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3.11というものさし

2014年3月12日のブログ記事の再掲です。

テーブルにPCを据え置きすることでレコーディングしやすく、パソコンで音楽しやすくなりました。音楽へのアクセスが容易になり、触れる機会が各段に上がって専念できそうです。物理的な距離ってのは凄く大切で、離れているとやはり意識が遠のいてしまうわけで。

2012年の夏にボランティアで岩手の南三陸と石巻にいった時の話です。

南三陸での下水溝のボランティアの話は割愛しますが、今まで人々が当たり前のように住んでいた沿岸部が更地になってしまった光景は今でも頭に焼き付いています。

今回は印象的だった石巻の復興支援マルシェで接した方々とのやりとりを中心に書きます。そこは復興の催しを開いたり、美味しい地元の料理を振る舞ってくれる小さなショッピングモールです。モールと言っても広いスペースにちょっとしたプレハブが立っているだけで、そこで震災当時の写真が飾られていました。

その日はローカルな歌手がリサイタルを実施していたのですが、その手伝いで来ていた被災者である老夫婦とお話する機会がありました。

人見知りの僕に積極的に話しかけてくれて、石巻の津波の経験を話してくれました。

地震が起きてすぐに車で避難したこと、
家が流れてなくなってしまったこと、
最近までプレハブの避難所にいたこと、
運良く順番がまわって来て公営住宅に住めるようになったこと。

そのようなことが起きているのはメディア等で見聞きしていることではありますが、改めて被災者の方々に聞くとリアルでした。しばらく話していると、そこに居合わせた被災者の男性(恐らく単身の方だろうか)も輪の中に入って来て自身の経験を話し始めました。

最後は、ろくに下調べもせずに来た私を日和山という小高い丘にある神社まで老夫婦が車で連れていってくれました。そこは沿岸部にある石巻の裏山の避難場所であり、3.11の津波の際に私たちの想像を超える恐ろしい出来事を目の当たりにした場所です。

ここで旅は終わるのですが、そこで感じたことに関して。改めて実際経験した方々の話しを聞いたからリアルだったという印象以上に、みんなすごくお話したいんだな、という印象を強く感じました。

人間だから当たり前に、辛い思いを共有したい、分かち合いたい
という思いが強かったんだと思うのですが、そういうふれあいの機会というのが大切なんだと思いました。というか改めて思ったのです。
(もちろん物的、金銭的なフォローも必要なのですが)

これって、被災地だけにいえることではないと思うんです。
身近なお年寄りもそうですし、別にお年寄りに限らずそういうことってあるんです。

それを解消するのは難しいことなのですが、
僕は何かしらの形で社会にプラスになる何かをできればなと漠然と思っております。実際は自分のことでいっぱいいっぱいなんですが。

思うばかりですみません。

うまく表現できませんが、
そのへんのこと昔からミュージシャンの七尾旅人や小谷美紗子は凄く良く分かっていて、もはや3.11を境にではなくてもっと根深い日本の問題としてあるものだと僕は思っています。3.11から何かを学びたい、3.11をものさしとして、行動していきたいと思う次第です。


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