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『小説』 あの頃のぼく(4) 愛する二人には子供ができない

( サラリーローンでやめたらしい後藤さんのことが心配で、仕事に手がつかない。大丈夫かな、後藤さん )

 黒ぶち眼鏡の女性はいっしゅん、
なにかいいたそうだった。
口を押しこんで、
わたしは知りませんといって、
ぼくのそばから立ちさっていった。
なにかいいたかったらいえばいいのに、
よほど口に出してはいけない、
やっぱり会社のこと、
個人的なことでもあるので一応彼女なりに自粛していたようだ。

 そうか、やめたのか。
どうしてだろうと思っていた。

 しばらくして急な用事ができて、
取次所に行くことになった。
帰りにエレベーターに乗ったとき、
中にいた女性社員がふたり、
世間話をしていた。
なにげなしに聞いていると、
どうも最近やめた社員のことをいっている。
なんでもサラリーローンをためて、
払いきれずにやめたらしい。
会社まで押しかけられ、さすがに気まずかったそうだ。

「その使ったお金というのは、じつは女のためなのよ。前妻の慰謝料。そして今の奥さんの他に愛人もいて、そりゃ大変。いくらお金があってもたりないわよ。びっくりしちゃった。馬鹿な女たち、誰でも思うじゃない。どうして、わからないのかしらって。よくテレビのワイドショーであるじゃない。そんな人がいるんだ、と思って。ところがじっさいいるのよ、どこにも。あなたも気をつけてね。凄いわね、後藤さん。あら、こんなこといっちゃいけない。あらら、着いちゃった」

 おもわず、エレベーターを出るのも忘れちゃった。

 あ然。
言葉も出ない、
ほんとに後藤さんが。
信じられない。
でも本当みたいだから、しようがない。
わからないものだ。
あんなに温厚そうにしてて、やるときはやるんだ。
そうじゃないと思いたい。
けど会社にいないということはありうるということだろう。
なにか特別な事情があって、そうなったとか。
思いつめたものがあったとか。
後藤さん、大丈夫かな。
それにしても、前妻と奥さん。
あと、誰だっけ。


 それから後藤さんがどうなっていたか、心配でどうしようもなかった。

 窓の外を見ながら考えこんでしまった。
仕事が手につかないこともあった。
なにもなければいいけど、あるとしたら悪いこと。
年齢もあるし、お金を工面することもむずかしい。
たくさん貯金があったらいい。
どうしてもあるような気がしない、
普通のサラリーマン暮らし。
エレベーターの女性は、サラリーローンに追われていたといっていた。
どんないい就職口があるだろう。
あの会社より、いいサラリーを貰える会社。
なにか特技があって、一獲千金をねらえるとか。
競馬、競輪、モーターボートの賭け事。
腕に自信があって、
じつは芸術家で運よく絵画が売れはじめたから、
借金が返せたというような、夢みたいなことも起こりそうにない。
後藤さんの風貌からみて、どうも連想しにくい。
たしかに、おもいがけない知的な教養があった。
しかし、そう人生はうまくいかない。

 どう考えても悪い方向ばかり思ってしまう。
いい方向に進む材料もなかった。
強盗、あるいはやくざの相棒とかになって、
逆に金の取り立てをやっているんじゃないか。
そう、強盗。
たとえば銀行みたいに大げさじゃなく、
小さく後藤さんらしくコンビニ強盗とか。
ああ、いかん。
こんなことを考えてはいけない。
どうしようもないことばかり考えてしまう。


 ふと、机の上に目をやった。
置いていた新聞の記事がぼくを引きつけた。

「車突入、運転ミスか。調布市の今井中病院のロビーに軽自動車が突っこんだ事件で、運転していた吉祥寺市の無職男性(56)からくわしい事情を聞いている。男を含む男女十一人が足や腰を骨折するなどの重軽傷を負った。自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)容疑も視野に状況を調べている。捜査関係者によると、男はアクセルとブレーキを間違いましたという。通院に来たのに、入院することになっちゃいました。なおったら病院に来ないように気をつけて運転しますといった」

 さらに横の記事を見た。

「借りたものは返せ」とある。
ある評論家の言葉のかけだし。
最近の政治状況について語っている。
よく見ると、
「取られたものは取り返せ」だった。

「土地を返せ、国を返せ、といいたい。アメリカンデモクラシーとはじぶん勝手につくったもの。いろんな名目をつくってインディアンを殺し追いだし、じぶんたちの国をつくった。じぶんたちの自由だといわんばかりに、ハワイ、フィリッピン、日本を統治、委任統治みたいにおこなってきた。それでも足りないで西へ西へとアジア進出していった。いろんな口実をつくって攻撃していったのはご存知だと思う。ヨーロッパの端まで進出した。いくらなんでもヨーロッパの白人を空爆できない。できるならやってみろ。素直な黒人を奴隷にし、プライドが高くていうことを聞かない黄色人種なら平気で爆撃できるのに白人相手じゃ、簡単にミサイル攻撃を撃てるはずがない。

 そう思いませんか。アメリカンデモクラシーとは、アメリカ国民には自由があって他国には自由がないんです。逆に自国民には自由がない、もうひとつの朝鮮である共産国の独裁者。他国には進出する気はなく、自国の独裁体制を守るため軍事大国になりたいだけなのに、それを許せない世界の独裁国。なにもアメリカに進出するために武器をつくっているわけじゃなく、国を守るためにつくっているのに、それを許せなくて攻撃してやるといきまいている独裁国。国内の独裁者である北の朝鮮と、国外に対する独裁国であるアメリカ合衆国。どっちもどっちやで」

 なんでもない記事なのにとても気になった。
まったく関係ないのに、
どこかで関連性があるんじゃないかと思ってしまう。
特に後藤という名前に敏感になってしまう。
ちがう名前だとおもわず安心して、ほっとした。
なにも関係ないのに、
事故とか事件をみれば後藤さんの名前が出てくるんじゃないかとひやひやものだった。
あげくの果てには、
新聞にのらなくてもどこかで
心中でもしているんじゃないかと思う始末だった。
それほど、しばらくのあいだぼくの心のなかを占めていた。



 でも、
後藤さんのおかげで前の席にすわっている広野さんとも話をするきっかけが多くなった。
以前のようにあいさつ、
天気などあたりさわりのないだけのしゃべりが少なくなった。

「時代が変わっても、服装とか国家体制以外、あまり変わっていないように見えるけど、モラルはそうとう変わったという人がいる。これ、ほんとかな」

 広野さんは、親しみをこめてぼくにつぶやいた。

「さあ。いや、モラルはたいへん変化していると思いますよ。洋楽なんか聞くと、そう思いますね」

「そうかな」
「ちがいますか。服装とかヘアースタイルだけじゃなく、そうくわしくありませんけど、音楽を見ればジャズから漠然と変遷して、精神がたいへん進化していると思います。よく変化しているかどうかは疑問ですけど」

「ほんと、疑問だね」

 ところで、
と広野さんはいった。

「オスカーワイルド、プルーストって、知ってる」
「画家では聞いたことないです。美術評論家ですか」

「まあ、美術評論をしていないこともない。オスカーワイルドはどうだったかな。話は長くなるので、いまここでいわない。ホモセクシュアルはモラルの永遠性について、もってこいの設定だね。それに愛する二人には子供ができないって、こともあるし」



 また話をはぐらかされてしまった。
いつも問いかけられているようでいて、
答えを求めようとは思っていない。
ぼくが問いをたしかめられているのに問われていない。
そのことがかえって、
ぼくって本当に無知なんだな、
幼いなということを思いおこさせてしまう。
なんとか話題にはついて行きたいとあせってしまう。
そんなふがいないじぶん自身を感じるのだった。
だからといって、
なにかしているとか本を読んでいるというわけでもなかった。
気持ちだけはあるんだけど、それがいったいなんだかわからなかった。

 広野さんと話して思った。
後藤さんや、広野さんにしても頭はよさそうなのに、
なぜ黙々と仕事をしているんだろう。
もっともっと前に出て活躍してもよさそうなのに、
都会の片隅にといってはなんだけど、
ひっそり暮らしている。
これがいちばん幸福なんだというふうに。
本当なんだろうか。
戦国時代や戦後すぐなら、
俺が俺がというふうに出ていくんだけど、
いまの世の中じゃそんなことやっても同じみたいに感じているようだ。
あきらめきっている。
ぼくのいまの心境と同じだ。

 しかし広野さんや後藤さんになれきれないぼくもいる、
若いぼくがいる。
それなのに、いつもなにかをつかめないぼくがいる。
なにをやっていいのか、
なにをめざせばいいのかわからない。
なんのとりえもないぼくの落胆とあせりばかりがいまの気分をおおっていた。
しかし、
後藤さんと知りあったことはなにかをつかめそうな感じがする。
そんな気がするんだけど。

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