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赤坂移住

オフィスの「赤坂移転」に続く僕のプロジェクトは「赤坂移住」だった。地方移住が盛んな流れと逆行するかのように、都心の深いところに潜り込んだ。

マンションの屋上から見上げる空には、東京ミッドタウンとタワーマンションが巨塔のように聳え立つ。なんて場所だ。思わずつばをゴクリと飲み込んだ。

思い出すのは年始の由布岳登山だ。天空の城か、ボスキャラの待つ最後の砦かわからぬ場所にやってきたような気分だ。

ベルギー・オランダから帰国してまもなく、オフィスの移転に合わせて赤坂・乃木坂をいろいろ歩き回って調べてみた。そして心躍る部屋を見つけた。

だが正直なところ、僕自身の移住はまったくもって必要のないことだった。オフィス自体は、コロナ時期に事務所をたたんだため、そろそろ復活させたいという思いはあった。機材置き場と自宅を兼務して3年の月日が経っていた。しかし、それでオフィスを見つけて、「さぁ、めでたし、めだたし」で終わらせたくないのが性分だった。

必要なことだけやるのが人生じゃない。
心がワクワクすることをやるのが人生だ。

そんな名言にもならないありふれた言葉を、自分だけの印籠のように大事に抱え、心の踊るその場所に移住を決めた。

父と母にそれぞれ赤坂に引っ越すことをLINEで報告してみたら、すぐに返信がかえってきた。

まるで自分の息子が赤坂に引っ越すことが長年の悲願であったかのように瞬足で返信がきた。

だが内心は少しだけドキドキしていた。どこかでまだ誰かの目を気にしている自分がいた。でも、たぶん誰にどう思われようと、この2人が承認してくれるなら、それはGOサインだという気持ちで、心が晴れやかになった。

たまたま10年以上前につくった定款のたたき台を開いてみたら、当時、もう赤坂で開業するつもり満々で書いていたものが見つかり、懐かしかった。僕はここに住むつもりでいたのだ。

「なぜそんなに赤坂にこだわるんですか?」と言われても、あまりうまく応えられない。

別に見栄のような気持ちは1mmもないし、お酒の飲めない僕にとってこの地域のお店の多くは縁もない。

ただ、僕は、人生で一度、この地に住んでみたかったというだけだ。この場所で、自分がどこまでやれるかを試してみたいというだけだ。

そして、赤坂という場所にくると、なぜか、この曲を思い出す。僕が生まれるよりずっと前に出された曲だけど、たぶん憧れの要因の一つはこんな素敵な歌詞を書いた阿久悠さんという人物への憧れかもしれない。もちろん阿久悠と赤坂がどれほど関係あるのかも知らない。ただ、なんとなく、この曲が僕の中での「赤坂っぽさ」なのだ。


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