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 秩序錯乱、平塚正幸


 気概は、まだ生きているか。

 新しい文学を創造する青年にとって、名声と富を欲しがっても、三島由紀夫や大江健三郎、村上春樹のような一度うまく行った生き方を好まない。内容の良し悪しではなく本能的に拒否する。新しく変わった、生き方と文学作法を求めがちである。
 ここにもひとり、「社会の分野」で変革を求める男がいて、利権で政権を取っている与党、メディアに近づき顔を売ろうとする政治家を嫌い、悪戦苦闘中。誹謗中傷を受けても誉められそうにも見えず、ひとり孤立無縁の中で沈んだままだ。打開策は見出せるだろうか。

 けっして、かれはゲバラをめざしているわけではないだろう。社会活動家をめざしているようだ。
 これは以前に投稿した、「昔男ありけり。名を立花たかしといった。」とカップリングで、読まれるのが好ましい文章です。


 秩序錯乱とは、文字通り秩序が錯乱し、無秩序になることです。体制をあずかっている者たちには、悪い人、いい人に限らない。行為表現そのものが問われます。
 幕末の坂本龍馬や戦前の大杉栄もそうだし、フランスでは最近まで不道徳な詩人のレッテルを貼られていたボードレール、発禁処分を受けた萩原朔太郎の詩がそうだった。

 いつの時代も新しいものをクリエイティブするものは、当時の社会や生活に拒否反応する輩だった。すこやかに育っている、正常なわれわれには理解できない人たちでもあった。
 いくら大衆文化といっても子供や大衆の人たちに、創られたその時から、うんよくわかる、君のいうことよく理解できるといわれるわけもなく、深く考えたものがそんなにあっさり、目先の世間受けする、大衆受けするような文化商売を潔く思わないだろう。

 それゆえ新しいクリエイティブなものは遅く理解されるのを常にして、いつも非難されるのを当然とする。そしてメインの場所では生まれない、決まって社会の片隅で生まれた。
 現行のわれわれ日本国が属している資本主義の大衆的民主主義にそぐわなくて、一日も早く人気を得て、できれば金儲けができて優雅な生活ができるように願い、人気を幅広くねらって支持をうけて、マスコミ受けして社会のメインを歩くのに逆行している。

 でも政治の場合、負けたら、「生け贄」だ。だからいまの情況の中で生きて、明日がどうなるかわからない中で行動する人間とは、思ってみれば思ってみなくても、もっとも賢い生き方は、強くて大きな集団の「後に」ついて行くことが、無難な処世術だと誰でもわかっている。


 たとえば、むかし子どもの頃読んだ、悪い代官と闘うウィリアム・テムの活躍や、大きくなったら、貧しい庶民を救う医者の赤ひげ先生になろうと、夢見た時。
 時は過ぎ、青年になった今、われわれはどう感じているだろうか。いまも昔も、青年の心にどこか熱く思っていても、立ちはだかる冷ややかな世間と、従順につつましく社会に迷惑をかけないで、両親に親孝行したいという気持ちが先だってしまう。

 それに社会と身のまわりの肉親縁者を声をよそに「飛ぶのが怖い」を振り切って、
一歩を踏み出しても、
「壁」の前でラスボスの声が声をかけてきて、自分じしんに問いかけてくる。

 これが本当に正しいことなんだろうか。
単なる見栄で、やっているだけじゃないのだろうか。


 多くの作家や芸術家が夢果たせず挫折したように、政治団体や宗教団体も迫害され挫折して、悪い方向に行くこともわれわれは多く知っていて、うまく行けば、どこまでもうまく行くとは限らないし、行かなくてもかえって、違った展望が開けてくることもあり、すべて、運命と本人の意志の力がおよばないところにあった。

 そこでいま、ボクはひとりの人を推します。
 成功者や歴史に登場する人たちは、したり顔で物語る歴史作家に任せ、ポテトチップスを片手にコカコーラを飲みながら苦労話に耳を任せても、この人物は現在進行形でいつのたれ死ぬかのような未来しか浮かんでこない。だから、今もう一度かれにやさしい言葉をかけてあげよう。ほらいろんな声が、聞こえてきそうだ。

「いつまで定職につかないで、そんなことをやってんだよ、仕官を求めて原野をさまよう孔子や宮本武蔵の気分か、おまえのやっていることは世の中に通用しないんだよ、人は汗水流してサラリー稼いでいるのに」

「まーちゃん、早く、そんなわけのわからない事やめて、お母さんを安心させておくれ、公務員は楽でいいみたいよ、おじさんにも仕事のつてがあるそうだから、早く孫の顔も見せておくれ」

        ○


 この文章は、かれのユーチューブにコメントしたものです。都知事選挙の前、N国党の脱退騒ぎの頃。いまでも政治家にありがちな、ゆえあって現在はユーチューブはバンされ、旧ツイッターも凍結されたらしい。幸い、下書きが残っていたので、ここに再掲できました。

   ( 初稿2011、1、10  再稿2023、11、20 )




           ○



「明日のために 平塚正幸さんへ」

 士はおのれを知る者のために死す。女性はおのれをよろこぶ者のためにかたちづくる、とかいいます。女性は少しばかり、憤慨するかな。

 最後になるので、少し長くなってもいいでしょうか。

 初めて平塚氏の動画を見たとき、変わった人だな。田中角栄や石原慎太郎みたいに、おもしろい芸風だなと思っていました。

 だから立花たかしから、君がいたらN国党は迷惑なんだよ、そんなこといわれて、ノコノコついて行く奴は男じゃないぞ。
 まったく、そんなもん。たしかにNHKはマスコミの総本山だろう。だからといって、いつまでもメソメソ怨み節をいっている場合じゃない。オレはもっと高いものを目指しているんだ。

 そう、いってやれと思っていました。さすが大学中退、高卒とはひと味違う。感服しました。ちなみにワタクシ、大学を卒業しています。ごめんね。差、つけちゃって。
 立花たかしさんはゆえあって大学に行けなかった。

 さて。たとえて言えば、若い頃の詩人のアポリネールと画家のピカソ。モナリザ盗難事件の嫌疑かけられ、警察にしょっ引かれた。チンピラ扱いされ、悔しい思いをしました。ラ・サンテ刑務所での情けない気持ちを歌った、アポリネールの有名な詩があります。
 また三島由紀夫が若い頃、本の内容で裁判にかけられて、侮辱されてしまった。もし僕が森鴎外だったら、あんなこと言われなかっただろう。悔しかったと述べています。

 じぶんの評価はじぶんでするのじゃなくて、他人がするとはよく聞かれる言葉だ。文句言われて、ナンボや。偉大になったら、人は文句を言わない。
 人気アイドルも、カゲでいろいろ言われています。何よ。何さ。ホイサッサ。(あっ、どうもすみません)。美空ひばり、松田聖子になれば、誰からも言われない。ひどいスキャンダルでない限り、言われない。

「すべての生物はマイナスイオンを浴びて、成長する」。それを逆境とか、挫折とか、ハングリーとかの言葉に変換しています。平塚氏本人もわかっているように、早く力をつける以外にありません。
 男一匹。働けば、お金がついてくるように、本人の後に肩書きがついてくるような。そんな人物に、ボクは期待するひとりです。






(↑ かつてNHK打倒を掲げ、華々しく注目を集めたにもかかわらず、子飼いの世渡り上手な者を重用して、みすみすまれに見る逸材を野に放した男の、興亡一代記)

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