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『ドラマ』 愉快な家族会議  母さんの場合



 * もとの(1)と(2)をまとめて新規投稿したので、少し長くなっています。

 画像は母さんの若い頃



わたしの場合は、
一郎みたいにまわりくどいものじゃない。
聞いてみるとおもしろくないかもしれない。
でも、ものは試し。
話すだけ話してみる。
多少、不愉快だったことには変わりはないし。

きょう昼ごろ、
久しぶりに電車に乗って
目論(めろん)町に行ったの。
気分転換にね。
いつも同じところで生活するのワンパターンだし、
精神的によくないから。
いくら主婦しても
新しい気持ちでいないといけないでしょう。
街で新しいものを見るのはいいものよ。
デパートなんかも見て、
父さんの給料じゃとても買えそうにないわ、
と思いながら見て歩いたわ。

結局、買ったのは安い買い物だけ。
さびしいものね、主婦って。
あんなに歩いてみてショッピングしたのに
櫛(くし)ひとつ。
ちよっと変わっていたから買ったの。
おかしいかしら。

それから疲れちゃったから、
足湯につかっちゃった。
最初なんだろうと思っていたら、
なんとこれが温かい湯。
デパートからすぐ出たところにあって、
温泉が出ているらしく、
みんなが足を伸ばし湯につかっているの。
びっくりしちゃった。
街じたいが郊外にあるといっても、
まさかね。
ありがたいことには、ありがたい。

三人ぐらい座れるベンチがこちらと、
あちらにふたつ。
無料だから、
わたしもちゃっかり座っちゃった。
ひとつのベンチにひとりで座っていたの。
裸足になって湯の中につけたら、
とても気持ちがいい。
やっぱり家を出てきてよかった。
こんなに気持ちよくくつろげたから。


しばらく、
ルンルン気分で足湯につかっていたら、
誰か横に座ってきたの。
黒いスーツ姿の男性。
若い男性。
横に手さげ鞄を持っている。
すぐさま靴と靴下を脱いで、
湯の中に両足をつけていたわ。

ズボンを摺りあげたすね足には幾分、
毛が生えていたのが見えた。
ちょっと見て、
なにかしら少女時代みたいに胸がドキッっと
しちゃっていけないものを見たような気分がして、
いつも父さんのを見ているのにね。
ちがう他人のものを見ると、
あらっと新鮮に思うのよ。
これ、父さんの前でいってもよかったのかしら。
うふふっ。

それでしばらく黙って、
二人して座って足湯につかっていたの。
ちらっと見ると、
男性は前を見て両足をつけている。
わたしもまた、
目を前の足湯に向けてうつむいていた。
それからまた、なんとなく横を向くと、
その男性がわたしを見つめていたの。

いっしゅん、びっくりしたわ。
目がお互いあっちゃって、
眼鏡の向こうは二重まぶた。
わたしを見つめている。
男性は顔をこちらに向けてずうっと、
わたしを見つめている。
わたし、
どぎまぎしちゃってどうしようかと思ったわ。

あんなに他の男性に
見つめられたことがないから。
しかも、若い。
三十歳前後。
どうしよう。
いい寄られてしまっては、
わたしはひとの妻というのに。
いけない、いけないと思いながら、
初めて経験する不倫な思い。
これが、俗にいう不倫というものかしら。



と思いきや、
また男性はプイッと顔をもどし、
足湯の方に目を落としている。
わたしはあらっと思って、
肩すかしを受けたような感じになった。
だから、わたしも顔をもどして
前方の湯を見つめていたの。
そしたら男性がいきなり前の湯を見つめながら、
思いだしたようにいいだしたのよ。
奥さん、知ってますかって。

「ひとの生みだす思想とか、想像力は現実の中からしか生まれないんですよ。本当の思いはね」

わたしはいきなり話されたものだから
びっくりしちゃって、
なんのことだかさっぱり。
言葉や主語述語が捕らえられなくて、
意味不明。
日頃、聞きなれない言葉だから
面食(めんく)らっちゃったわ。
神を信じますか、の前ぶれかしら。
こんなおばちゃんにいっても無理なのに、
主婦のわたしにどうしろというの。
すると、また男性は話しはじめた。

とまどうわたしは聞くしかなかった。
これがなにかの勧誘かわかっても
どうしようもない。
わたしは足湯につかって身動きできない。
そんな話は聞きたくない、
と強くいう勇気もないし、
そそくさと立ちあがる変な不作法もできない。
だから男性の話をただ聞くしかなかった。
優柔不断な主婦だと思われても、
ただいいなりに聞くしか。
でも本当は、
悪い気持ちもないわけではなかった。
若い男性と話したのは、
結婚以来久しぶりだったから。
うふふふっ。



「ぼく、思うんですよ。会社に入ってから七、八年、いったいなにをしているんだろう。学生のとき、あんなに本を読んだのに、いまの現実生活にどれだけプラスになったのかって。実用書ならいざ知らず。でも、推理小説や大衆小説みたいな娯楽小説ばかり読んでもしょうがない。楽しいだけでは物足りない。

 だからといって、哲学書や政治思想を読んでもね。そんなことをいう季節はとうの昔に過ぎちゃっている。そういいながらも、力強い本を読みたい、なにかを得たいという気持ちもあって難しい本を読んでいきました。奥さん、おもしろくないですか」


えっ、はい。
わたしはおもわず意識がわからず、
眠りかけようとしていた。
ただ男性の言葉の内容が
わたしの頭の中を通りすぎ、
声だけが心地よく聞こえてくる。
男性の声を聞きながら、
ぼおっとして足湯の中の両足を見ていた。

それからときおり、隣に座っている
男性の両足の指先を見つめていた。
思いだしたように、
両足の指先の間を五本とも、広げている。
なんだか、
足指でニンギニンギしているようだった。

わたしはいった。

「お仕事、大変なんですか。疲れているんですよね」

「まあ、そうですかね。スランプといえばスランプみたいでそうでもないと思うんですけど、こんな気持ちの状態は初めてなのでストレスが溜まっているとか、仕事が行き詰まってスランプというのか、わかりません。

 でも、そうでしょうね。あかの他人に、通りがかった人にこんなことを話すなんて、そうでしょうね。でもいまいったことは前からすこしずつ思っていたことで、つい、足湯につかっていい気持ちになったせいか、気持ちがゆるんで心を開いてしまいました。どうも失礼しました」


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そんなことないですよ、といったら
男性は安心した様子だった。
するとまた、
足湯の前にあるデパートの近くを
通る人たちを見ながら、男性はとつとつと話しはじめた。

「いま思うと、ものの考えかたをすこし間違っていたような気がするんです。すでにある本の中の思想や想像されたものから物事を考えていました。

 だからじぶんの思ったことが思う通りにできなかったり、他人がぼくのことを理解してくれないと、ひどく憤慨してじぶんの殻に閉じこもっていました。じぶんは正しいのにと思いながら。

 たとえば思想や宗教などは、初めに人々を救うための考え方だったのに、国家に公認された思想や宗教になると体系が整備され、大々的になるのに反比例して枯渇していってしまう。しまいにはその思想や宗教に違反すると異端裁判されたり粛清されてしまうのです。

 こまったもんです。そんな大きい事ではないですけど、ぼくも似たような雰囲気になってしまった。まあ相手を弾圧するほど仰々しいものではなかったですけど、やっぱりいけませんよね。いくら正しい考えであっても強引に人に押しつけては、だから改めようと思ったんです。

 そして現実のいま、デパートの前を歩いている人間から、個々の事件、自然の中から、ものを考えようと決めたんです。すでに書かれた本の中の思想や想像を参考しても、重要視しすぎると現実が見えないようになると思ったのです」



そんなことがあったんですか、
とわたしはまだ年若い男性に聞いた。
他人のことにあまり口をださないほうがいい。
でもあまりに落ちこんだふうだったので
どんなことがあったんだろう、
こんな中年主婦のわたしに
語るぐらいだからいろいろあったんだろうな。
もっと語りかける人がいるだろうに。

それだけ追いこまれているということか。
話相手がいないとか、
それともわたしがもっとも危惧している
なにかの勧誘の前ぶれなのかもしれないと
頭の中をちらっとよぎるのだった。



あはははっ、
と突然
男性はなにか知らないけど笑った。
それからしばらく顔を下にうつむいて、
すこしばかり目もとを押さえ、
突然笑ったことをあやまった。



「そうですよね、じっさい。なんでも思った通り、計画通りに事を運ぼうなんて間違っていますよ。そんな計画通りに人生を毎日暮らしていたら、おもしろくない固い生き方になってしまいますよね。

 やっと最近わかってきました。多少、道が横にそれたってそれがいったいどういうものになるわけじゃない、長い人生にしたらたいしたことじゃない、と昔テレビで年を取った人たちがいっていました。成功したからいえることであって、過去のことはよく見えます。いい訳にすぎないと思っていました。

 まあすこし見方がちがいますけど、じっさい過去を振りかえってそんなことをいいたいですよね。だけどそんなことをいいたいためにがんばるのも、やっぱり計画的というものですかね。成功すればいいというわけじゃないけど、タレントが名の売れたあとに、話のネタのために貧乏生活をするようなもので、昔の作家や芸人が使った手をまたやっているようなものでワンパターン。

 やっぱり意識を変えないとどうにもならない。いかにして、生き生きとした生活を送ることができるか、考えていたんです。どうやって。

 そしたら偶然、ここを歩いていたらそれが見つかったのです。足湯をつかっている奥さんを見て、ぼくは人生の奥義がわかったんです」

「えっ、わたし」

「そうです。奥さん、あなたです。通りをすこし離れて、ひとり足湯につかっているあなたを見て、ふと思ったのです。

 なにも考えないで、気持ちよく足を湯につけている主婦のあなた。デパートショッピングの帰りだろうか、昼下がり、おだやかな陽ざしを背中にあびながら、のんびり楽しそう。人生の悩み、家庭のいざこざがたぶんにあるにちがいない。それなのに、微塵も感じられない姿とその趣き。

 ぼくは愕然とした。ぼくの単なる見間違いだろうか。そのおおい隠している中には多くの悩みがあるはずなのに、いままで生きてきた人生の苦悩に障害がなかったはずがない。それなのに、なぜ。

 ぼくは、しばらくあなたのうしろ姿を見ていました。老人というほどでもない。失礼ですが、そう若くもない。そのたたずんでいる姿に、ぼくはいままで思い悩んでいた解答を見つけたような気がしたのです。それはなんだと思います」



わたしの魅力かしら。
それほどでもない。
でも若いときはこれでも綺麗と
いわれたことがあるし、
結婚も父さんからプロポーズされたから
見る人から見たら意外に魅力があるんだわ。

そうはいっても冷静なわたし。
そうやすやすと相手の手にのらない、
口ぐるまにのらない。
わたしだって、見る目はある。
これもたぶん話が長くなっているけど、
なにかの売りこみにちがいない。
だから、すこしうっとうしくなってきたので、
ちょうどいい頃あいをみて切りあげようと思った。

「あら、なにかしら」

「なにも考えない心、なにも考えない気持ちなんです。わかりますか。計画通り、物事を進めようとしない。前にいったように計画通りやると、うまく行かないときもありますが、うまく行くときもあります。多少とも、達成感はあります。

 けど大きい、長いものの目で見た場合、本当にそれでいいのだろうか、それでいいという人もいます。でも、なぜかぼくは思ったのです。なんて視野の狭い生き方だろうってね。前もってわかっている過去のことを現在視野で見ているようで、現実から、未来からの、ぼくが知らない視野が入っていない。なんて狭い視野の生き方なんだ。

 あなたの趣きを見て思ったのです。テレビラジオ、新聞の天気予報を見ないで、会社に行ってもいいじゃないか。雨が降ってもいいじゃないか、槍が降るわけじゃなし。雨に濡れても死にはしない。雨に濡れたことで意外に思えることで趣きが変わる、気持ちを受けとめることで大きくなれる。

 予期しないことでも、大まかにでもやっていける心を養うことが大事じゃないかってね。なにが来ても対抗できる心をきたえていければいいんじゃないか。

 そう思うと、なんだか心も気持ちも大きくなって狭い視野がとっ払われた感じがしました。奥さんのおかげです。なにも語らない姿、ただ幸福そうに足湯の前に座っているあなた、なにも考えないで毎日を送っていても幸せである奥さん。

 そうなんだ。坐禅と同じ境地なんだ。頭をからっぽにしなければならない。そのための訓練をしよう。そうだ、坐禅をやってみよう」




なんだって、わたし頭にきちゃう

「でも、思うほど頭にくるようなものじゃない。もっと不愉快なことかと思ったぞ」

あら、父さんを不愉快にさせなかったかしら

「すこしね。いつ母さんが誘惑されるかって、心配してたぞ。こまったもんだ。まあ、いい。次は最後、わしの番だな」

 そういって、わしは話を始めていった。

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