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『小説』 あの頃のぼく(3)

( 都会に住んでいるとわからないけど、目立たなくても静かで健気けなげに生きている人が多いんだ。そんなある日、後藤さんがいなくなった。会社をやめたらしい )

 建物の外を見ると、
冬景色が訪れようとしていた。
そんなにまだ暖房を入れようとする時期でもなかった。
だけど、
あきらかに建物の内から見ても景色とか湿気さがもうすぐだな、
と感じられた。
そのことが、
ぼくのこれからの人生を気分的に暗示しているようだった。
こうやって世の中の人と同じように年老いて、
生活していくんだろうな。

 世捨て人みたいな、
禅僧みたいな感じでなんだかさびしい。
でも、これでいいんだ。
静かにおとなしく健全に暮らしていこう。
親もとの近くで生活して親孝行するのがいちばんかな。
これが人のいい生き方なんだ。
ふと、そんなことを考えていた。
ひがみでなく、そう思えるようになってきた。

 後藤さんはぼくのそんな思いを包みこむように、
ふくよかな丸い顔をさらにふくらませて話の相手をしてくれた。もしかして、
いまのぼくの感情をさっしているかのようだった。
内情はわからないにしても、
ぼくの心の状態がわかっているかもしれない。
だから、ぼくとつきあってくれている。
和らげようとしてぼくをここに誘ったのだ。
後藤さんはぼくより倍近い年齢、
ぼくと同じような体験や気持ちがきっとわかるんだ。
ぼくの表情を見て感じているのかもしれない。

 そんなふうに見えないにしても、
ぼくにそんなことを考えさせる不思議な魅力を持っている。
ぼくだけかもしれなかった。
フィーリングの問題。
偶然に、
いまの心の情況にいくぶんかも心を落ちつかせるような人物だった。
ぼくにとって、とても好人物だった。


「田中さんは、どんな画家の絵がお好きなんですか」

「美術出版社に勤めているわりには、じつをいうとまだよくわからないんです。誰がいちばん好きかといえば、マティスですかね。気持ちが暖かくなります」

「そうですよね。壁に飾っておくのに最適です。美術的にすばらしいものであっても、飾っておいても落ちつかないのはいやですよね。いくら高価なものであっても、ぼく自身、あまり仰々しい絵は嫌いです。飾ってあって和らぎがあれば、いいという感じです」

 いかにも後藤さんらしい言葉だった。
家庭団欒の光景が見えてきた。

 話していくうちに、
だんだんと後藤さんの人柄とか考えていることがわかってきた。それに失礼といってはなんだけど、
意外に教養があるのに驚いた。
そうなんだよね。
外見ではあまり人をきめつけたらいけないとは、
後藤さんにもあてはまることだった。
そのことが、いちだんと人の好さをひきたてていた。

 たしか初めて後藤さんに会ったときもそうだった。
三の宮のさっちゃん先生の注文書をぼくに手渡すときにいっていたもの。
『構造主義と記号論のあいだで揺れるヌーディスト』という題名を見て、
これはどなたが読むんですかと聞いてきた。
そのときぼくは、
ええ、
画家の先生が前から欲しがっていたものなんですといったら、
ふうんとうなづいていた。

 ぼくはすこし気になったので、
なにか思い出とか、あるんですかと聞いた。

「いや、たいしたことないです。ちょっと題名が気になって昔を思いだしたんです。わたしの若い頃、現象学とか実存主義がちまたに氾濫していたので、移り変わりは早いなと思ったんです」
「ちまた?」

「世の中。特に知識人のあいだですかね」

 すごいんだ。
後藤さんもそういう本に関心があったんですかと聞いたら、
いやいや、巷から噂が流れてきたんです。
そういって、
後藤さんは照れ隠すように薄くなった頭を柔らかくふれていた。

 いまでは家庭のパパになっています、子供たちとアニメやアイドルを見て一緒に楽しんでいますよと、にこにこして、まんざらでもないといった様子だった。それがとても似合っていた。



 その日、
会社にもどって、
テーブルの向かいに座っている広野さんに聞いた。
後藤さんとの話に出てきた言葉について、聞いてみた。

「広野さん。現象学とか実存主義って、なんですか。聞いたことあります」

 お茶を休憩がてら、
のんびり飲んでいた広野さんはびっくりしていた。
いったいなんだよ。
急に、どうしたんだよ。
なにかあったの、と聞いてきた、
別に、ちょっと気になって。
知っていますか。

「知らないということもない。大学の時、すこし聞きかじったかな。現象学はフッサールとかいうドイツの人がいったもので、まあ早い話、裸の王様を素直に見る子供のまなざしみたいな、もんかな。たとえていえば、そうかな」

「意味わかんない」

「本人も、ほんとうはわかっていないんじゃないかな。思想は時代の気分が大きく関わっているからさ。サルトルの実存主義が流行したと思ったら、もう構造主義者が出てきて、いずれ去っていくんじゃないの。日本のランボー、日本のサルトルとかいって、早いものがちに日本のインテリたちは取りあってさ。日本の市場を競いあってるの。覇権争い。もともと西欧の思想って、目先の至近距離間といって近視眼的なんだよ。すぐ流れさっていくさ。跡かたもなく。遺跡だけが残る思い出みたいなもので、昔はすごかったなという始末。

 あまり深く関わらないほうが精神的にも身のためにもいいよ。参考程度に寄りそうぐらいが花さ。特に政治活動に関してはね。ヨーロッパだけでなくアメリカを見たらわかるだろう。やたら戦争ばかり。勝つには勝つのに、まったく見通しが甘いんだから。もっとも話のネタとか、インテリっぽく見せたいなら話はちがう。昔もいまも、そして将来も学者や若い学生は目先の流行を追う習性みたいだよ。誰それと実名はいわないけど、そうじゃないの」

 広野さんはとても饒舌だった。
こんなにしゃべる人だったんだ。
知らなかった。

 仕事関係の時はよく会話していたのを聞いていた。それも電話対応の時ぐらいで、それ以外の時は無口で静かにデスクワークをしていた。切り替えの早さに驚いたことがある。これが大人の仕事かなと。
 淡々と仕事をこなしていた。あまり他人とは深く関係をもって仕事をしていこうという気はないようだった。じっさい私生活のことでもあまり話したことがなかった。どんな人かも、まだよくわからなかった。
 話すきっかけがなかったのでいいチャンスだと思って声をかけたのに、おもわずぼくの無知を披露ひろうしてしまった。

 大学生の時、
なにかあったのだろう。
ぼくの質問でなにか急に、
昔を思いだしたかのようだった。
まさか、
ぼくの問いがこんなに話がふくらむとは。
聞いているぼくはなにもわからないのに、
ひとり興奮ぎみにしゃべっていた。
話を聞きながら、
なおさらぼくがまだなにも知らない子供に思えてきたし、
広野さんが大きく大人に見えてきた。
年齢以上に大人の感じを受けた。
いままでなにも学んでいない。
学校で教えている教科書しか知らないということをいやというほど知らされてしまった。
こんなに差があるなんて。

 だって、
大学受験の勉強で忙しかったんだもの。
受験に関係ない本は読むひまがなかったんだもの、
といってかたづけられない。
くそっ。
とてもコンプレックスを感じる。
同じ男なのに。

 でも穏やかな後藤さんみたいな大人もいるから、
いいか。
のんびりしてすこやかに、
すこしたくましくあれば、もっといいかな。


 それからどれぐらいたっただろう。ひさしぶりに本の取次所に行くことになった。仕事が忙しくなったのでごぶさたしていた。それにさしせまって行く必要もなかったし、電話で連絡すればこちらの方に出向いてくれることもあった。

 行く時は近くにあったので、なにかの用事のついでという感じがあった。気晴らしに行く感じだった。後藤さんと知りあってからは、もっと気分転換というより安心感を持たせるために行っていたようなものだった。

 ところがひさしぶりに行ったら、後藤さんはいつものところにいなかった。対応してくれるひとが他の人に代わっていた。

 あれ、
今日はお休みかな。
普通のウイークデーなのに、
病気、
それとも配置転換。
どこかの部署に移ったのか。
年休というのもある。
そんなことを考えながら用事をすませた。
時間があったので上の階の喫茶室に行った。
ここは、
後藤さんとショートケーキを食べながら語りあったところだ。
それを思いだして、コーヒーとともにショートケーキをたのんだ。

 あの時と同じように、
黒ぶちの眼鏡をした痩せた女性がテーブルに運んできた。

 ぼくはありがとうといって、
コーヒーに砂糖とミルクを甘すぎない程度にいれてスプーンでかき混ぜた。
家でインスタントを飲む時はそのままブラックで飲む。
喫茶店で飲む時は口のなかをすこしまろやかにするために、
コーヒーの表面上に薄くミルクを張るように一滴入れるようにしていた。
せっかく外で飲んでいるので砂糖もあるし、
もったいない。
これもほんのすこし入れる。
コーヒー味がなくならない程度に入れる。

 スプーンをコーヒー皿の上に置いて、
ひと口飲んだ。
うん、うまい。
それからコーヒーカップを皿の上に置こうとした時、
おもわずはっとした。

 そばにコーヒーを運んできたウエイトレスが立っていた。
黒ぶちの眼鏡をした女性が立ちさらないで、
ぼくのそばに黙って立っていた。
なにか、いいたそうだった。

 あの、
なんでしょうとぼくはいった。
左手に盆を持って、女性はつっけんどんにいった。

「後藤さん、やめましたよ」
「やめた。会社を、ですか」

「ええ、そう。会社をやめたの」
「どうして」

「さあ」

 なにかあったのかな。
会社でいやなことがあったとか。
他にやりたい仕事が見つかったとか。
新しいことをやるといってもそんなに簡単じゃない。
年齢もあるから若い人のようにいかない。
よほど思いつめたものがあったのだろう。
ここで会った時はそんなふうに見えなかった。
楽しそうに見えたけど、
たしか、まだ子供も小さかったし、
そうなのか。


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