そう思って。むずかしい固い話かな」

「子供のぼくに話しているから大丈夫。捕まりっこない」
「少年ゲシュタポ、ってこともあり得るわ」

「ハイル、首相!」



こんな調子で、
バアさんとつき合わされたし話をえんえんと
聞かされちゃった。
不愉快ったらありゃしないと、
一郎も両手を横にあげた。

アメリカ人俳優みたいに口をへの字に曲げて、
困ってしまったという感じ。
わしも大変だったなと思った。
それから母さんの方を向いて、いった。

さて、母さんはどうだった。

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