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 つぶやきサン、最近チマタでこんなこと



 いきなり「勉強しなさい」といわれても、誰も聞きはしない。
同様に、女性がいきなり裸になって、ハイどうぞといわれても気分が出やしない。
(えっそうでもない)

だから勉強するにも、体と同じように頭も愛撫して受肉させて、やる気を出させなければいけない。
そんなモンですよ、じっさい人間ってやる気ですよ、おれってヤザワ、よろしく。


 大学のとき
討論に熱中して、1オクターブ上がり抽象的な空中戦になってしまい、まわりは意味わかんない、ちっともおもしろくないって雰囲気で、
こりゃいかん、
まわりを和ませるために、オクターブ下げて地上にもどって、「こんな感じ」のたとえしたら、同級生は苦笑いして軽くスルーしてくれても、後輩、特に後輩の女性からよくヒンシュクをかっていましたね。




         *

  つぶやけば祇園は恋し寝るときも枕の下を水のながるる
つぶやき地蔵です、ヨロシクお願いします

「よろしくお願いします、つぶやきサン、この出だしのフレーズ、なかなか艶っぽいですね 」

 そうみたい、オレ好きなんよ、正式には、かにかくに祇園は恋しるときも枕のしたを水のながるる、みたいだな

 むかし、

“ いのち短し、こひせよ、少女をとめ
あかき唇、せぬに、
熱き血液ちしほの冷えぬ
明日あす月日つきひのないものを ”

 という『ゴンドラの唄』の歌詞でも一世を風靡したらしい、吉井勇といってな耽美的な歌人として有名で、与謝野晶子も気に入っていたらしい

「 ところでつぶやきサン、最近チマタでこんなことが言われています、ご存じですか 」

 そう、言ってみて


「 文書を読んでみますね

○  
 1492年コロンブスによってアメリカが発見され、宣教師によるミッションにも報告され、人のいいアメリカ大陸のインディアンはやがて訪れたヨーロッパ人の残虐な武力で征圧されてしまった。

またその頃、1549年ザビエルによって発見されたといわれる日本では、
宣教師によるミッション報告で、やがて征圧されるにはアメリカのインディオみたいにお人好しではなかったようだ。

歴史と文化で培った「人間」というものを見る目があった。

新宗教の
普及に失敗した現地人や宣教師らは、日本政府に弾圧されたら、いつものようなキャンペーンで西側のヨーロッパ人にほめたてられ、聖人扱いにされ殉教者となっても、それ以後は方向転換して、政治に口を出さないで実利的な商売相手としてパートナーシップを結んだ。

今後は新たな強大武器の開発をして戦争に負けないような「攻撃能力」と、もっともらしい美しい「言葉」を練り直し、
今で言うマスメディアを使って、ファシズムや共産主義国、商業資本主義国のように宣伝のプロパガンダを駆使して大衆を取りこみ、
ヨーロッパの白人たちはいつの日にか白人支配をもくろむために、捲土重来けんど-ちょうらいを誓うのだった。



 いっぽう、ちょうど同じころ、お隣の「中国」でも、
日本での悲惨な現状報告を見ていたのか、ヨーロッパの宣教師たちは余計な政治に絡まないで、文化方面に食いこんでいった。
その当時ヨーロッパ人にも大帝と評されていた清の康煕帝は、この訪れてきた新たな宗教に対して、独自の鋭い推察観をもっていたがわかっている。

フランスのルイ14世から清の朝廷に派遣されたイエズス会のプーヴェに言ったとされる、こんな言葉が残っています。

「おん身らはまだ天国にいるわけではないのに、いつも天国のことを心配している。そして現世のことには、ほとんど信頼をおかない。

これは何ともおかしな話である。どんなものでも用いどきがあって、上帝がわれわれの手のうちに賜ったものは、よく利用せねばならぬ。

おん身らの心づかいは、ただ死者にたいしてのみありがたいのであるから、その心配は死んだ あとにのばすがよい。
朕はあの世のことにはほとんど興味がない」

この文章を引用しながら、ある学者はこう語った。
“実用主義者 の康熙帝にとって、キリストの説く福音はまったく無縁 であった”

あたかも生きているときは評価されなくても、死後に評価されればいいもん、というような芸術家や作家みたいな人とは無縁と言いたいらしい。
結果として、妥協しないで報われなくても、生きているときは限りなく悔いのないように生きて、他人から見てどうあれ、本人は幸せだった一生を送るべきじゃないかな。

火星では火星に適した生き方があるかもしれないように、狭いといっても地球の各地の皆さん、
さまざまに歴史と文化を育んでいたんです、それを突然あらわれて邪険に、あんたらの考えはよくないとか、カッコよくないと言われても。

たぶんに、近代以降の欧米は単なるケンカや戦争に勝って偉そうに言っているだけで、
そんなモン、たしかに日本でも、政治体制をくつがえすような、政府政策に従わなかった人々には弾圧した。

けれども
宗教や思想に限らず、個人の嫉妬や妬みで魔女狩りしたり、個人的な権力争いで粛清しているのに、美しい言葉で正当化することはなかった。

このように宗教ばかりでなく、資本主義や共産主義の政治思想、明治以降のヨーロッパ文化や、世界大戦後のアメリカ文化を「盲信」して、さもありがたがっている人にも当てはまっていた、

などと文書では、こんなふうに一部の知識人関係者の間でささやかれている、と書かれています 」


 ありがとうございました


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