見出し画像

洗脳(その2)あの連中は私を抹消して作り直そうとしたの

 現実が強く人間の存在を圧するとき、はじめて人間は実存するという意識をもつことができる。ここで人間の存在と意識とは、するどく背反する。(「マチウ書試論」/『芸術的抵抗と挫折』吉本隆明著)

マチウ書試論

 そのとき人間の存在はいかなるところにあるのか。卑小な日常性に据え置かれる。背反する意識はどうなのか。意識は観念の上昇へと向かう。観念の上昇過程とは、イデオロギー、大きな物語としての宗教、世界を解釈できたと思う陰謀論などへの接近である。そのとき据え置かれた存在、すなわち卑小なる日常性は、たとえば、カルト教団が強いる理不尽な単純労働と窮乏生活への忍従によって満たされる。
 拙稿「洗脳(その1)」では、先の大戦を契機として、戦勝国である米国が、敗戦国である日本および日本人が明治維新以降培ってきた価値観、歴史観、国家観、ありていにいえば世界観の変換を試みた方法と実践過程について、主に江藤淳の『閉された言語空間』を手引きとしてたどってきた。それを洗脳と表現することが適正かどうかを留保しつつも、まちがいなく、日本人における戦後的言説の定着というかたちで、米国は成果を上げた。江藤の表現を繰り返せば、〝日本人は日本人でない何ものか”(江藤淳)に変容した。そして今日に至ってもなお、日本(人)は先の大戦の総括をなしえず、米国への隷属と依存状態にある。そのことについての論及はまた別の機会とし、本稿では、まず洗脳とは何かに焦点を当て、それがいかなる条件下で成し遂げられるのかについて探る。 

『ショック・ドクトリン(ナオミ・クライン著)』を読む

まえがき

 『ショック・ドクトリン ―― 惨事便乗型資本主義の正体を暴く/原題〈THE SHOCK DOCTRINE The Rise Of Disaster Capitalism〉』は、2007年にアメリカで刊行され、日本語訳が出たのは2011年である。本題である〝ショック・ドクトリン“という言葉は日本語に訳しにくい。ドクトリンの日本語訳は、教義、教理、(宗教・政治・学問上の)主義、方針、学説、理論、(国家の政策上の)公式宣言、主義 といったものだが、上にショックをつけると、「ショック理論」「ショック主義」となるのかもしれないが、ピンとこない。日本では、副題である「惨事資本主義の勃興」を意訳して「惨事(便乗型)資本主義」として流通している。

(一)3つのショック

 著者(以下「ナオミ」という)自身がショック・ドクトリンについて極めて分かりやすく記述した箇所が本文中にある。その箇所はナオミが、CIAと連携して拷問手法を開発したユーイン・キャメロンという「ショック博士」により実際に拷問を受けたゲイル・カストナーという人物に接触し取材を試みようとしたときの会話である。

 私(ナオミ)はショックに関する本を書いています。戦争やテロ攻撃やクーデターや自然災害などが、いかに国家にショックを与えるかについてです。そしてこの第一のショックが引き起こす恐怖や混乱に乗じた企業や政治家が、今度は経済的ショック療法によって国家に二度目のショックを与え、さらにこうしたショック政治に果敢に抵抗しようとした人々が、警察や軍、刑務所の尋問官などによって三度目のショックを与えられるという、そのメカニズムを探っているのです。私があなたの話を聞きたいのは、私の推測する限り、あなたはもっとも大きなショックを与えられた一人だからです。電気ショック療法(ECT)をはじめとする〝尋問方法″を使った米中央情報局(CIA)の秘密実験を生き延びた数少ない生存者の一人だからです。そして1950年代にマギル大学〔筆者注1〕であなたに対して行われた研究が、現在ではグアンタナモ・ベイの米軍基地やアブグレイブの刑務所で応用されていると考えられる理由が十分あるのです。(P32)

ショック・ドクトリン

〔筆者注1〕マギル大学(McGill University);カナダケベック州、モントリオールに本部を置く公立大学。1821年創立、1829年大学設置。カナダで最も歴史ある大学であり、国内有数の名門校の一つ。

 一番目のショックはわかりやすい。筆者は経験したことがないが、人びとは茫然自失状態に陥ってしまうのであろう。二番目のショックというのは、惨事のあと「復興支援」と称して、国際機関、アメリカ、EU、日本といった「先進諸国」から派遣される経済顧問ら(シカゴボーイズ〔注2〕と呼ばれる)による制度改革を伴った新自由主義経済支配のはじまりである。三番目は、本稿のテーマである個体に対する暴力的ショックによる拷問・洗脳・マインド・コントロールである。
 ナオミは、1940年代後半に人間の脳に電気ショックを与えて白紙状態に戻し、そこになんでも書き込める実験を繰り返したシリル・J・Cケネディ博士とディヴィッド・アンケル博士の電気ショック治療法や、1950年代、同じく電気ショック療法(電気けいれん療法)を「発明」した精神科医ウーゴ・ツェルレッティの「業績」にもふれている。

〔注2〕シカゴボーイズ;アメリカシカゴ大学の経済学者、ミルトン・フリードマンの新自由主義(経済理論)の指導を受けた若き経済官僚たちのこと。彼らは世界各国で新自由主義に基づく経済政策を推進した。

(二)ユーイン・キャメロン博士の人体実験

 洗脳実験の被害者カストナーとの接触に成功したナオミは、彼女をこう描写する。(カストナーの)背中には細かい骨折がたくさんあり、関節炎が悪化するとひどく痛むのだという。これは脳の前頭葉に150~200ボルトの電流を63回流され、そのたびに処置台の上で体が激しくけいれんしたこと、そしてその衝撃で骨が折れたり、捻挫したり、唇が切れたり、歯が折れたりしたことの名残なのだ。そして、カストナーから、こんな言葉を投げかけられる。

あの連中は私を抹消して作り直そうとしたの ーー 人体実験体験

 あなた(ナオミ)が今言ったことは、CIAとユーイン・キャメロンが私にしようとしたことそのものです。あの連中は私を抹消して作り直そうとしたの ーー でもうまくいかなかったのよ。(P35)

 彼女(カストナー)は夜も昼も安らぎを求めてこの椅子で過ごす ―― 眠りに落ちて「電気の夢」を見ないように。「あの男」が出てくる夢。あの男とは、もう半世紀近く前にカストナーに電気ショックをはじめとするさまざまな拷問を与え、すでに他界して数十年も経つ精神科医、ユーイン・キャメロン博士その人である。「昨晩はあの〝化け物”が二回も出てきたんです」と彼女は私が部屋に入るとすぐに言った。「あなたを責めるつもりはないけど、突然あなたが電話してきていろいろ聞いたからなのよ」(P36)

ショック・ドクトリン

 カストナーは、その体験のあとからずっと重い記憶障害に悩まされてきたのだが、原因はわからなかったという。自身のショック体験を知るようになったきっかけは、1992年、彼女の恋人(ホロコーストの生存者で、やはり記憶とその喪失という問題に強い関心をもっていた)と街を歩いているとき、新聞スタンドで「洗脳実験 犠牲者補償へ」という新聞の見出しを見たことだった。そして、「赤ちゃん言葉」「記憶障害」「失禁」などの言葉が目に飛び込んできた。詳しく記事を読むと、1950年代にCIAの依頼を受けたカナダ、モントリオールの精神科医が、患者を実験台にして常軌を逸した実験を行ったというのだ。

 患者は何週間も眠らされて隔離されたのち、強力な電気ショックを何度も与えられたうえ、LSDやPCP(通称エンジェルダスト)などの幻覚剤を混合した実験的薬物を大量に投与された。これによって患者は言語習得前の幼児のような状態に退行したという。この実験はマギル大学付属アラン記念研究所で、所長であるユーイン・キャメロン博士の指揮のもとに行われた。70年代後半、CIAがこの実験に資金を出していたことが情報公開法に基づく請求によって明るみに出て、アメリカ上院の公聴会が何度も開催された。〔後略〕(本書P36)

ショック・ドクトリン

実験の詳細を入手

 カストナーはアラン記念研究所から138ページに及ぶ記録を入手する。手紙やメモ、カルテなどで構成された彼女の医療記録が語るのは、まさに悲痛な物語だった。それは1950年代の少女に与えられた選択の自由がいかにかぎられたものだったかだけでなく、政府や医師がいかにその権力を乱用したかについても雄弁に物語っていた。以下、その記録を要約してみよう。

●カストナーはマギル大学看護学科の成績優秀な学生だった。ところが、彼女は不安神経症を患っていた。キャメロン博士のアセスメントは「これまでまずまずバランスの取れた人格を保ってきた」が神経症の原因は娘に対して「くり返し心理的虐待」を行う「きわめて物騒な」男性、すなわち彼女の父親にあるとキャメロンは記録している。
●カストナーは入院当初、看護師たちに好感を持たれていた。看護師たちはカストナーを「明るく」「社交的」「きちんとしている」と描写している。
●ところが入院生活が長引くにつれ、カストナーの性格は劇的に変化した。入院から数週間後には「子どもじみた振る舞いをしたり、突拍子もないことを口にしたり、幻覚を起こされているようにも、破壊的にも見える」とある。聡明な若い女性だったカストナーは今や、数は6までしか数えられず、つぎには「ひとを操作しようとし、敵意むき出しで、きわめて攻撃的」となり、さらには無表情ですべてに受動的、家族の顔も見分けられない状態に陥ってしまう。最終的な診断は、入院当初の「不安神経群」よりはるかに重症の「著しいヒステリー性の特徴を伴う(中略)精神分裂病」というものだった。

 ナオミは次のように書いている。

 この極度の病状の変化がカストナーが受けた治療と関係していることに疑いの余地はない。カルテには、大量のインシュリン投与により何度も昏睡を誘発されたこと、中枢神経刺激剤と鎮静剤との奇妙な混合投与、長時間に及ぶ薬剤誘発睡眠、そして当時の標準の8倍もの回数の電気ショックが与えられたことなどが記録されていた。(P38~39)

ショック・ドクトリン

(三)ヒトの脳を白紙化、空白化する

 カストナーは自分の医療記録を読み直したのちに、自分がどのような体験をしたのか知ろうと、調査を開始する。その結果、▽ユーイン・キャメロンはスコットランド生まれのアメリカ人で、アメリカ精神医学会、カナダ精神医学会、世界精神医学会の会長であったこと、▽1945年、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判でナチ党副総統ルドルフ・ヘスの精神鑑定を行った3人のアメリカ人精神科医のうちの一人だったこと、▽キャメロンが患者の精神疾患の根本原因を探るのにフロイトの創始した「会話療法」という標準的な方法を用いるのをやめていたことなど ―― をつきとめる。

キャメロンとCIA

 キャメロンは患者の症状を改善したりするのではなく、「精神誘導(サイキック・ドライビング)」という彼の考案した方法によって患者を作り変えようとしたのだ。カストナーが調査を開始していた時点では、キャメロンはすでに他界していたが、何十本もの学術論文や講演録が残されていた。また、CIAが資金提供した洗脳実験に関する本〔注3〕も何冊か出版されており、これらの本にはキャメロンとCIAの関係についての詳細な事実が記されていたという。

〔注3〕アン・コリンズ著『睡眠室にて』、ジョン・マークス著『洗脳された人を探して』、アラン・シェフリン&エドワード・オプション著『心を探る者たち』、ウォルター・バワード著『マインド・コントロール作戦』、ゴードン・トーマス著『拷問と医者 ーー 人間の心をもてあそぶ人々』、キャメロンの患者の一人の息子で精神科医が書いたハーヴァー・ワインスタイン著『CIA洗脳実験室 ―― 父は人体実験の犠牲になった』などがある。(本書P40の※)

ショック・ドクトリン

 キャメロンが発表した論文から、「患者に健全な行動を取り戻させるための唯一の方法は、彼らの脳の中に入って「古い病的な行動様式(パターン)を破壊する」ことしかないと確信していたことが示されているという。その第一段階は「脱行動様式化(デパターニング)」であり、その目的は脳をアリストテレスの言う「何も書かれていない石版」すなわち「白紙状態(タブラ・ラサ)」に戻すという驚愕すべきものだった。脳に、その正常な機能を阻害するありとあらゆる手段を使って一斉攻撃をしかけることによって、こうした白紙状態をつくることができるとキャメロンは考えた。それは人間の心に対する「衝撃と恐怖」作戦そのものだった。

電気ショック療法(ETC)がもたらす退行

 ETCは1940年代後半、ヨーロッパと北米の精神科医の間に広まりつつあった。前頭葉を切除するロボトミー手術に比べて恒久的なダメージが少なく、ヒステリー患者の治療に効果が認められたからだという。しかしこれらの効果はあくまでも結果であってそれがなぜ有効なのかといったメカニズムを科学的に説明することができなかった。しかもETCには健忘症という副作用があることは認識されていた。ETCを受けた患者には記憶喪失と同時に退行 ーー 患者が指しゃぶりをしたり、胎児のような形に体を丸めたり、食事を赤ん坊のように食べさせてもらったり、母親を求めて泣いたりしたこと ーー が臨床研究に記録されている。その一方で、キャメロン博士は退行すなわち記憶の空白に注目した。それまでの悪しき習慣がすべて除去され、新しいパターンをヒトの脳に書き込むことができるというわけである。

 戦争を支持するタカ派が、爆撃によって相手国を「石器時代に戻す」と表現するのと同様、キャメロンにとって電気ショック療法は、強烈な一撃によって患者を幼児期へと押し戻し、完全に退行させるための手段だったのだ。(P42)

ショック・ドクトリン

 日本人は、本稿(その1)でみたとおり、先の大戦中、米軍から都市無差別空爆および広島・長崎における核攻撃(原爆投下)を受けた。米軍の意図は、ナオミの表現を借りれば、日本を石器時代に戻し、日本人の頭を白紙化することが主眼だったのかもしれない。なぜならば、そのとき日本帝国はほぼ完全に全土における制空権を失っており、米空軍は自由飛行できたのであるから、住宅地等(非戦闘員、生活インフラ)に対する爆撃を回避しようと思えば、回避できたはずだ。ところが、米軍は焼夷弾という日本家屋の特性である木造建築を焼き尽くす特別仕様の爆弾を使用したばかりか、戦況上まったく必要のない核爆弾まで使用した。米軍による空爆は日本帝国の軍事施設、軍事工場を破壊するという戦略的目標達成のためという米国側の主張はあとづけの理屈であって、米軍は非戦闘員、すなわち生活者の殺戮をつうじてすべての日本人に恐怖(ショック)を与え、日本人洗脳の地均しを企図した可能性を否定できない。

薬剤投与による完全なるデパターニング、そして精神誘導へ

 患者のデパータニングを完全なものとするため、キャメロン博士は電気ショックの回数を1回ではなく連続して6回まで与える「ページ=ラッセル法」という新しい手法を使ったが、患者の人格が完全に消失していないと判断すると、中枢神経刺激剤と鎮静剤、幻覚剤など(クロルプロマジン、バルビツール剤、アミタール塩、亜酸化窒素/笑気ガス、メタンフェタミン、セコナール、ネンブタール、ベルナール、メリコーネ、ラガクティル、インシュリンなどの薬品)を投与して患者の見当識をさらに混乱させた。

 完全なデパターニングが達成され、初期の人格が十分に消去された段階で、精神誘導が開始される。これは「あなたは良い母親であり妻で、皆あなたと一緒にいることを楽しいと思っています」などという録音テープをくり返し聞かせることだった。行動主義者であるキャメロンは、患者がこうしたメッセージを吸収すれば、それまでとは違った行動を取るようになると考えたのである。(P42~43)

ショック・ドクトリン

 キャメロンの荒っぽい「治療法」は洗脳の基本パターンを表しているようにみえる。国家(国民)と患者(個体)という違いはあるものの、本稿(その1)でみた、〈検閲=白紙化〉〈教育・宣伝=精神誘導〉のプロセスである。

キャメロンの先輩・ヘップ博士の感覚遮断という洗脳方法

 1950年代半ば、東西冷戦激化に伴い、諜報戦強化の一環としてCIAがキャメロンの研究に興味を示し、局内に秘密プロジェクトを立ち上げる。目的は米国内の共産主義者及び捕らえた東側スパイを尋問して情報を聞き出す方法への応用である。このプロジェクトは発足当時、「ブルーバード」と名づけられ、次に「アーティチョーク」、そして「MKウルトラ」と呼ばれたという。その後10年間、「MKウルトラ」はこの研究に2,500万ドルを費やし、44の大学、12の病院を含む80の機関を巻き込んで実施された。
 しかしながら、実はこうした研究をアメリカ国内で公開の下、大規模化し研究材料としてアメリカ人を使うことは難しかった。CIAが最初に接触したのは、マギル大学の心理学科長ドナルド・ヘップ博士だった。ヘップはキャメロンの先輩にあたる。
 1950年代初頭(1951年)、ヘップ博士はカナダ国防相から研究資金を入手し、同大学の学生63人に1日20ドルを支払い、目には黒ゴーグル、耳にはホワイトノイズ〔注4〕の流れるヘッドホンを着け、手と腕は物に触れられないよう段ボールで覆われた感覚遮断の実験を数日間にわたって施した。視覚、聴覚、触角を奪われた状態の学生たちは、無の海に漂い、日に日に研ぎ澄まされる想像の世界の中で何日も過ごした。その後、ヘップは、実験前に学生たちが同意できないと答えていた幽霊の存在や、科学の不正について語るテープを聞かせ、感覚遮断によって「洗脳」されやすくなるかどうか調べた。

 カナダ防衛研究委員会はこの実験結果についての機密報告書のなかで、感覚遮断は被験者の学生たちに極度の混乱と幻覚を引き起こし、「知覚遮断の期間中およびその直後、一時的に著しい知的能力の低下が生じた」としている。さらに学生たちは外部からの刺激を渇望するあまり、テープに録音された事柄に対して驚くほど受容的になり、なかには実験終了から何週間もオカルトへの興味が持続した者もあった。まるで感覚遮断によって彼らの心の一部が消去され、そこに加えられた感覚的刺激によって新たなパターンが書き込まれたかのようであった。(P45~46)

ショック・ドクトリン

〔注4〕ホワイトノイズ;全ての周波数で同じ強度となるノイズのこと。統計学の言葉で言うと、定常独立であることを意味していて、簡単にいえば非常に不規則なノイズということである。

CIA資金がキャメロンの「研究」を過激化

 キャメロンがCIAから最初に研究資金を受け取ったのは、前出のヘップから遅れること6年後の1957年だった。この資金は人間生態学調査協会と呼ばれる偽装組織を通して「洗浄」されていた。そしてこの資金が投入されることによって、アラン記念研究所は病院から、おぞましい「収容所」ともいうべき場所へと変貌した。

 まず最初の変化は、電気ショックの回数が飛躍的に増加したことだった。賛否両論のあるページ=ラッセル法の考案者である2人の精神科医は、1人の患者につき4回治療を行い、合計24回ショックを与えることを推奨していた。(中略)さらにキャメロンは、すでに投与していたおびただしい数の薬物に加えて、CIAがとりわけ関心を持っていた精神変容作用のあるLSDやPCPといった実験的薬物も患者に投与した。(P47)

ショック・ドクトリン

感覚遮断とカルト宗教の洗脳

 キャメロンは患者の心を空白にするため、感覚遮断と長時間にわたる睡眠を駆使した。この二つのプロセスにより患者の心的防衛がさらに減じられ、テープに録音されたメッセージに対する受容性が増すとキャメロンは主張したという。キャメロンはCIAの資金を使って隔離小屋を造設、病院の地下を巧妙に改装して「隔離室」と呼ばれる防音装置を施した部屋を造った。ここではホワイトノイズが流され、照明は消され、患者は黒いゴーグルとヘッドホンを装着させられる。患者の感覚遮断をさらに増幅させるため、彼らを「睡眠室」に閉じ込め、薬物で1日20~22時間眠らせた。

 1960年に発表した論文のなかで、キャメロンは「時間的・空間的イメージを維持する」 ――  言い換えれば、私たちは自分が誰であり、どこにいるかを知るためには、「(a)継続した感覚入力、(b)記憶、という二つの重要な要素」が必要だとしている。電気ショックを与えるのは記憶を除去するためであり、隔離小屋に閉じ込めるのは感覚入力を無効にするためだった。時間的・空間的に自分がどこにいるかに関する患者の感覚を完全に失わせること。キャメロンは確固たる決意をもってこれを達成しようとした。(P48~49)

ショック・ドクトリン

 ナオミは拷問の生存者の証言を次のように紹介している。

 何カ月あるいは何年にも及ぶ孤独と残忍な仕打ちにいかに耐えて生き延びたのか、囚われの身になった人々に尋ねると、遠くの教会の鐘の音や、祈りの時間を知らせるイスラム寺院のアザーン、あるいは近くの公園で遊ぶ子供たちの声を聞いていたと答えることがしばしばある。四方を壁で囲まれた独房で生きることを強いられた人にとって、こうした外の世界や音のリズムは一種の命綱、すなわち自分がまだ人間性を失っておらず、拷問以外の世界が存在することを確認するよすがとなるのだ。(P49 )

ショック・ドクトリン

 感覚遮断というヘップが開発し、キャメロンが進化させた洗脳の方法は注目に値する。この方法は、カルト教団が信者に対して行う洗脳に近いような気がしてならない。ETC・薬物の使用は、カルト教団が日常的に行うにはハードルが高すぎる。カルト教団の場合は、宣教師が信者になったばかりの者に対して、個別的に感覚遮断を長期間行うことにより、信者の頭の中を時間をかけて白紙化し、そのうえで、教団の一見壮大な教義をたたきこんでいく。教団のリクルーティングにかかってしまう者は、身内の不幸、惨事を体験した者、心に空白を抱えた者である場合が多い。こうして洗脳した者をマインドコントロールして、多額の献金や霊感商法で法外な品々を買わせることが可能となる。日本人の未婚女性を韓国に連れていき、集団結婚式に参加させることも容易だったに違いない。

対諜報尋問マニュアルへの進化

 冷戦終結(1989)直前の1988年、『ニューヨークタイムズ』がホンジュラスにおける拷問と暗殺にアメリカ政府が関与していたというスクープ記事を掲載した。それによると、ホンジュラスの悪名高い死の部隊「パタリオン3ー16」の尋問官不ロレンス・カバジェロら25名の隊員がアメリカテキサス州でCIAの訓練を受けたという。訓練の内容は捕虜を長時間立たせたり、怖がらせ眠らせない、性的暴行を加えたり、電気ショックを与える拷問手法だった。
 カバジェロの部隊に尋問を受けた女性捕虜のイネス・ムリージョによると、拷問の現場には「ミスター・マイク」と呼ばれるアメリカ人がいて、尋問官に質問の仕方などを教えていたという。
 この記事をきっかけとして、米国上院情報特別委員会の公聴会が開かれ、リチャード・ストルツCIA副長官はカバジェロがCIAの訓練に参加したことを認めた。それから9年後、CIAは「クバーク対諜報尋問」と題する小冊子を提出した。128ページのこの小冊子は「抵抗する情報源に対する尋問」に関する秘密マニュアルで、その大部分が前出の「MKウルトラ」が委託した研究に基づいており、全編にユーイン・キャメロンとドンルド・ヘップの行った実験の痕跡が見て取れるという。
 ヘップやキャメロンが行った感覚遮断のための方法は、恐ろしい軍事における尋問技術へと転用されたのである。このマニュアルを作成した軍関係者の関心は、被験者の退行現象へのキャメロンのこだわりだったとナオミはいう。

(四)あらためて『ショック・ドクトリン』について

 冒頭で示したとおり、本書は3つのショックから、冷戦期、冷戦の崩壊、その後の新自由主義の時代を論じた現代史である。その概要を目次で示す。

〔上巻〕
序章 ブランク・イズ・ビューティフルー30年にわたる消去作業と世界の改革
第一部 ふたりのショック博士――研究と開発
第1章 ショック博士の拷問実験室 ―― ユーイン・キャメロン、CIA、そして人間の心を消去し、作り変え るための狂気じみた探求 
第2章 もう一人のショック博士 ―― ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探求 
第二部 最初の実験 --産みの苦しみ
第3章 ショック状態に投げ込まれた国々―― 流血の反革命
第4章 徹底的な浄化―― 効果を上げる国家テロ
第5章 「まったく無関係」―― 罪を逃れたイデオローグたち
第三部 民主主義を生き延びる ―― 法律で作られた爆弾
第6章 戦争に救われた鉄の女 ―― サッチャリズムに役立った敵たち
第7章 新しいショック博士 ―― 独裁政権にとって代わった経済戦争
第8章 危機こそ絶好のチャンス ―― パッケージ化されるショック療法
第四部 ロスト・イン・トランジョン ―― 移行期の混乱に乗じて
第9章 「歴史は終わったのか」? ―― ポーランドの危機、中国の虐殺
第10章 鎖につながれた民主主義の誕生 ―― 南アフリカの束縛された自由第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火 ―― 「ピノチェト・オプション」を選択したロシア 
〔下巻〕
第12章 資本主義への猛進 ―― ロシア問題と粗暴なる市場の幕開け
第13章 拱手傍観 ―― アジア略奪と「第二のベルリンの壁崩壊」
第五部 ショックの時代 ―― 惨事便乗型資本主義複合体の台頭 
第14章 米国内版ショック療法 ―― バブル景気に沸くセキュリティー産業第15章 コーポラティズム国家 ―― 一体化する官と民 
第六部 暴力への回帰 ―― イラクへのショック攻撃
第16章 イラク抹消 ―― 中東の〝モデル国家″建設を目論んで
第17章 因果応報 ―― 資本主義が引き起こしたイラクの惨状
18章 吹き飛んだ楽観論 ―― 焦土作戦への変貌
第七部 増殖するグリーンゾーン ―― バッファーゾーンと防御壁
第19章 一掃された海辺 ―― アジアを襲った「第二の津波」
第20章 災害アパルトヘイト ―― グリーンゾーンに分断された社会
第21章 二の次にされる和平 ―― 警告としてのイスラエル
終 章 ショックからの覚醒 ―― 民衆の手による復興へ 

ショック・ドクトリン

 本稿は同書の第一章を通じて洗脳について学んだのだが、筆者が本書を最初に読んだとき(2013年10月29日)には、こんな感想を書きとどめていた。

 同時代を生きていながら、自分は何も知らなかった、感じていなかった、己の無知を恥じたい気分だ。読後の感想を率直に言えば、まあ、そんなところか。歴史の変化というのは、その時代を生きていたからといって必ずしも自覚できるものではない ―― 己が気づかないうちに世界は変化していて、しかも、正義や道義に基づいて流れているとは限らない、己の価値観から外れることも多く、ときとして、深い暗部に向かって進んでいることもあり得るのだと。 
 それは1970年代、南米南部地域(チリ、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、ボリビア)で起こっていた、いや、起こされた。冷戦時代、キューバ革命の南米大陸への波及を恐れたアメリカは諜報機関を使って、当時同地域に成立していた社会主義政権を軍事クーデターで打倒した。倒された社会主義政権のうち、チリの人民連合(アジェンデ政権)は、日本でもよく知られていた。チリに新しくアメリカの後押しによって樹立されたのがピノチエット政権である。ピノチエットは、その誕生に抗議する共産主義者、社会主義者、民主主義者、さらには、一般市民をも弾圧し、彼らを誘拐、拘留、処刑し、転向を強要する拷問を繰り返した。 
 この歴史的事実は承知していたのだが、その軍事政権の経済政策にミルトン・フリードマンを頭首とするシカゴ学派の若手の経済学者、経済官僚(「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれた)が大いに関与していたことについては、本書で初めて知った次第である。

筆者Blog

 きわめてナイーブ(うぶ)な感想だが、間違ってはいないと思っている。冷戦期の1970年代からイラク戦争(2003年に勃発)までの現代史を本書に従い振り返ってみると、世界の動きというものが、あたかも一本の糸で結ばれているように思え合点がいく。ナオミが以下、簡潔に〈この時代〉を活写している。

 これらの思想(新自由主義)は、いっさいの制約から放たれたこの自由こそが、まさにシカゴ学派経済(あるいは新自由主義(ネオリベラリズム)、アメリカでは「ネオコン」と呼ばれる)の神髄である。それは新たに考案されたものではなく、言うなれば資本主義からケインズ主義を取り除いたものであり、独占状態にある資本主義、勝手気ままなシステムである。民衆をお客扱いする必要もなく、どんなに反社会的、反民主主義的で横暴な振る舞いも許される。共産主義が脅威であった間は、ケインズ主義が生き延びるのが暗黙のルールだったが、共産主義システムが崩壊した今、ケインズ主義的な折衷政策を一掃することが可能になった。半世紀前にフリードマンが改革の目標として掲げたことが、ついに成就できるときが到来したのだ。(P368)

ショック・ドクトリン

 本書は現代資本主義論であって、洗脳のみを扱ったわけではないことは言うまでもない。本書が扱う対象地域は、ハリケーン・カトリーナが襲ったアメリカルイジアナ州ニューオーリンズ、南部南米諸国、サッチャー時代のイギリス、ベルリンの壁崩壊後の東欧、天安門事件と中国、アパルトヘイト政策終了後の南アフリカ、ソ連崩壊後のロシア、アジア(タイ、インドネシア、マレーシア、韓国)、9.11後(チェイニーとラムズフェルド時代)のアメリカ、イラク戦争とその後のイラク、スマトラ沖地震による大津波に襲われたスリランカ、モルディブなど広大である。自然、人為を問わず惨事発生後に新自由主義経済政策が導入され、そこに住む生活者を再度、経済的、思想的に苦しめる。
 ナオミは本書刊行後(2017)の著書『NOでは足りない トランプ・ショックに対処する方法』において、ウォーレン・バフィット〔注6〕の発言を再引用して、新自由主義について次のように書いている。

 新自由主義とは、多大な利益をもたらす一連の考え方であり、私(ナオミ)がそれをイデオロギーと呼ぶことには若干のためらいを感じてしまう〔後略〕。新自由主義の中核にあるもの、それは強欲の正当化である。アメリカの億万長者ウォーレン・バフィットは数年前、CNNの取材に応えていみじくもこう語り、ニュース沙汰になった ――「この20年間続いてきた階級闘争で勝ったのは、私の階級だ…富裕層が勝ったのだ」と…(『NOでは足りない』P97-98)

NOでは足りない

〔注6〕ウォーレン・バフィット;アメリカの世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、同社の会長兼CEOを務める。

 シカゴ学派が自由市場に全面的拝跪する根源を探ること、そして、バフィットが言う「革命」とは1968革命の反革命なのかーー筆者にとっての次なる課題が浮上する。

(五)カルトといかに闘うか

 島岡まな(大阪大学副学長)は、紀藤正樹(全国霊感商法対策弁護士会事務局長代行 )、田近肇(近畿大学法学部教授)との座談会「カルト規制はどうあるべきか」(雑誌『世界』2022年12月号)において、次のように語っている。

無知・脆弱性不法利用罪

紀藤:私は(フランスの反セクト法〔筆者注7〕における一括法の中の一つ、つまり無知・脆弱性不法利用罪も、とても参考になる罰則規定だと思っています。
島岡:日本の刑法では、カルト的な逸脱行為に詐欺罪や脅迫罪を適用することはまず無理です。脅迫罪における「害悪の告知」は、行為者が害悪の発生を自分でコントロールできることが前提なので、「天罰が下るぞ」というようなものは一切排除されて、無罪になっている判例もあります。
 詐欺罪も、まず無理なんですね。何億円と献金させたって、相手方に財産的損害を与える処分行為をさせるために欺罔行為(ぎもうこうい)を行う、という故意と実行行為がなければ詐欺罪にはならないのです。「本当にいいことだから勧めました」と言われたら、その証明はまず不可能に近い。だから、事後規制ならばいいといっても、実際問題として本当に適用することが難しいという事実があります。
 フランスの無知・脆弱性不法利用罪は反セクト法ができた2001年に同時に刑法の詐欺罪のなかに新設されました。無知・脆弱性不法利用罪は反セクト法ができた2001年に同時に刑法の詐欺罪のなかに新設されました。それは無知・脆弱な状態を利用するものと、さらにテクニック ーー 洗脳やマインド・コントロール等 ーー を使って無知や脆弱性、隷属状態、依存状態をつくりあげて、さらにそれを被害につながるような作為または不作為に導く行為が処罰されているんです。
 そのため、宗教だけでなく、コロナ禍のフランスでは代替医療にも適用されています。日本でも、がんになった女性タレントが代替医療で普通の治療をしなかったために亡くなった可能性があると疑われる事例がありました。日本ではかなり野放しになっていますが、フランスなら、少なくとも捜査が入るところです。そういう意味では、いろいろな人権侵害的なセクト的逸脱行為に適用できる規定になっています。日本にも準詐欺罪という、未成年者の智慮浅薄(無知な状態)の人の心身耗弱を利用して詐欺を行った場合を処罰する規定がありますが、フランスではもともとあった準詐欺罪を拡張してマインド・コントロール的な行為も入れたのです。その流れでいけば日本にも同様な規定をもうけることは十分可能ではないかと思っています。
紀藤:私も可能であれば刑法の中に入れてもらいたいのですが、無知・脆弱性不法利用罪みたいな考え方は、現在の消費者契約法の中にもまだ十分にないのです。とりあえずまず消費者契約法の中に入れこまないといけないですね。(『世界』2022年12月号P87)

雑誌「世界」

〔筆者注7〕反セクト法;『フランス公法と反セクト法』(中島宏著
/ 一橋法学第1巻第3号2002年11月号/同論文P1)によると――
①「セクト」とは、主にフランスに於いて、歴史的に新しく出現した少数派宗教の事を指して用いられる用語である。しかしながら、その正確な意味は多義的で曖昧であり、侮蔑的な意味をも包含する。
②2001年5月30日に国民議会で可決成立した通称反セクト法(正式名称「人権並びに基本的自由を侵害するセクト的運動の予防並びに抑制を強化することを目的とする法律」(同論文P40 )
③確定した法律は、全6章24条からなる。それぞれの章は次のような副題が付されている。
第一章(第1条)一定の法人の民事的解散
第二章(第2条~第15条)一定の違反に関する法人の刑事責任の拡大
第三章(第16条~第18条)刑事責任のある法人に対する解散刑に関する規定 第四章(第19条)セクト的団体の宣伝制限規定
第五章(第20条~第21条)無知又は脆弱な状態に付け込む不法侵害に関する規定
第六章(第22条~第24条)細目規定  
反セクト法の主眼は大きく次の二つに分かれる。一つは、有罪が宣告された一 定の法人の裁判所による解散、いま一つは、不法行為を為した法人に対する刑罰の強化である。(同論文P43) 

フランス公法と反セクト法

 紀藤、島岡の座談会における無知・脆弱性不法利用罪に係る発言は、フランスの「反セクト法」第5章を念頭において語られたもので、統一教会問題に代表されるカルト宗教団体の高額献金、霊感商法等を法整備により規制できるか、という文脈における発言であるのだが、洗脳を考えるうえでも注目すべき要素を含んでいるように思える。それが〈無知・脆弱性不法利用〉への着眼である。

洗脳の下での献金等の誘導は犯罪である

 フランスの反セクト法第五章についての筆者の受け止めは、以下の通りである。〈無知〉は学力、社会経験の不足等から、物事一般を判断する知識がない未成年者等に対して、そして〈脆弱性〉は、生活者がなにかの要因によって精神に動揺を覚え、心が脆弱状態に陥っている者に対して、そこにつけこんで、それらの者に不利益な契約・約束の締結あるいは入信などを勧める行為を違法とするという、かなり踏み込んだ規定だと思われる。まず〈無知〉という表現がわかりやすい。未成年者、精神障がい者、高齢者等がこの法令で守られる。かつての禁治産者、すなわち、現「成年後見人制度」における心身喪失状態のイメージに近い。
 〈脆弱性〉は普通の生活を送るのに不自由しない生活者がたとえば、大きなショックを受けたときなどにおいて、その者の精神状態が普段と異なる状態、すなわち脆弱状態におかれる場合が生じる。同法では、そこで交わされた他者との諸々の約束事や契約は不法侵害だと認定される。
 また、〈無知〉というカテゴリーは、宗教二世問題の救済につながる可能性があるし、〈脆弱性〉のそれは、入信→洗脳→マインド・コントロール→献金等を規制できる可能性がある。
 ただし、〈脆弱性〉については、旧禁治産者の心神喪失状態と同様、医学的(客観的)に定めた基準に基づく判断が困難なため、司法がケース・バイ・ケースで判断することになるものと思われる。

カルトからの勧誘をふせぐ方法はない

 フランスの「反セクト法」が規定する無知・脆弱性のガイストを洗脳につなげて考えてみると、生活者が洗脳される契機は、主に、心が脆弱状態におかれたときだが、それほど大きなショックを受けたときにかぎらず、たとえば、大学に入学したばかりの若者がヨガ教室だとか読書会だとかに誘われて、カルト宗教に入信してしまうケースにも当てはまる。彼ら彼女らが、カルト教団が偽装した窓口に誘導されるのは、大学に居場所を見つけられない状態だったからだと推測できる。地方から大都会の大学に入学した若者には、受験勉強から解放された結果、満喫できる自由がある一方で、その裏腹の孤立感、虚無感が同居していて不思議はない。大学生活に順応してサークル、同好会、アルバイト等で新しい関係性を構築できた者と、新たな生活環境に馴染めず、宙ぶらり状態に陥ってしまった者が必ずいるはずである。後者には、自ら新たな関係性を構築できずにいる地方出身者が多く含まれるのかもしれない。そうした彼ら彼女らをターゲットにするのが、カルト教団のリクルーティングの常道である。

旧統一教会 有権者数約8万人、年間献金額600億円

 旧統一教会の信者数は教団側の発表では60万人、宗教リサーチセンター調べでは56万人、しかし実態は6万人とも言われていて実数は不明である。『東京新聞 論壇時評(2022/08/29夕刊)』に掲載された中島岳志の『旧統一教会と自民党/ 固定票と「悪魔の取引」』 は、参議院選挙における旧統一教会の介入戦略についての小論だが、文中、〝旧統一教会の有権者を8万3千人程度と推計する”(『武器としての世論調査/ちくま新書』三春充希〔著〕)を中島が再引用している。これからも、旧統一教会の信徒数はそれほど多くないとみていい。
 その一方、同教団が集めた献金額は、『文春オンライン( source:週刊文春 2022年8月18日・25日号)』によると、2009年の「コンプライアンス宣言」以後の3年間、約600億円ずつ集めていた、と報道されているが、こちらも確かなことはわからない。とはいえ、報道されている旧統一教会被害者の献金額がのきなみ億単位であることから、小規模な宗教法人が集められる額ではないように思える。
 そこで思い出されるのが、本稿(その1)でみた、米国による戦後日本に対する諜報部門における占領政策、すなわち、ⓐ検閲、ⓑ 調査、©️情報・宣伝の3点セットである。大戦終了以降、この3点セットを基本としながら、米軍による洗脳→マインド・コントロールの技術は大きな発展をみたことは先述の通りである。カルト教団がその技術を受け継ぎ、ⓑ信徒の家庭環境・財産状態等を調査・把握し、ⓐ資産家の信徒に絞り込んで、検閲と似たような閉ざされた状態に置き、©️そこで教義を叩き込み、平常の判断力を失わせ、多額な献金や霊感商法により高額な商品を購入させる ―― という手口が想像できる。
 カルトの勧誘を遮断する術はない。カルト教団の被害を免れる最善策はそれに近づかないことであろうが、それは不可能だ。社会が人間同士のつながりで形成されている以上、カルトとの接触・勧誘を完全に回避することは不可能だ。カルトにかぎらず、他からの思想的影響等を受けないで済ますことはできない、それは人間に考えることをやめろと言うに等しい。

あとがき ―― 社会ができること

 社会ができるのは、一部のカルト教団のような反社会的集団 ―― 宗教団体を名乗りつつ、さまざまな擬態を凝らして経済犯罪を繰り返す集団 ーー から生活者を守ることだ。洗脳下の高額献金や霊感商法といった宗教的経済犯罪被害者を救済することだ。それには、たとえば、前出のような洗脳下での献金や契約を無効にできる法を整備することではなかろうか。
 また併せて、前出の中島論文〔注8〕によると、カルト(セクト)を特定する指標として、▽精神的不安定化、▽法外な金銭要求、▽元の生活からの意図的な引き離し、▽身体の完全性への加害、▽児童の加入強要、▽大なり小なり反社会的な言質 、▽公序への侵害、▽多大な司法的闘争、▽通常の経済流通経路からの逸脱、▽公権力への浸透の企て ーー が規定されている。また、 洗脳すなわち精神操作罪に関しても同様だという。日本でもそれを法的に定義することが本当に難しいものなのかについて、公開のうえ、議論を尽くすことも重要だと思われる。

〔注8〕セクトを特定するその中身として、アブは1995年の国民議会調査委員会の報告書、いわゆるギュイヤール報告書172)が示した「指標の束」(un faisceau d’indi-ces)を援用する。(『フランス公法と反セクト法』 中島宏著/一橋法学第1巻第3号2002年11月号/同論文P49)

参照文献
(その1)
『閉された言語空間』 江藤淳 文春文庫
『敗北の構造 吉本隆明講演集』吉本隆明 弓立社
『太平洋戦争史』聯合軍総司令部民間情報教育局資料提供 中屋健弌訳 高山書院
『大元帥 昭和天皇』山田朗 ちくま学芸文庫 
『戦争の谺』川村湊 白水社
『wikipedia』
(その2)
「マチウス試論」『芸術的抵抗と挫折』吉本隆明 ebookjapan
『ショック・ドクトリン』ナオミ・クライン 岩波書店
『NOでは足りない』ナオミ・クライン 岩波書店
『フランス公法と反セクト法』 中島宏 一橋法学第1巻第3号2002年11月号
「旧統一教会と自民党 固定票と悪魔の取引」中島岳志『東京新聞』 論壇時評(2022/08/29夕刊)
『文春オンライン』( source:週刊文春 2022年8月18日・25日号)
座談会「カルト規制はどうあるべきか」/島岡まな/紀藤正樹/田近肇 雑誌『世界』2022年12月号

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?