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立場が人をつくる

20代の頃、「立場が人をつくる」って言葉を聞いたことがある。30代にもなって最近この言葉って的を射てるなぁっと思う今日この頃である。「立場が人をつくる」っていろんなとらえられ方をするが、筆者的には「与えられた立場の応じた能力がや人格が身につく」っとポジティブな意味でとらえている。

能力と立場はどっちが先か

①必要な能力がある→②立場が与えられる、が自然の流れって感覚もあるけど、

①立場が与えられた→②必要な能力が身についた、って例ってたくさんあるなと思うのだ。

多少能力が足りなくても、やる気に充ち満ちている人であれば、責任と権限ある立場を与えたら一気に成長していく、っていう実例を筆者は何人も見てきている。筆者に限らず、大半の人が身の回りの実例を1人くらい思いつくのではないだろうか。ベンチャー企業とかで若くして役職を得たりした人が、あとから能力が身についたなんてよくある例だと思う。

仕事以外でも「立場が人をつくった」例はたくさんある。親になれば親っぽく振る舞えるようになる人っていたりするのだ。20代後半くらいになると、旧友に一人くらい出て来るのが、「えっ!?あいつもう子供いるの!?」って人である。散々やんちゃしていて「あいつが人の親やれるの?」みたいに思えてた人が、数年したらちゃんと「親」をしてたりするもんなのだ。これも「立場が人をつくる」のいい例だと思う。

「立場が人をつくらなかった」人

ただ、場合にはよっては先に立場を与えてしまったのが悲劇みたいになる例もある。「なんでこいつこの立場にいるの!?」みたいな例も、悲しいかないっぱい例があるだろう。具体例をあげなくてもいい位、実例が豊富なのが今の日本な気がする。こうなるとこの人についた人が悲惨な目にあう事が多い。

筆者的にこのテの人の共通点は、「立場が降ってきた感覚」であったり、「立場につくのが目的で役割を果たすコトに目がいってない」であったり、端的にいうなら「やる気がない」コトだと思っている。

今の会社組織だと、役職や立場は「自ら取りに行く」ものではなく「他人から与えられるもの」である場合が多くて、「やる気」と比例しない場合が多いと思うのだ。

逆に言えば「やる気」さえあれば、多少の能力不足なんて、立場をこなしていくうちに補えてくるもんだと思う。

自分に当てはめて

自分に当てはめて考えてみると、「やる気があるなら、多少実力不足でも立場をとりいこう。能力は後からついてくる」って考え方に落ち着く。

「立場が人をつくる」「必要は能力の母」、このあたりは基本的に同じことを言っているのだと思う。ちょっと背伸びをして、立場をとって、立場に必要な能力を身につけていく、これが何より能力向上につながるのだ。

努力して能力身につけてから、立場をとるのもいい選択だとは思う。ただ「実際にやってみなければ必要だとわからなかった能力」ってどの世界でもあると思うのだ。何が必要かなんてやってみなければわからないコトの方が多いし、同じ立場の人に話を聞いたところで、人によって体感が変わる。

端的にいうと「やる気があるならやってみよう」。これにつきる。

筆者も背伸びの連続の中で生きていきたいと思う今日この頃である。

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