そうだ、京都へ、失踪しよう。
あまりに仕事の疲れを溜め込んでしまい、
ふと僕のなかに1つの考えが思い浮かんだ。
そうだ、京都へ、失踪しよう。
スタッフの一人に「明日から京都へ失踪します」とLINEで告げた。「京都いいですね!ゆっくりしてください」と返信がきた。優しい言葉が身に沁みた。
しかし本気で失踪したいなら、行き先は誰にも言うべきではなかった。
行方がわからなくなるから「失踪」なのであって、行き先を宣言してしまっては「旅行にいってきます」とほぼ同義である。
また別のスタッフからは「対面で打ち合わせしたいのですが、いつだと大丈夫ですか?」と連絡がきたので「来週木曜の午前中なら空いてます」と返信した。
本気で失踪したいなら、安易に仕事の予定を入れるべきでもなかった。場所だけでなく期限まで決めてしまっては、いよいよ小旅行である。
思えば「そうだ、京都、いこう」みたいな軽いノリで失踪を考えたのがそもそもの間違いであった。まるで隠れ場所を叫びながら、かくれんぼをしているようなものだ。
だが、その時の僕は、とにかく「赤坂」という東京砂漠から抜け出したかった。心の渇きはピークを迎えていた。
お酒が飲めない体質なので「最高の渇きに、スーパードライ」なんて宣伝文句は響かない。最高の渇きに必要なのは、自然のなかで、ぽつねんと佇むことであった。
平日の朝、京都駅に着いた。できるだけ人気の少ないところに行きたいと思った。清水寺や伏見稲荷なんて論外だ。もっと遠くへ。
地図を見ていたら、金閣寺が目に止まった。
金閣寺、そういえば中学以来行ってないし、意外と中心地からは離れている。ぼんやり美しい金閣を眺めるのもいいなと思った。
だが行ってみてわかった。大混雑だ。まるで工場のベルトコンベアーに乗っけられた部品の1つになった気分だ。自分の意思とは関係なく機械的なペースで、順序どおりに進んでいく。
かろうじて撮った上の写真こそ、人気を感じさせないが、実際は右も左も大混雑だった。
せめてもう少し、静かなところが良いと思い、近くにあった龍安寺の枯山水を観に行った。
これもまた写真こそ人気を感じさせないが、縁側にはぎっしり人が座って安易に移動もできない。枯山水を前に侘び寂びなどなかった。
京都で「ぽつねん」とすることがこんなにも難しい贅沢品になっていたとは。
その後、オンラインで映像クリエイターさんへのキャリアカウンセリングをする仕事があったので、近くにある立命館大学のキャンパスに行った。失踪中のくせに人のキャリアカウンセリングは粛々と行う半端者であった。
学生に混じってカフェテラスへ。「きなこパフェ」を頼んだ。
どう考えても失踪中のテンションの人が食べる代物ではなかった。美味しそうだったのだから仕方ない。実際に美味しかった。食欲には勝てない。
と、ここでハプニングが起きた。
オンラインでキャリアカウンセリングを終えると、いきなり女子大生が声をかけてきた。
「あの、すみません、もしかして映像関係の方ですか?」
「あ、はい、そうですが」
「いきなりすみません、隣でたまたま声が聞こえたので。実は私、来年の春から東京の映像編集スタジオで就職することになってまして」
「え!?そうなんですか!」
「ただ色々不安もあって、ちょっとだけお話しさせてもらえませんか?」
まさかのキャリアカウンセリング第二弾が始まった。
ちなみに話の途中で「そういえば、今日はうちの大学でお仕事だったんですか?」と訊かれ、思わずたじろいだ。まさか「失踪中」とは言えない。かろうじて「出張中」という言葉に切り替え切り抜けた。
しばらく話した後、彼女は少しだけ晴れやかな様子で去っていった。
そして行きつけの宿に向かい、
行きつけの餃子屋に行き、
行きつけの、いや初めてのBARに行き、
ノンアルのカクテルを飲み干しながら
バーテンダーのお兄さんと他愛もない世間話をし、
宿に戻り、今日という1日をぼんやりと振り返った。
たまたま金閣寺と龍安寺に行き、たまたま立ち寄った大学のカフェでキャリアカウンセリングを行い、たまたま隣に座っていた女子大生が映像関係の就職で悩んでいたなんて、こんな偶然あるだろうか。
先日「偶然は用意のあるところに」という題名のコラムを書いたばかりだったが、こんな偶然はさすがに用意はできない。
でも少しでも誰かの役に立てたことで自分自身もまた少し救われたような気持ちになった。失踪したことで誰かの役に立つというのも皮肉な話だが、金閣寺も龍安寺もたくさん人がいて気が休まらなかったことさえ、立命館大学のカフェテラスに導かれたと思うと、なんだか意味があったように思えた。
オセロの黒に埋めつくされたあと、ある一手によって、一気に白へひっくり返るように。人生は何が起きるかなんて分からない。分からないから面白いのだと教えられた気がした。
女子大生に別れ際、何度も「ありがとうございました」と言われたが、お礼を言うべきは僕のほうだったのかもしれない。
(つづきはこちら↓)
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