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「短編」ダメだ、こりゃ。


 文壇があった頃の話、「君たちは」

 とかく新聞社やテレビ局を辞めた途端に、新聞テレビなどのマスコミを批判する人たちがいる。在任中はわかっていて仕返しが怖くて、政治家や警察に従順で、卑屈な態度をしていたんですか。

 ところで、よく好きでラジオ番組のアーカイブを聴くことがある。政治や文学、スポーツでも中で闘っている人の言葉を聞くのが好きですね。評論家みたいに用水路を流れる水のように滑らかに行かなくても、自然の小川のように、水の下には土や苔、石、小さな虫などがいて感じて、うまく要領よくしゃべれなくとも、ぼくとつとして味わいがあります。

 文壇人数人の座談会があった。和気わいわいで話していたものの、途中で出演者の室生犀星さんが、そばにいた評論家に皮肉っぽく言った。
「僕が数日間、一生けんめいがんばって、いっぺんの小説を書き上げたものを、君たちはひと言で片づけたがる」
小林秀雄と確かもう一人いた人は、おもわず苦笑いしていた。

 また大岡昇平さんが亡くなったとき、テレビの追悼番組に埴谷雄高さんが、大江健三郎さんを伴って出演したことがあった。その友人の大岡さんの小説「事件」が映画化された試写会で、出演の松坂慶子を紹介された埴谷雄高さん。松坂さんから、どなたですかと言われ、後で皮肉っぽくつぶやいたそうだ。
「おれがどんなに無名なのか、よーくわかったよ」

      * *

 ダメだ、こりゃ。最近の世の中をみて、最近小説を書き始めたMは、ぼやいてばかり。
 昔の人もたぶんぼやいていたでしょうけど、いまこの頃はなんだかふわっとして激しく怒りが込みあがってこない、もどかしかった。まるで誰かから、うまく懐柔されているような。

 いくら国民のために闘って築いた為政者でも、度が過ぎた権力や、いくら頑張って儲けた商売や芸能スポーツ関係でも、度が過ぎたお金やギャラはどんなもの。
 常に権力者の下には虐げられた者によってささえられ、お金持ちのセレブには貧しい者から成り立っているのが道理で、みんなが権力者、みんながお金持ちであり得るはずがなかった。

 いいな、羨ましいな、当然でしょう、とふだんは言いつつも、不満と反感のマグマは蓄積していきます。

 絶対王政のフランス、ツアーの専制君主のロシア、これら強い権力者の下で革命が起こり、弱くなった国王のイギリスで起こらなかったのは偶然でなかった。
 会社企業でも、いつまでも絶対的社長が社員をないがしろにして権力を振りかざしてサラリーを独り占めしたら、そりゃ社員だって起こりますよ

 いくら人気がある芸能人や、実力があるスポーツ選手だって、ギャラにもほどがあるし、反比例して、いつしか、そんな芸能分野でもスポーツ分野でも、廃れて行くのは単なる偶然でしょうか。
 貧乏自慢の落語家の名人、古今亭志ん生はいつまでも愛されていたし、むかしはみんなが日本プロ野球をあんなに応援していたのに、妬みを持たれる土壌は少しもなかった。

 頑張ったぶん、人より2品か3品よけいに美味しいもの食べて、人より2着か3着よけいにいい服を着て、人より2部屋か3部屋よけいにいい家に住んで、人より2度か3度よけいに美しい女性から、まあなんて素敵な人って褒められたら、もういいじゃないか。それ以上、何が欲しいんや、身体こわすぞ、羨ましいけど。


「 結局、あなたもそうなりたいわけね 」
 Mのぼやいている隣りで、ファッション雑誌『装苑』をめくりながら、足指にもマニュキュアして、かの女がポツリ。

「身体こわしても、乱れた甘い生活を一度はしてみたいなんて。それが生きている人の励みになるんだ、と言いたげなんでしょう。
 でも、度が過ぎた権力と金儲けは、一種の賭けなのよ、明日がわからないわ。あげくの果てに殺されるか、それとも借金倒産か、奢侈な生活で社会不適合者になるのか紙一重。それに、ごらんなさい、平凡な人よりがんばって闘うから、人間関係、社会関係がボロボロで大変。

 でもほんと、あなたも一度は身も心もボロボロになって、あたしにも素敵な宝石なんかを、プレゼントしてちょうだいませ。わかる、あたしはお金がかかる女なのよ 」


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