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保護犬ギーを漫画にする時に決めた事。〜イヌ日記100話目を迎えて

イヌ日記を始めた理由の、大きな1つは、「保護犬を飼うなんてやっぱ意識高くてムリ」と言われた事でした。

そしてそれに対して、他の誰かが、「そうだよねえ…」と頷いた事でした。

そして私がそこで、ヘラリと笑った事でした。本当はとても腹が立ったのに。

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私は考えました。「意識高いなんてそんな難しいもんじゃないよ」となんで言わなかったのか。“言っても1ミリも伝わんねーだろうな“と思ったからです。

それは、「相手に聞く耳がない!」と思ってるからじゃありません。相手に問題はないと思いました。今でも思ってます。私がイライラしたのは、相手がどうこうじゃないんです。

言葉じゃ伝わらない事。そこにイライラしました。

保護犬を家族にする事の「普通さ」は、保護犬を家族にしないとわからない事に、経験でしか伝わらない事に、すごくイライラしたのです。

私が1匹目の犬(オカメ)から譲渡会に行ったのも、保護犬と暮らす家族と仲が良くて、ちょくちょくあずかったりしていた経験からでした。

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保護犬といっても様々です。ギーみたいに人馴れに時間のかかる犬もいれば、オカメみたいに、酷目の環境で生まれて、成犬になってから引き取っても、素直で懐こい犬もいます(そっちのが多い気がする)。

言ってしまえば、犬は犬なのです。生き物は生き物。性格はそれぞれ。

「子犬から育てたいから保護犬は...」と言う知人友人に、「子犬から飼うことは、そんなに欠かせない事かな」と言いたくなる事も沢山あります。言う勇気ぜんぜんないけど。

特別なトラウマを抱えている犬も悲しいかないますが、でも、それでも怪物じゃありません。その犬のペースを大切にする気持ちがあれば、「ムリ」なんて事はないのです。

(繊細な問題を持つ犬を、未経験の家庭に紹介する団体も少ないと思います。“本当に無理そうだな”というジャッジは、あちら側も慎重にしてくれます。)

私は普通にギーとオカメと暮らしていました。「意識が高くてムリ」は「普通じゃない」と言われた気がして、ショックでした。

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イライラしてもしょうがない。

「意識が高いからオカメとギーと暮らしてるわけじゃないよ!」って言ったって何にもならない。更にとっつきにくいと思われる。

どうしたら体験してもらえるんだろう。“受け”じゃなくて“参加”しながら、この普通さを知ってもらえるんだろう。

そうだ、日記を描こう。そう思いました。

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ものすごく大それた言い方をすれば、疑似体験をしてほしかったのです。私のイヌ日記を通して、オカメ・ギーと暮らす事を、隣にいるような気持ちで想像してほしいと。

そのために、最初から守り続けている事があります。

洒落た言葉を使わない事。素っ気なくなってもいいから、文章に空白を残して、読んだ人の解釈に任せる事。素敵ぶって嘘をつかない事。

静かさをとって、華やかさや賑やかさを捨てる事にしました。(それが効果的なのかどうかは、残念ながら天才じゃなくてわからないけど…わはは)ゆっくり時間をかけて、何年も何年も、追いかけてほしいと思ったのです。

いつかギーが最期を迎える日記まで。

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私はギーに、いっぱいいっぱい大勢の人から愛されてほしいと思っています。だけど、そんな風に生きなくていいと思っています。

今の、ちょっと素っ気ない性格のままで素晴らしいです。飼い主を見ても簡単にシッポをふらない、そのギーがギーです。変わっても変わらなくてもいい。

そのままで、すごく愛しい犬です。

そして私たちの日常は、とっても普通の、良い日常です。ギーもオカメもマルも、温かさを毎日くれます。

日記を読んで、この温かさを隣で経験してほしい。そしたらきっと、ジワ、ジワ、と流れ込んでくるはずです。私の言っている「普通さ」が。

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マイペースな私の更新を待って、100話まで読んでくださった皆様、本当にありがとう。これからも、ジワ、ジワと描いていきます。

保護犬を家族に迎える事が、普通になりますように。そう願って。


おおがきなこ


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↓『いとしのオカメ』『いとしのギー』私の1番大切にしている作品です。よかったらどちらのAmazonレビュー欄も読んでみてください。皆さんの犬愛がつまった、心が温まるメッセージばかりです。







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