音助横

築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした106 雷門音助

 今回は雷門音助さんが前座時代、毎日のように通っていた憩いの場所、野方の銭湯・上越泉へ。

 この銭湯から徒歩1分の場所に住んでいました。おかみさんによくしていただきました。通っているうちに「落語やってるんです」って言ったら、おまんじゅうをくれたり、お総菜をくれたり。毎年大晦日も師匠の家の大掃除を終えて、ここの湯船につかっているうちに年を越していました。今日は久しぶりに来たんです。懐かしいな。

 幼稚園から高校卒業までサッカー少年でした。父が指導コーチやシニアサッカーをやっていたり熱心だったんです。大学は東京に出るのがなんだか怖くて京都へ。落研に勧誘されて、そこでひとり江戸落語をやっていました。もともとテレビの「爆笑!オンエアバトル」とかお笑いは好きだったので抵抗はなかったです。部室にある落語の音源をいろいろ聴いたり、春と秋には先輩と深夜バスに乗って、東京の寄席へ行っては一日中聴いていました。
 地元の信用金庫に就職した時に落語は封印したんです。けじめみたいなものだったのかな…。半年後に営業で外回りをするようになって、ある日ふと久しぶりに落語を聴きました。その時はじめて「落語家になりたい」って思いました。それまでは到底なれるものではないと頭から思い込んでいました。
 浅草で師匠・助六の高座を見て、出がニコニコして優しい感じだったのと、大師匠(八代目助六)と雷蔵師匠と三人で二人羽織の芸をしているのを、テレビで見たことがあったので「あの時の手の綺麗な師匠だ!」って印象に残っていたのを思い出したことが入門のきっかけです。そこから話は早くて、仕事を辞め、両親を説得し、末広亭の楽屋口で入門をお願いしました。怖かった東京についに来たんです(笑)。住んでみて思うのは、東京は便利過ぎますね。
 雷門として踊りは継承していけたらと思っています。住吉踊りは北見寿代先生に習っています。いつかは兄弟子の小助六兄さんと「操り踊り」も師匠に教わることができたらいいな。
 将来は、聴く方を疲れさせない心地良い落語をやっていきたい。琴線に触れるような、寄席に出た時に「なんかいいな」と思って頂けるような噺家になりたいです。

雷門音助・かみなりもんおとすけ

1987年11月30日生まれ。静岡県藤枝市出身。龍谷大学経営学部卒業。2011年10月、九代目雷門助六に入門。翌年1月に「音助」で前座。16年2月二ツ目昇進。出囃子=二上りたぬき。血液型B型。既婚。好物はお蕎麦とすあま


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