見出し画像

活動報告 「近代建築に親しむセミナー③「ル・コルビュジエと3人の弟子」に参加しました

東京建築散歩(の中の人)は2月25日に上野で開催された「近代建築に親しむセミナー③ ル・コルビュジエと3人の弟子」に参加しました。

内容としては、ル・コルビュジエと、彼に師事した日本人3名の人生を追いながら、日本の建築にル・コルビュジエがどのように影響したか?というセミナーでした。

講師は、建築専門紙発行の「南風社」で長年ご活躍された小川格さん。大変解像度の高く濃い内容だったように思います。この記事ではその内容をシェアしたいと思います。

コルビュジェ建築の特徴

ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエはスイスの時計職人の家に生まれました。もともと目が悪く、時計の道から建築の道へ進むことに。その才能はフランスのパリで開花しました。

コルビュジェの建築はWW2の前後で大きく異なります。

戦前は幾何学的な直角ベースのデザイン。しかし戦後には、徐々に曲線を多用したダイナミックな建築へと変化していきました。

ヴォアザン計画

ヴォアザン計画の模型

戦前の建築思想は同氏が1925年に発表した「ヴォアザン計画」から読み取れます。

これは都市化の進むパリを大改造するもので、広い道路と高層建築によって構成されたもの。
面積のうち市街地はわずか12%で、その他は広場や道路、公園など。職場・住居を高層化することで、都市に住まいながら衛生的かつ自然に溢れた生活を送ることができます。

計画は実現こそしなかったものの、現在まで高く評価されています。

マルセイユのユニテ・ダビタシオン

戦前デザインの集大成は1952年にできたマルセイユのユニテ・ダビタシオン。戦後の住宅不足を補うための、大規模な集合住宅でした。8階建ての337戸、1600人が暮らせます。

たくましい直線的な柱で構成された建物は、近代建築の特徴である「ピロティ 屋上提案 自由な平面 水平連続窓 自由なファサード」といった様式を盛り込んでいます。

ロンシャンの礼拝堂

戦後のデザインとして代表的なのは、ロンシャンの礼拝堂。曲線だらけの礼拝堂は、まるで貝殻のような見た目です。壁の厚さが3メートルもあり、その深い穴に入った光はステンドグラスを通り、室内に注ぎます。

日本人の弟子3名、前川・坂倉・吉阪

ル・コルビュジエのもとには世界から弟子が集まってきました。多いときには13カ国から集まっていたようです。

日本からは前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が出入りしており、ほとんどノーギャラで働いていたとされています。

コルビュジェは戦前と戦後で大きく建築のデザインコンセプトを変化させており、弟子入りのタイミングで受けた影響に違いが見られます。

弟子1 前川國男

前川國男はコルビュジェが41歳の1928年に、同氏の事務所にて従事しています。東京帝国大学を卒業後、親戚を頼りジュネーブに。そして栄華を極めた1920年代のパリで青春時代を過ごしました。

そのため、コルビュジェの前期である直線的なデザインに、どこか文明大国の華やかな人間味を感じる意匠が見られます。戦後には東京文化会館や、新宿の紀伊国屋書店、旧・東京海上ビルディングを手掛けています。

東京海上ビルディング(現在は解体)

弟子2 坂倉準三

坂倉準三は岐阜に生まれ、美術を学び、建築の道を歩んだ建築家です。1930年、前川國男と入れ替わりコルビュジェに師事しました。

初仕事はなんとパリ万博の日本館。もともと前川國男か、前田健次郎のデザインで建設を予定しておりましたが、なんやかんやあり坂倉がデザイン。
当然猛批判を浴びるのですが、蓋を開ければ建築グランプリを受賞したことで実力が認められました。

代表作は鎌倉の八幡宮博物館や、新宿西口のターミナル(2023年現在、解体中)。その後、岡本太郎記念館や国際文化会館を手掛けています。

新宿西口

弟子3 吉阪隆正

吉阪隆正は戦前の少年時代にスイスで過ごしたこともある名家出身です。一度帰国し、ロンドンを経て、早稲田へ進学しています。
コルビュジェに師事したのは戦後の1950年。この頃はコルビュジェ建築のデザイン変革期であり、吉阪は戦前デザイン・戦後デザインの双方から影響を受けています。

戦前のコルビュジェデザインから影響を受けた代表作は、1955年の吉阪自邸(1982年解体)。直線的かつ、ピロティを取り入れた自由な空間が目立つ建築でした。

しかし1957年、「ヴィラクウクウ」で同氏のデザインに変化が見られます。コンクリート打ち放しの建物には曲線が大胆に取り入れられ、またロンシャンの礼拝堂のように、小窓に色ガラスをはめた開口部を設けています。

戦後デザインの代表作は1962年のアテネ・フランセなど。戦後のコルビュジェ思想を受け継ぎ、曲線を組み込んだ、どこか前衛的な建築を多数遺しています。

アテネ・フランセ

3人の弟子が共作「国立西洋美術館」

3人の弟子の集大成と言えるのが国立西洋美術館・本館のデザインです。建設プロジェクトが始まった当初、コルビュジェからは寸法もない簡素なラフが送られてきたのみで、彼らは頭を抱えました。

最終的にコルビュジェの戦前・戦後双方の思想を受け継いだ、1階に力強いピロティを用意した、回遊式の美術館が完成。
現在は「ル・コルビュジエの建築作品」として、世界中に散らばるコルビュジェ建築を総合する形で、国立西洋美術館も世界遺産に認定されました。

まとめ

このセミナーでは、日本の名建築のうちいくつかが、ル・コルビュジエの影響を受けたものであることがよく伝わってきました。

また、ル・コルビュジエの主張した都市計画は、現在も都内で活発に進む再開計画にも反映されていると、個人的に感じます。

詳しく掘り下げたい!と思った方は、小川氏の著書「日本の近代建築ベスト50」(アマゾンにリンクします)を御覧ください。

ほんとに、運良く抽選が当たって良かったと思います。そしてこれほど建築を趣味とする人が、性別・年齢問わず、多くいるということを知った日でもありました。

東京建築散歩は、ちょっとマニアックな都内の建築を巡る偏愛集団として、東京を「大きな美術館」として楽しめるようなコミュニティ活動を進めていきます。

参加方法はこちらか、下記のURLからどうぞ!

文:山内 写真:ウィキペディア、あるいは筆者撮影

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?