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短編、「ゼロ度の覇権」 亡びていくものはかくのごときか、昼夜をわかたず


1.

“ 人は高められたいとき、上を仰ぎみる。
けれどもいま、わたしは高みにいるので見おろすことができて、人の歴史や人生、社会を哄笑し、このように語った。 ”

 荒野の狼(ステッペンウルフ)のように、いにしえの孔子はみずからの思想を携えて放浪し、志虚しく破れ、流れる川のそばにしばらくたたずんでいた。ふと水の流れを見つめながら、おもわずつぶやくのだった。
「ゆくものはかくのごときか昼夜をおかず」


 戦争に負ければ生け贄だ、勝てば全てが許される

ジンギスカン、ナポレオン、ヒトラー、ムッソリーニ、F.ルーズベルト
ルーズベルトは勝ったのでいい人に描かれ、
負けても、ナポレオンは各国の王家と縁組みをしていたので、かろうじて汚辱を免がれ、ヒトラーは免がれなかった

いくら英雄でも秦の治世時代が短かった始皇帝は、次の王朝の漢の正当化のために非道の者として描かれて、
特にジンギスカンの横暴残逆さは比類なく、ルーズベルトやヒトラーも肩なしで、戦隊が通った跡は草木が生えないで枯れた土地になり、ガイコツのピラミッドが築かれたほどだったという
明の創立者である洪武帝(朱元璋)も、賊軍からの成り上がりで、功績のあった側近でも粛正は限りなし、もちろん明の時代が長かったので、お咎めなしのヒーローになった

ご存じのように戦争に勝った者は常に自分たちを正当化します、敵は正しくて、こちらが悪かったら意味もなく、王朝末期の皇帝や幕府末期の将軍は無能か傍若無人な人物として描かれています
同じ暴力で成り上がっても、
王朝や幕府の勝利者が短い為政期間であれば、次の王朝や幕府から悪くされ、期間が長くなれば傍若さも薄れていくようです

勝海舟は、徳川慶喜と明治天皇との和解まで30年を費やして安心して世を去った
そんな勝海舟に対して、福沢諭吉からいつまでも政府に残っているとかヤジられるのは、世代の違いともいえ、歴史小説家から明治以降の勝は取り立てて活躍していなかった、と述べられるのはカッコよくチャンバラをやっている場面しか興味がなかったかもね

( しいて言えば、身分制度を壊して学問のススメを推進して学歴制度に貢献した諭吉にとって、いつしか学問が象牙の塔になり、家柄や免許皆伝みたいに社会でハバをきかしていくことには気づかなかった。
 だって身分制度をなくすことで精いっぱいだったんだもんって、ボクの姪っ子が許すかどうか、前の制度がなくなったら新しい制度ができて、あたしたちを縛るのよ、決まってんじゃん、と黙って万札をじっと見る。

 それゆえに諭吉と世代が違う坪内逍遥が、小説にウツツをぬかしているのは学者としてあるまじき行為で、我慢できないのも当たり前だった。大学教授がマンガにウツツになっているようで、人生は食べていくことだけが幸福ではない、と逍遥がいっちゃってもソーヨウなんて聞く耳を持たなかったでしょう。
 やがて偉人や、学者とエリート、作家が権威を持ちだすのにつれて内容は枯渇し、亡びていきましたとさ )


それゆえに日本でも、戦争に善はなしと高らかにうたう教育者が多くいても、各国の教育者は博愛のもとに、自ら為政者たちが勝手に好んでいる自由民主主義や共産民主主義、子供たちに熱く語るのでした

さっきで述べたように、いくら暴力で成りあがっても、平清盛は悪人ふうでも、徳川家康は神君のように扱われていたのも当時はごく普通のことでした


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 また服の表地があれば裏地うらじもあり、社会も表もあれば裏もある

表地だけでは服は擦れて負担がかかり、裏地があればマサツが起こらなくて着心地いいのは、たしなむ服の社会だけではなかった

いいも悪いも建て前だけで生きていけない、大人の世界

何かとアメリカに取り持ちをしてもらっている日本政府が、暴力で負けたアメリカに媚びるのはごく自然で、変に気をつかって、風邪ウィルス騒動のどさくさにまぎれ、いわゆる思いやり予算を改定し増やして、「年に2110億円、5年間で1兆円超の用心棒税」を納めることを決めました

国民はアホやからわからへんで、去勢された羊のようなもん、とそんなひどいことをささやかれても良識のある日本人は無視していました、あるいは無視されても、いまの日本人は何かと生活なんかでしんどくて、考えるのがおっくうで、面倒くさいのを嫌がっていました
ふだんはわがままかってに放言しても、いざとなったら、お父さんが助けてくれるもん、なんて高をくくってる子供みたいでも、政治家には「いい子だ」と頭をナデナデ

それに外資系から圧力がかかっても文句が言えないのも当然で、その日本政府から便宜してもらわなけれ存続できないテレビ局は、草創期の気骨なハングリーさを忘れ、会社存続のために奔走してぬるま湯に浸かり、太鼓持ち芸人みたいになっても満足していました、どこが悪いんやと開き直っていたのです
同様にアメリカ資本のyoutubeでも、アメリカを誉めても、ロシアや中国を誉めたたえないのは、ごくごく自然なたしなみでした

だから国民の姿を選挙に反映されている政治家とはいえ、政治家と国民の思いはウリふたつで、強い者にすがる大衆や強い者に憧れる子供のように、アメリカ文化や機械がつくっているようなアメリカ型ファーストフードがなんだか好みで、アメリカンポップミュージック、映画スポーツ、文学を語ればカッコよく本も売れて、家が建つのでした
芸する本人たちも集まってくる国民も、なんのことはないアメリカから支配され、アメリカ的思考を注入され、日本人が猿真似しているのでなくて、じつは猿真似されるように仕向け、単なる「顧客」にすまぎなかった

しかし、じっさいは商売上手な英米人、「お客さま優先」のようでも、常に「ムチとアメ」を使い分け、国民や占領地民を無知にして、きっちり網を張っていることを忘れてなかった


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 プラグマティックに予習復習を忘れないアメリカ人は、とても「賢かった」

ナチスが広告宣伝のマスコミ媒体で、国民を洗脳していくのを巧みに利用し、
また、いままでの列強の暴虐的な植民地政策を改め、日本のヤクザ方式から学んで、「ミカジメ料」とか「企業舎弟」をうまく活用して背後から圧力かけ、守ってあげるからよろしくね、逆らわなければやさしく対応して、伝統の心情的にもしっくりいってピッタリ、日本国民から愛される、自由な国アメリカンをめざしました

それにしても記者の前で、アメリカに逆らわなければ大丈夫なんて、アッケラカンに元首相の小泉純一郎
分かっているけど、隠してほしかった、そんな元首相が人気あったなんて、やっぱり国民も国民やで、よく似ているわ

さらに戦前の日本政府が、朝鮮に高圧的に押しつけて日本語を強要するようなこともやめ、何かと紳士的に、英語を進んで「学ばさせるよう」に強要しました、巧みでりっぱだ

そんな人間、似ているとはいえ、表と裏の社会でしっかり生きています


また最後に、地域によっても変わり、
がんらい中国では、異民族に支配され、支配者たちが威張っていても、いつかは優れた中国文化に同化して服従するもんだと自負し、じっさいそうなった
でも西欧では逆で、古代ローマ帝国に暴力で占領された国の原住民たちは、本人たちが納めた土地や物品で、贅沢な生活をしてしているローマ人に憧れ、ローマ人の言葉や文化に同化して、自分たちが育ててきた言葉や文化を忘れ、亡びていった

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