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精霊の国日本 東京神社 隠れ家にも程がある東京ならではの聖域 出世稲荷神社・岩代稲荷神社

「ええ!? ここ?」
声に出してしまう場所。

マンションの1階、自転車置き場の奥に見える赤いのぼり。
一応、入り口にのぼりと石の表示があるので恐る恐る入っていくと。

自転車→洗濯機→鳥居を越えてやっとまみえた社殿。
でも、聖域感はあるのです。


水場もあって、掃除用具もある。大切にされている雰囲気。
そして、なによりこちら。

小さな小さな石を彫った仏様。丸石を土台に鎮座しておられます。

小さな聖地もここに極まれり、ですよね。
手水舎の石も江戸時時代の火消し組の奉納品のような痕跡もあり。
こちらの守り人の方々が大切にしておられる場所。

出世稲荷は歌舞伎の初代・市川團十郎が日参して名をあげた由来があって、今も芸能人などが密かに訪れる場所だとか。


密かすぎる・・・。そんな場所ですね。岩代稲荷は岩代町のお稲荷さんだったらしい。

出世稲荷の歴史かんたんまとめ】【岩代稲荷は不明】

元和3年(1617) 幕府の許可を得て江戸中の遊女屋を集めた吉原遊廓誕生 
         元吉原時代始まり
同年       元吉原の関係者で北条家浪人の庄司甚右衛門(吉原遊廓 
         の創設者・子孫は代々名主職をつぐ)他数名の屋敷 
         内に京都伏見稲荷を勧請
明暦3(1655)年 吉原遊廓は新吉原(千束村)へ移転 新吉原時代の開始
歌舞伎の初代市川團十郎(1660~1704年)が出世稲荷に毎日参拝し、名を挙げる
明暦3(1657)年  江戸大火振袖火事 災禍を免れる
安政大地震(1854) 災禍を免れる
明治6(1873)年  大火を免れる
大正12(1923)年  関東大震災で本殿焼失
昭和6(1874)年  椙森神社拝殿取り壊しの廃材を削り直し落成

昭和20年(1945)年 アメリカ軍による東京大空襲にも災禍を免れる
(※現地の看板参照)

ここで不思議なのが、「仮」屋敷という表現。江戸時代は火事が何度も起こって、吉原はそのたびに別の場所で仮営業したと言うから、このお稲荷様も借りのお屋敷に勧請されたのかな・・・?
くわえて、元吉原の総鎮守・末廣神社もそうなんだけど、こちらの出世稲荷さまも吉原遊郭が千束村の(現在の浅草)新吉原に移転する際に移転されなかったんだな、ということ。


吉原神社5柱のひとつ、源九郎稲荷神社は元吉原にあって、吉原遊廓移転に伴いこちらは新吉原にも移転されているんです。吉原遊廓移転にともなって移転した神社と、しなかった神社。
その違いはなんだろう・・・?


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