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 1 オクターブの世界と、野生の思考


 エッケ・ホモ  Ecce homo 、
この人を見よ

 いつのときも
時代をけん引しても時代に媚びるような作家、カメラ目線で文章を書いて、人気を得ても末路はいつも決まっている。

 たかが文学、
収入の安定したサラリーマンに日々を費やしても、不安定な文学生活に人生を賭けるような、若い人がどれだけいるだろうか。
でも不安と期待、これこそが創作と活力の源であることを、傍観者は感じ取れない。

養殖されていない、野生の思考は生きている。

 1 オクターブの世界、現実的で両足がきちんと大地についているニュートン圏の生活は、われわれには必要不可欠でも、羽を広げて1 オクターブ高い、重力が及ばないアインシュタイン的宇宙に夢を見て、
また逆にオクターブ下がって地下の異界の世界、ミクロ圏に想いを馳せ、物の見方ひとつで変わるような量子論の世界にも行きたくなるのは、物理学専攻の人たちばかりではなかった。

夏目漱石や三島由紀夫の小説は、たしかにニュートン圏みたいに、分別くさい身の回りの人間と現実を見つめさせる青少年の通過儀礼でも、多少、大人になれば物足りない。
そんな文学と違う分野で思春期を過ごしたボクにとって、世の中はそればかりじゃないんだよ、とアインシュタインとボーアは教えてくれた。

 むかし林檎が落ちたとき、ニュートンが現れ、シェイクスピアが自我を発見し、デカルト的主体に目覚めたら、遠近法に、♯さん♭さん、地球は太陽のまわりを回っていた。

しかし20世紀に入って、アインシュタインにとって時間の方が、「約30万km/秒 の光」のまわりを回っているというときに、比較芸術の分野でプルーストやハイデッガー、ピカソ、シェーンベルクが登場したと思ったら、もう次の段階に突入していた。


 林檎はまっすぐ落ちない、
七次元も八次元もあるともいわれている。

もうすでに、新しい芸術思考は始まっている。

たとえば、人はまっすぐ歩けない、まっすぐ歩けるのはひとだま、死霊だけなんです。
そういって、作家の埴谷雄高さんは創作に人生を賭けていた。

本名は般若 豊はんにゃ ゆたかといい、
般若は、いみじくも直感的で総合的悟りの叡智えいちを意味する。

生まれながら奇妙な名前を持ったこの人は、人類叡智のオリンピック、日本代表を自認しているらしかった。


ユリイカ  昭和53年3月号より 向かって左が埴谷雄高、右は丸山真男
見出し画像は『精神のリレー』(1997、76年刊の新装版) 河出書房新社
代表作、『死霊』 (1946ー1995 第9章、未完)


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