東京かわら版

1974年創刊の日本で唯一の演芸専門誌です。落語と講談と浪曲の情報を取り扱っております…

東京かわら版

1974年創刊の日本で唯一の演芸専門誌です。落語と講談と浪曲の情報を取り扱っております。毎月28日発売。どうぞよろしくお願いします。 ネットショップ<東京かわら版のお店> http://kawaraban.theshop.jp

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  • 東京かわら版 築コレ

    「築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした」 若手寄席芸人を紹介する、本誌では100回を迎える人気連載を掲載。 バックナンバーは随時更新予定。

最近の記事

築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした66 入船亭小辰

本日の取材場所は王子・飛鳥山。遊具の周りは子どもがいっぱい! 写真撮って大丈夫かなあ…  地元が大塚なので、飛鳥山はよく来ていました。この滑り台、もっと大きかった気がするけどなあ。高校の時は夜中にここまで走ってきたり、初めての稽古で師匠に「声が小さい、はなしにならない、稽古付けられない」って言われた時は都電側のがけの上から大声で演ってみたり、広場にある舞台に正座して稽古もしました。  実家は酒屋なんですけど、三代目は潰すっていう言葉の通りです。落語との出会いは大学の落語研究会

    • 築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした84 柳亭市弥

       今月のお客様・柳亭市弥さんと向かった先は渋谷の居酒屋「からから」。  ボーイスカウトの先輩方がよくここに連れてきてくれて、大学生の間ここでアルバイトをしてました。仲間との反省会(打上)でも顔を出したりしてます。  昔からお笑いが好きで、友達と漫才コンビを組んだりしていました。社会人になってからは大阪で広告代理店の営業をしてました。息抜きでお笑いを求めて、なんばグランド花月や、天満天神繁昌亭で落語に出会ったんです。東京に帰って来た時に、寄席でうちの師匠・市馬を見て、これはす

      • 築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした56 春風亭一蔵

        2022年9月下席より真打に昇進する、春風亭一蔵、市弥改メ八代目柳亭小燕枝、小辰改メ十代目入船亭扇橋。 昇進を記念して3名の小誌掲載「築コレ」をアップいたします。 9月号と併せてお読みいただけると嬉しいです♪ (文章・プロフィールは掲載当時のママです) 一蔵さん(写真左)が仲間とゴキゲンな場所にいるよと誘ってくれた場所、そこは戸田の競艇場…。  いやー僕の思い出の地と言われたらここは外せないですよ。0歳の時から来てるんだから。ちょっと複雑な家庭環境だったんで、小学生までは

        • 築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした83 港家小ゆき

          いまは伝統芸能の世界でも金髪に染めている人はそんなに珍しいわけでもないが、浪曲師では異色。もとロックンローラーが浪曲に魅せられて木馬亭などで修業。めでたく年季あけ、さらなる飛躍を見せる。 熊本出身の小ゆきの取材は、くまモンでおなじみ銀座の熊本館にて。  子供の頃は声楽をやっていました。ロックがやりたくて東京に来て、大学は中退して、中央線沿線のライブハウスで活動していたんです。ボーカルが主で、ギターやピアノもやっていました。体を壊してしばらく休んでいた時に、日本の音楽、いわゆる

        築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした66 入船亭小辰

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        • 東京かわら版 築コレ
          28本

        記事

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした85 神田すず

           女流講談と出会い、講談を聞いているうちにプロの道へ進んだ神田すずさん。今日は修業の思い出が多い旧・本牧亭のあった場所へ案内してもらいました。  友達に誘われて落語の寄席に行って、何度か行くうちに女性の講談を見る機会があって、その時は女の人もいるんだって思いました。そのうち落語よりも講談のほうが面白いと思うようになり、講談の会に行くことが多くなりました。転職して定時に帰れるようになって、習い事でも始めようかと思った時に、永谷の講談教室があることを知りました。師匠すみれの教室に

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした85 神田すず

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした88 立川笑二

          沖縄出身の立川笑二さん。最近は日経電子版の一門によるエッセイが面白いと評判になっています。今日はいつも稽古をしているという東高円寺にある蚕糸の森公園へ案内していただきました。  地元の友達と中学からずっと漫才を一緒にやっていたので高校卒業を機に大阪のよしもとの学校に入ったんです。相方が廃業してピン芸人になったのですが、以前から繁昌亭にはよく行っていましたし、一人でやるなら落語が好きだから落語家になりたいと思いました。『赤めだか』やCD、とくに『紺屋高尾』が好きで、立川談春師

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした88 立川笑二

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした74  春風亭昇也

          今月は春風亭昇也さんと、新宿の熊野神社にやってきました。  通っていたお笑いの専門学校がこのすぐそばで、よくここで相方と漫才の稽古をしていました。久しぶりに来ましたが懐かしいですね。当時の境内はこんなに整備されていませんでした。  実家は酒屋を営んでいて、あまりかまってもらえず、テレビっ子でした。幼稚園のころからひょうきん者のポジション。小学校の3、4年生の頃にはお笑いの道に進むと決めていました。友達との帰り道での会話があまりに面白くて、自分達しか聴いていないのがもったいな

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした74  春風亭昇也

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした108 林家たま平

          林家たま平さんと、浅草・尾張家本店で待ち合わせ。天ぷら蕎麦を食べながら幼少期の頃や、今後の事など、お話を伺いました。  高校3年生の12月頃に、大女将・海老名香葉子に「ちょっと話がある」と言われて、二人でここにきて「将来何になるんだ」と言われました。偶然隣の席が和菓子屋・亀十の旦那さんで、急に女将さんの手を握って「いい話を聞いた。俺が仲人になるから、坊っちゃん、噺家になってくれ」って言われ、周りから固められて、断れない状況が生まれました(笑)。  実は師匠の正蔵も、初代三平も

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした108 林家たま平

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした107 三遊亭好吉

          五代目円楽一門会のホームグラウンド、お江戸両国亭で三遊亭好吉さんと待ち合わせ。  ここは最初は違和感しかなかったです。真ん中に大きい柱があることにびっくりして、会場が斜めなことにもびっくりして、椅子がパイプ椅子なことにまたびっくり。でも演ってるうちに愛着が湧いてきて、改修工事があった時は寂しくなりました。結果、柱が以前より太くなったんですけど(笑)。  落語を聴くようになったきっかけは、大学の試験期間中気分転換に図書館で、大学の先輩でもある桂枝雀師匠のビデオを見たら面白く

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした107 三遊亭好吉

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした106 雷門音助

           今回は雷門音助さんが前座時代、毎日のように通っていた憩いの場所、野方の銭湯・上越泉へ。  この銭湯から徒歩1分の場所に住んでいました。おかみさんによくしていただきました。通っているうちに「落語やってるんです」って言ったら、おまんじゅうをくれたり、お総菜をくれたり。毎年大晦日も師匠の家の大掃除を終えて、ここの湯船につかっているうちに年を越していました。今日は久しぶりに来たんです。懐かしいな。  幼稚園から高校卒業までサッカー少年でした。父が指導コーチやシニアサッカーをやっ

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした106 雷門音助

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした105 桂竹千代

          今日の待ち合わせは上野恩賜公園。そこへやって来たのは、竹丸門下の桂竹千代さん。  ここへは、浅草や上野で打上のあとにやって来て飲んでいました。二ツ目昇進直前の時も、後輩がお祝いをしてくれて、二次会で15人くらいでここへ来て朝まで飲みました。思い出の地です。  大学在学中は落研に所属しつつ、ワタナベコメディスクールにも入り、大学院を卒業するまで、漫才師やピン芸人として活動していました。漫才コンビを解消した時、同期の仲間が「落語家が向いているのでは?」と、落語のCDを貸してくれた

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした105 桂竹千代

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした104 柳家ほたる

          江戸時代に建てられた土蔵がアートスペースとして併設されているカフェ、浅草のギャラリーエフで猫と遊んでるのは…柳家ほたるさん!  動物写真家・岩合光昭さんの猫のテレビ番組を見て、「猫、かわいい♡」ってノックアウトされました。それで、看板猫がいるお店を検索してたらエフさんが出てきたんです。行ってみたら銀次親分っていう猫がいきなり僕の膝をすりすりしてお出迎えっていう最高のおもてなしをしてくれて、もうメロメロ。それから猫にぞっこんです。  二ツ目になって時間が出来て、前からカメラが

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした104 柳家ほたる

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした103 鏡味味千代

          お正月らしく、太神楽の鏡味味千代さんにご登場頂きました。思い出の地、国際基督教大学(ICU)でお話を伺いました。  海外志向が強くて、ICUに行けば海外に近い環境に身を置けるんじゃないかと思って、入学しました。リベラルアーツといって、教養学部しかなく、理数系の授業も選択科目で取れますし、全ての学問はつながってるという考えにも共感したんです。  卒業後の社会人だった当時は、海外に日本のことを紹介したいなと思って仕事をしていました。ある日、父に連れられて末広亭に行ったんです。「こ

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした103 鏡味味千代

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした102 林家なな子

          林家なな子さんと相撲部屋で待ち合わせをしました。入門のきっかけの一つがここにあるようなので……  入門前は会社勤めをしていました。その頃から将来は自分の好きなことをして生計を立てたいなと考えていたんです。ここでぶつかり稽古を見ている時に、力士たちは人生をかけて相撲道に精進しているし、自分はそういう気持ちで仕事ができてるのかなと思いまして、今よりも情熱を注げる仕事があるのかもしれないと思ったんです。  初めて寄席に行って後に師匠となる正蔵を観た際に、客席がお花畑みたく、ブワァー

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした102 林家なな子

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした82 昔昔亭A太郎

           今日は身長180センチ、高校時代はラグビー部だったという漢前の昔昔亭A太郎さんと沼袋の銭湯で待ち合わせ…?!  この「一の湯」さんでは昨年の夏から計6回、独演会を演らせていただきました。以前よく通っていた銭湯で、まさかここで落語会ができるとは思いませんでしたね。  初回はせっかく銭湯で演るので、お客さんには湯船に浸かって聞いてもらうことに。僕の声は響いたんですが、お客さんの心には響かず、次からは脱衣所でとなりました。この会ではネタおろしはもちろん、みる子(女装)・裸・メガネ

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした82 昔昔亭A太郎

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした101 鈴々舎八ゑ馬

          東京駅八重洲口のタクシー乗り場でうなだれているのは八ゑ馬さん?!  実はここで師匠・馬風を一時間半待たせてしまったことがあるんですよ。地方での仕事の後、師匠の息子さんが車で迎えに来てくださってたんですが、新幹線の出口からここまでの間に師匠を見失ってしまって…師匠は疲れと怒りから震えた声で「てめ~、何度帰ろうと思ったか、バカヤロ~!!」って。ほんとしくじってばかりです。この格好(上写真)で待つ師匠を見つけた時は…驚きとホッとしたのと笑いそうになったのと感動が入り混じった変な気持

          築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした101 鈴々舎八ゑ馬