見出し画像

雑記#01「時間の流れの早さについて」

暦としては大寒が開け立春が訪れたかと思うやいなや、東京には似合わない白雪が空を舞った二月五日の夜。霙混じりの足元は実に悪く、頼りないソールを伝って不愉快な冷たさが靴底から這い上がって来た。
視覚効果も相舞ってか、厳しさを増した様に感じる寒さに何時だったかに患いかけた、なりかけの椎間板ヘルニアが此方を覗き込んで来るようでなんとも腰の心地が悪かった。

然し十日間が過ぎた二月十五日現在、路肩に残った雪はすっかり消え失せ、正しく暖冬と言った格好の小春日和かと見紛うような暖気が都心を包んでいる。この時期にコートを置いて街へ出たのは何時ぶりだったかと思い倦ねた。街からは、こりゃあ夏はどうなるのだと言う声も聞こえてくる。
なんとも物騒な明け方をした年始から早いもので二月も中腹である。齢を重ねる程に月日の流れが速くなるとは言われ尽くした文句だが、その速さたるやカレンダーの日付に残像が滲んで見えそうな程である。

哲学者ポールジャネが発案したジャネーの法則では「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する」とされ、つまり一歳よりも十歳の方が、三十歳よりも七十歳の方が体感時間が速いとのことらしいが、私はそうは思わない。一瞬が如く短い日もあれば永遠が如く永い日もあるように感じる為だ。
また一般相対性理論によれば、重力の影響で時間の長さが伸び縮みするとのことだが、此方の方がまだ幾分かしっくりと来る。

誰しもに、楽しみなイベントが目白押しの休日が短く感じられ、退屈で早く終わらないかと願う平日が永く感じられることから、取り扱う情報量の多寡によって体感時間は変容するように思う。子どもの一年より大人の一年が速く感じるのも同じ理屈ではなかろうかと。

此れを仮定として一般相対性理論と照らし合わせると、脳の情報処理量が多い程重力の影響を受けなくなる、と言うことになる。
嘗て何処ぞの詩人が「日々とは気分にまで働く重力との戦いだ」と喝破したが、強ちメタファーではなかったのかも知れないと、そんなことを徒然と思った。

思考を極めると重力から解き放たれ時間が収縮する_。とすると賢者の一生は儚い程短く、愚者の一生は冗長そのものと言うことになる。だとすれば皮肉だ。決して空想の域を出る話ではないのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?