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 気のせいか、スタン、シュタン、スタンス


 人は未知的なものにあこがれる

 気のせいか、ときおり流れるBBC放送はどこか静かで落ち着いた声がして、多少聞き取れるのに、米国の放送はなぜかザワザワしてあまり聞き取れない。たぶん、ボクの語学力のせいでしょう。

 BBCは公共放送機関で、米国三大テレビ局やCNNなどは民間というスタンスもあるのだろうか。とはいっても辞書では英音より米音が先に来て、日常生活にも米音がまさって便利なようだった。

 ご存じののようにアメリカでは、
クラシック音楽に作曲家も演奏家もいるにはいるけど、関心があるのは金儲けできる娯楽で、集客できる商業音楽ばかり、マーケティングに熱心です。
 洋書店に行っても古典はイギリスのペンギンブックスにまかせて、アメリカ発売のペイパーバックはホラーやファンタジー、探偵物の現代物の娯楽ばかりで、子供中心か気晴らしで読書するサラリーマンが対象、周りの棚を埋めつくしています。好まれ、売れる本が国民に支持されてる証拠といわれ、お金が「幸福の源」といわれるアメリカ人の心情もわかるには分かります。

 でもストーリー中心の英米文学といわれるなかでも、いっぱしの小説より子供向けの本にはいいものが多く、楽しく軽快な文章には気がひかれるものがあります。
 新刊ではとても高くて何冊もあり、とても買えないJ・R・R・トールキンの『The Lord of the Rings ( 指輪物語 )』のぶ厚い一冊本を、古本屋で安く手に入れて、読み始めました。二十歳過ぎの大人でも手ごたえがあり、マンガみたいに読み進んでいけて、長編にありがちな、あと何ページあるんやという気持ちが起こってきません。


( 翻訳もシリーズで何冊も出て、読みやすく評判のようです。この本は別として、さすがに大人になって、子供向けの本は遠慮しがちです。そんなときは、よくわかる翻訳本より、いくぶんアバウトにわかる原書の方が向いています。

 子供の頃、歌謡曲よりもポップスやロックに心ひかれ、何と歌っているのかわからなくても楽しかったし、洋画も横目で字幕をチラチラ見ながらでも全部わからないままにいい思い出になっています。
 子供の頃は、未知的なものにあこがれます。何かわからないぐらいが気を引かれ、好奇心が湧いてくるというもの。

 優れた演奏家の奏でるクラシックはまだしも、楽しんで聴くジャズやロック、女性とはいくぶん違った気分で、聴いてばかりいても同じ男として馬鹿にされているようで、ヘタでもいいから弾いてみたくなります。
 洋書も同じで、娯楽性のある楽しんで読める探偵小説やSF、コミックの洋書を読めたら、負けない気持ちで、そこはかとなく作家と友達気分になります。

 始めは、やさしい本とか、翻訳で一度読んだことがある本で確認しながら読み、それから細かい所はわからなくともスリラーとか恋愛もの、探偵物、SF、SM、ハードコアなどなんとなくわかるものへと続き、習うより原書を読むことに「慣れる」ことが肝心ですね。
 また英語のむずかしい本は読めるのに会話が苦手な学者もいて、以前、アジアの国際空港に降りたったとき、文字はまったく読めないのに英米人顔負けで、英語がペラペラだったタクシーの運ちゃんにはさすがにビックリしました。
 読み書きすぐれ、会話力ができればいいもののそんなにうまくいかず、進む道や生活の要件で左右され、あとは補っていくしかありません。

 それにしても、小学生にもなっていない日本の子供が日本語とはいえ、えらそうにしゃべっているのも不思議だし、外国人力士の中に日本語をしゃべれない人があまりいないというのも不思議です。やっぱり、日ごろの慣れですよね )


 そんな感じで
日本でも、テレビ局はいくぶんスタンスが違う。受信料で成り立っているNHKは、ニュースが主なのか緊急事態でもあわてないように、女性アナウンサーでも声は低めで、落ち着いた聞きやすい波長音で、容姿はそれなりにでも多少の知的さをそなえています。
 いっぽうCMで運営している民放は、視聴率が不可欠なので、引きつけるために女性アナウンサーの声は明るく高めに設定されて、容姿も可愛くて多少の知的さよりも、ご家庭用の明るく愛嬌のある人が必要不可欠でした。


 それにしても、
組織ができあがった所は初期の健康で素朴な野心さは消え去って、孫の世代には外見よく社会的地位が上がっていくのに、中の機構ではいつのまにか利害関係やソンタクで絡めとられ、社会の良識のある人には相手にされなくなった。

 その他の政治や文学でも例外でないのは、歴史を見れば、人間のいたるところにあらわれる光景です。柳生一族の柳生新陰流も、十兵衛以降は実力の剣よりも「政治の剣」になり、明治初期や戦後すぐでは、作家の境遇も社会的地位もまだまだ低いのに、有名大学出ても、生活安定の教師より生活不安な作家を選び、後輩の孫世代の作家になれば生活境遇も地位も上がってきているのに、どこかハングリーさに欠けています。楽な道を選びがちだった。
 捕まったら即、拷問され殺される覚悟で戦っていた中国革命世代の孫や、新世界のアメリカに漂流して、苦労して富を築いた政治家や財閥、ケネディ家とかロックフェラー家の孫世代などをよく見れば、どんなもんかわかります。

 そういうわけでスポーツカーの高級車を乗りまわし、米国のハーバード大学の卒業式で、記念写真を撮っている中国共産党幹部の子弟が新聞でもよく見かけたものでした。 
 後々の何かのときの保険か、
あるいはいつも、まるでアジア人どうしが団結しないような、中国とのアツレキを画策されている甘ちゃんの日本。いったい、誰が喜んでいるんだろう。


( 敵を内部分裂させ、団結させないためにいっぽうに味方するのは、支配層の白人が植民地でよくやっていたテクニックです。以前よく、日本の支配層もまねをしました。
 大学の自治会、会社の労働組合、野党間分裂、それ以前にも無意識的に幕末の過激派。
 何もしないのに、以前に中核派と革マル派が内ゲバをしていたとき、警察は大喜びでした。山口組ももっと派手に内部抗争したら、警察は市民団体とか親睦団体のテレビ・新聞を使って、これでいいんでしょうか、とあおって、とり潰せるのになあ )

 比較的プライドが高い人が多い、黄色人種。
中でも闘うインディアンは全滅され、
代わりに従順なアフリカ黒人が連れて来られ、
奴隷にされた。
同じアジアの黄色人種でも
対決する中央アジアは爆撃され、
主義主張の違う中国とはにらめっこ。
戦争に負けてから、ずうーっと従順な日本国は、みずから喜んで使用者扱いにされたがっていました。


 以前オバマ大統領のとき、何かとケンカばかりしている日本首脳と韓国首脳の間に入り、お互い手をとって握手させていた。なぜか、必要以上の白い歯が印象的で、満面の笑顔だった。
「ダメじゃないか、仲良くしなきゃ」

 そんなアジア人を横目に、ヨーロッパの白人たちが第一次百年戦争とか第二次百年戦争と呼ばれ、戦争ばかりしていた連中なのに、白人どうしの利権では一緒にまとまり、アメリカでもいつかは、中国共産党幹部の子弟とアメリカ人富豪の娘との結婚も予想されて、欧米人はもっとしたたかで大人の世界だった。


 と思ったら、日本の世襲議員たちも負けていない。略歴見たら、コロンビア大学とかハーバード大学卒がなぜか多く連ねていた。その中のひとりの小泉進次郎さんは、おめでとう、コロンビア大卒で四世の世襲議員。でも高校の同級生が言っていました。
「おかしいな、あいつ、クラスの成績はビリケツだったのに」

The Lord of the Rings ( 指輪物語 )
巻頭のページ、外国人である日本人はいっしゅん、わあすごいと感じても、落ちついて見たら、なーんだ、英米人の中学高校の人が読める単語ばかりです


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